朝日、ご乱心 安倍叩きに「トイレつまらせろ」?
古森義久(ジャーナリスト・国際教養大学 客員教授)
「古森義久の内外透視」
朝日新聞の2月28日朝刊(アメリカでの国際版)のコラム記事を読んで、びっくり仰天した。こんなハチャメチャな記事を載せて、日本の全国紙の名に値するのだろうか。記事が偏向とか誤報だというのならまだ理解できるが、内容があまりに粗雑、下品、かつ論理のかけらもなく、違法行為の扇動でもあるのだ。
私も長いこと新聞記者をしてきたが、こんなひどい記事はみた記憶がない。朝日新聞の編集というのは果たして大丈夫なのか。それとももうここまで落ちてしまったのか。
この記事は同朝刊の第4面に掲載された「政治断簡」と題するコラムふうの一文だった。筆者は政治部次長の高橋純子記者と記されていた。次長だから一般記者の取材や出稿を指揮する立場なのだろう。少なくとも中堅、あるいはベテランのはずである。
その記事のタイトルは「だまってトイレをつまらせろ」だった。
この記事の要旨を先に述べるならば、安倍政権に抵抗するためには公共のトイレで尻を拭く際に新聞紙をわざと使って、そのトイレをつまらせろ、というのである。そこに比喩的な意味が入っているとしても、そのトイレのつまらせ方をきわめて具体的に説明しているのだから、文字どおりに読めば、上記のような概要となる。まず記事の冒頭を紹介しよう。
「だまってトイレをつまらせろ」
このところなにかにつけてこの言葉が脳内にこだまし、困っている。新進気鋭の政治学者、栗原康さんが著した「はたらかないで、たらふく食べたい」という魅惑的なタイトルの本に教えられた。
まず筆者は「トイレをつまらせる」ことを実際に考えている自分の脳を強調するわけだ。そして「働かないで、たらふく食べたい」という言葉が魅惑的なのだという。その表現のなにが魅惑的なのか。普通の感覚とは思えない。
記事はさらに同書の内容として工場経営者が工場のトイレにチリ紙を完備しない場合、労働者はどうすべきか、という問いかけを紹介する。会社側との交渉や実力闘争という方法もあるが、ベストは「新聞紙等でお尻を拭いて、トイレをつまらせる」ことだという。
そしてさらにこう書くのだ。
チリ紙が置かれていないなら、硬かろうがなんだろうが、そのへんにあるもので拭くしかない。意図せずとも、トイレ、壊れる、自然に。修理費を払うか、チリ紙を置くか、
あとは経営者が自分で選べばいいことだ――。
つまりは工場内の共用、公共のトイレを壊せというのだ。意図的な行為なら刑法261条の器物損壊罪となる。だからこの記事は普通に読めば、犯罪行為をも扇動しているのだ。
ここで当然、ではなんのために、という疑問がわくだろう。高橋記者は記事の真ん中の部分で、「おのおのがお尻を何で拭こうがそもそも自由(中略)という精神のありようを手放したくはない」と話しを進める。そして最後の部分でやっと標的を示すのだ。
安倍晋三首相は言った。
「この道しかない」
固有名詞は関係なく、為政者に「この道しかない」なんて言われるのはイヤだ。
近道、寄り道、けもの道、道なんてものは本来、自分の足で歩いているうちにおのずとできるものでしょう?
はい、もう一回。だまってトイレをつまらせろ。ぼくらはみんな生きている。
さて以上の記事の主眼は普通に読めば、トイレで大便をした後に新聞紙を使え、という勧めに尽きてしまう。それが安倍政権への反対活動の最善の方法だというのだ。たとえ比喩やたとえにしてもだ。
そもそも新聞記者が自分の生命でもある新聞を尻拭きに使えという無神経、朝の食卓でも読まれる新聞に大便の事後処理を話題にする繊細さの欠落、そしてクソも味噌も安倍政権叩きに使う乱心ぶり・・・朝日新聞さん、正気なのですか、問いたくなる。
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この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授
産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。