[有田曉生]【中高で社会を知る環境を整備せよ】~人育つ階梯(かいてい):18歳成人に想う~
有田 曉生(PMIコンサルティング株式会社 ファウンダー)
人は母体から生まれおちた瞬間から親離れを始める。親離れとは即ち発達であり、発達を積み重ねて新しいステージに上ることを成長と言う。成長は、なだらかな坂道ではなく階段のようなもので、だからこそ区切りとなる「時」を定めることに意味がある。そして、人は生涯を通して、この成長と言う階段に向き合っていくこととなる。
古来日本には、元服や出家という人生に区切りをつける知恵があった。元服は、およそ11歳から17歳に行われ、それまでの人生に決別し、名前を変えて大人として新たな人生の階段を上るための儀式だった。
一方、出家は、それまでの人生に決別し、俗世を捨てて人生の終末を受け入れる準備をするための儀式だった。同じ区切りではあるが、前者は社会の決めごととして定めた「時」であり、後者は自らの意思で決める「時」だ。
義務教育の期間も、人の成長を促すために社会が定めた「時」だが、成人年齢は、成長を促すために社会が定める最後の「時」となる。それ以降は全て自分で「時」を決めていかなければならず、それができる存在となった証を立てることに成人式の意義がある。それだけに、社会が定めた最後の区切りとして、成人するということを重視しなければならないのだが、今のそれはあまりにも軽い。
人の脳が周囲からの影響を受けて飛躍的に発達する時期が二つある。一つは0歳から6歳くらいの頃だ。そのため、その頃の家庭のあり方は大変重要になる。もう一つは12歳から18歳の頃であり、この時期には主に社会的な自我が育まれる。成人にとなるための準備期間としても、18歳で成人することも、誠に理にかなっていると言えよう。
12歳から18歳の頃の発達には、自分と比較する対象として様々な種類の大人と深く関わり合うことが大切になる。そのような環境の中で、自分を直視しながら社会的な自我を確立していくことは、大変ストレスのたまるものだ。そのため、高校を卒業する頃には疲弊して周囲からの影響を受けない時期が続く。だからこそ、その後大学で専門教育に没頭するにはうってつけの時期が訪れる。
ところが日本では、この大事な時期に様々な大人から影響を受ける機会もなく、詰め込み型の受験勉強に埋没していく。そのためか日本の大学生は、勉強に没頭することなく、社会との関わりをむさぼるようにして遊び始める。そんな時期と重なっている成人式の位置づけも軽くなるわけだ。
成人年齢を前倒しするためには多くの法律を変えていかなければならず、今はそこに社会の耳目が集まっている。しかし、それ以上に、成人を育むための社会的な環境づくりが急務ではないか。中学や高校は将来の進路をしっかりと考えることができる場にしていく必要がある。
大学は入学の敷居を低くして、安易に卒業させない方向に舵を切るべきだ。一方、学校教育も大切だが、そこだけに多くを委ねてはならない。子供にとって最も大切な学び舎は家庭であり、親こそが最高の教育者として子供に成人することの意義を教えていくことが基本となる。
人材を欲する企業も未来への投資として、中学や高校の段階で社会を知ることができる環境を提供していくべきだ。そして、成人になることに対して、社会全体が文化としての重さをつけていく必要がある。
今回は成人年齢をテーマにしたが、人には生涯の中に大切な成長の階梯がいくつもある。今年は、それらを一つひとつ取り上げていきたい。
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