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.国際  投稿日:2021/8/15

アフガニスタン危機 日本への意味 (上)


古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)

「古森義久の内外透視」

【まとめ】

・タリバンの軍事攻勢でアフガニスタン政府崩壊に深刻な懸念。

・バイデン大統領は4月に米軍全面撤退を宣言。

・8月に入り、34州の過半の18州都がタリバン支配下に入った。

  アフガニスタンでのイスラム原理主義勢力のタリバンの軍事攻勢が勢いを増す。タリバンとこれまで20年も戦ってきたアメリカの悩みや驚きも深い。首都ワシントンの国政の場でもアフガニスタン政府崩壊への深刻な懸念が語られる。

バイデン政権がアフガニスタンからの完全な軍事撤退を決めて以来、これまでの民主主義の国づくりが水泡に帰する見通しがいかなる予測よりもずっと早く確実となってきたからだ。

 いま2021年夏のワシントンでこのアメリカの悩みを目撃する私にとって、アフガニスタンの危機は自分自身のアフガン体験、そしてさらにはるか以前のベトナム体験を連想させる。アメリカが支援した政府や国家の興亡や悲劇が思い出されるからだ。

 短絡な歴史の重ね合わせは個々の出来事の特殊性の意義を見失う危険もあるが、共通項はアメリカの支援の終焉である。そうなると、日本もアフガニスタンのいまの悲劇を遠い異次元の世界の出来事とすませることはできない。アメリカに国家の安全保障を依存するという点ではいまの日本もアフガニスタンや旧南ベトナムと変わらないからだ。

 私がアフガニスタンの首都カブールを訪れたのは2002年2月だった。アメリカの当時の2代目ブッシュ政権がアフガニスタンのタリバン政権に攻撃をかけ、タリバン勢力が首都カブールから撃退されてすぐ後だった。

写真)タリバンの兵士 1996年1月1日
出典)Photo by David Turnley/Corbis/VCG via Getty Images

タリバン政権はアメリカに大規模なテロ攻撃をかけた国際テロ組織のアルカーイダを自国内に滞在させ、訓練を許していた。そのアルカーイダは2001年9月11日にニューヨークやワシントンに同時テロ攻撃をかけて、アメリカ側の3000人以上を一気に殺した。アメリカは国連の承認をも得てその報復の宣戦をしたのだった。

私がアフガニスタンに入ったのはアメリカ軍の空爆やアフガン国内の反タリバン勢力による地上攻撃で首都カブールからタリバン政権が撃退されたばかりの時期だった。だが内戦はまだ激しく続いていた。

首都カブールは市街が瓦礫に埋まるほどの破壊の跡ばかりだった。宿泊の場も限られ、私たち外国人記者は反タリバンの武装勢力、ムジャヒディーンの戦士幹部たちとの同宿だった。やっと開いた簡易宿泊所のようなホテルだった。

アメリカの戦争に加わった北大西洋条約機構(NATO)の同盟諸国イタリア、ドイツ、イギリスなどの武装将兵も多数、カブール内外で活動していた。国際治安支援部隊(ISAF)だった。なにしろ戦闘はまだカブール近郊でさえ激しく続いていたのだ。

だがその一方で首都カブールの市民の間では解放されたような空気が濃かった。タリバンの苛酷なイスラム原理主義の教理支配に反対する各勢力を統合して、新たな国家を作ろうとするアメリカやNATO主導の動きも着々と進んでいた。軍事面で反タリバンの地方の軍属などが結集して、新設のアフガニスタン国軍を作る動きも始まっていた。

私が滞在した2ヵ月近く、その新生のアフガニスタン共和国の国づくりは地元住民の大多数の支持を得て、前進するようにみえた。その後も民主主義的な選挙も実施され、新たな政府や軍隊が形を作っていった。日本も経済面で新生アフガニスタンには多額の援助をした。

 だがそれ以来、20年ほど、このアフガニスタン国家は内部から崩れそうなのだ。この20年近く、アメリカは軍隊を常駐させ、新国家建設を支えてきた。政治的、経済的にも大規模な国際支援が民主主義の名の下に投入された。しかしタリバンは地方に追い詰められたとはいえ、武装抵抗をやめなかった。

 アメリカ側にとってのこのアフガン軍事介入は延々と続いた。「アメリカ史上でも最長の戦争」などという表現が使われるようになった。そろそろその終結を、という声が超党派で起きてきた。

 トランプ大統領がそのアフガン軍事介入を終結させる手続きを取り始めた。その後に登場したバイデン現大統領はこの2021年4月に具体的な期限を明示してのアメリカ軍全面撤退を宣言した。9月11日という期限だった。最後まで残っていた3000人ほどの米軍部隊を半年ほどの間にすべて引き揚げるという決定だった。

 アメリカが去った後のアフガニスタンは20年ほど前に誕生した新生のアフガニスタン共和国の政府と国軍が支えていくはずだった。アフガン政府軍は公称30万という規模の近代軍隊とされていた。

 だがタリバンの政府軍に対する軍事攻勢はアメリカ側にとっては衝撃的なほどの勢いをみせた。8月に入っての2週間足らずに10ほどの州都を制圧したというのだ。その結果、合計34ある全州の半数を越える18の州都がタリバン支配下に入ったと宣言されたのだ。

 やはりアメリカが手を引くという展開がアフガン政府側の浮足を生んだのだろう。アメリカ側に衝撃を与えたのは8月13日に伝えられたアフガン西部のヘラート州の軍閥指導者ムハンマド・イスマーイール・ハーン氏のタリバン側への投降だった。

ハーン氏はかつてはムジャヒディーン司令官、後にヘラート州知事、「ヘラートのライオン」とも呼ばれた勇猛な軍人だった。タリバンとも果敢に戦ってきた。新生アフガニスタン政府の大臣だったこともある。

そのハーン氏がヘラートを攻めるタリバンに降伏したというのだ。ヘラートはアフガニスタン第三の都市で、ヘラート州の州都でもある。ちなみにタリバンはヘラート市とともにアフガン第二の都市カンダハルの制圧をも発表した。政府側はすでに総くずれの様相をもみせてきたのだ。

(中につづく)

トップ写真)アフガニスタン・プルエアラム近くの山岳地帯をパトロールする米軍兵 2014年3月31日
出典)Photo by Scott Olson/Getty Images




この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授

産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

古森義久

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