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.社会  投稿日:2014/12/30

[為末大学]【人生の成否は死ぬ間際の納得感次第】~無駄こそ、生きている実感をもたらす~


為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)

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私の興味は人間らしさとはなにかという問いに行き着くことが多いのだけれど、その中でも納得感というのはとても興味深い。人生の成否は死ぬ間際に納得したかどうかで決まるという人もいるぐらいで、納得感を持って生きていくことと幸福感もかなり近い。にも関わらずどうすれば自分は納得できるのかを自分で掴むことは難しい。

例えばどうしても歌手になりたかった人がいて、一人は懸命に努力して努力した先にやっと歌手になった。もう一人は歌手になりたいと思ったと同時に親戚の音楽関係者が働きかけてくれて歌手になった。一体どちらの方が歌手になれた喜びが大きいのか。目的を達成することが一番なのだけれど、そのプロセスも喜びに大きく影響する。

人工知能が発達し、ほとんどの夢が叶えられる時、私たちは幸福だろうか。人工知能が勝手に出した答えと自分で悩んで出した答え、たとえそれが同じであっても実感はどちらの方にあるだろうか。全てが円滑に行われる時、私達はその人生を実感を持って生きていると感じられるのだろうか。

10年経ってまだ歌手になれていない30歳の若者は一体何歳まで歌手を目指せばいいのだろうか。いつ私達は夢を諦めればいいのか。答えはない。無いけれども仮に夢は叶わなかったとしても、若者は納得したいのではないかと思う。自分はやるだけやったんだと、それでもだめだったんだと、納得したいのではないかと思う。

東大の先端研究所の教授で中邑先生という方がいてこんな話をしてくれた。ある障害者の方の車椅子を作った時、体に合わせたはずの肘掛の高さが気にくわないと言う。高すぎるというから、下げてみると今度は低すぎると言う。上げてみて座ってもらうと今度は高すぎると言う。高すぎる、低すぎる。何度もそれを繰り返してそうそうこの高さがいいと言ったのは、最初の高さと同じだった。そのプロセスは無駄だったとも言えるかもしれないが、本人の納得感は違うだろう。納得のプロセスは外からは無駄に見えて、本人にとっては大事な儀式でもある。

全てが完璧に計算され自分にぴったりと合ったものが提供される時代では、納得感はどこにいくのだろうか。人間は迷い、間違え、そして根拠もなくこれがいいと決めつける。そしてその無駄こそが、自分で選んで生きているという実感を人間にもたらしているのではないか。

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