[岩田太郎]【犬より命の価値が低い黒人】~米・黒人青年射殺事件:大陪審不起訴~ファーガソンの怒り③
岩田太郎(在米ジャーナリスト)
「岩田太郎のアメリカどんつき通信」
米ペンシルバニア州で、12月8日、警察犬を殺した男の公判が始まった。この事件後、同州では警察犬殺害に対する禁錮刑が7年から10年に延長されている。一方、12月3日、ニューヨーク州スタテン島の大陪審が、6人の子供の父親で、丸腰のある黒人エリック・ガーナー氏(享年43)の首を7月17日に締め上げて窒息死させた白人警官ダニエル・パンタレオ氏(29)を不起訴処分とした。
黒人のいのちは、犬のそれよりも軽い。
何が背景にあるのか。丸腰の黒人青年マイケル・ブラウン君(18)を射殺した白人の元警察官ダレン・ウィルソン氏(28)が大陪審に対して証言した内容が、数百年来、米国白人の黒人に対する見方に繰り返し現れる、「黒人は動物的で恐ろしい」「黒人は白人を襲う」「黒人の暴力性は、白人によって制御されなければならない」という歴史的パターンにぴったり符合することが、ライダー大学コミュニケーション学部のシーナ・ハワード教授などによって指摘されている。ウィルソン氏の証言を聞いてみよう。
「奴は自分を見上げ、おそろしく攻撃的な顔をした。本当に悪魔のようだったとしか言いようがない」。
ウィルソン氏はブラウン君と対峙する自分のことを、「ハルク・ホーガンと対決する5歳の子供のようだった」「自分よりも明らかに大きかったし、強かった」「護身のために撃った」などと証言している。
ロングアイランド大学哲学部のマイーシャ・チェリー講師は、身長190cmで95kgあるウィルソン氏が、自分より3 cm高く、132kgのブラウン君に劣等感を抱いていることに注目。「ウィルソン氏の言葉を翻訳すると、『自分が男だと感じなかった!奴は俺より大きく強かった。俺はガキで、男じゃなかった。だが、俺は常に男でなければならない!(だから、撃った)』と語っている」と解釈した。
一方、ルイジアナ州立大学法学部のキャサリン・マクファーレン教授は、「米連邦最高裁判所は1985年の判決で、丸腰の黒人少年エドワード・ガーナー君(享年15)がテネシー州で強盗犯と誤認され、警察官に射殺された事件で、『容疑者が死や重大な傷害をもたらすと信じるに足る相当な理由がある場合、射殺は合憲』とした。これ以降、『殺されると思った』と証言すれば、容疑者が丸腰でも殺害が合法とされることになった」と説明。「ウィルソン氏は、まさにこの法的防御を使って起訴を逃れたのだ」と結んだ。
筆者が住むイリノイ州シャンペイン市でも、2009年10月9日に丸腰のキワネ・キャリントン君(享年15)らを強盗と誤認した白人のR.T.フィニー署長(当時)らが、「止まれ」の指示に従わなかったキャリントン君らに拳銃を向けようと取り出したところ「暴発」し、キャリントン君は弾に当たって死亡。フィニー署長らは、「事故だった」として罪に問われなかった。当地の黒人は納得していない。
これらの一連の事件に共通するのは、警察が「容疑者」に生殺与奪の絶対的な権力を行使し、少しでも従わない者をいとも簡単に殺害していることだ。逆らったら、射殺を含め、何をしてもよい。「法の支配」は、たとえ公務員でも平等に及ぶはずだが、それは建前だ。警察に仕事をしてもらっている検察は警察官に頭が上がらず、訴追できない。
「怖れ」は、黒人への殺傷を制度的に奨励し、正当化するシステムと化している。同じパターンが繰り返される警察の市民殺傷事件の背景にあるのは、「怖れ」による過剰反応を正当化する、米国憲法と法の支配そのものだ。そこには、制度の設計者の強固な政治的意志が込められている。
第2次世界大戦中の日系人強制収容も、建国期の先住民殺戮も、先住民大多数の反対にもかかわらず強行されたハワイ併合の発端となった1893年の白人クーデターも、みな白人が非白人を「怖れるに足る相当の理由」があった。
米国は、オバマ大統領のスローガンのように、「チェンジ」できるか。残念ながら、変化が起きると「信じるに足る相当の理由」はない。これからも、同様の警察による殺人は繰り返され、罪は永久に問われず、制度に憤る人の暴動は起き続けよう。
(このシリーズ、了)
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