Brexitの衝撃 同床異夢だった離脱派
神津多可思(リコー経済社会研究所所長)
「神津多可思の金融経済を読む」
全世界が注目した英国の国民投票、結果は欧州連合(EU)からの離脱派が過半数となった。直前には「残留」のムードが高まっただけに、金融市場は大きくリスク回避の方向に動いた。
元来マーケットは、時々刻々入ってくる情報で大きく振れながら新しい落ち着き所を探すものだが、今回の英国のEU離脱(Brexit)はその意味するところがあまりにも多岐にわたるだけに、マーケットも情報を消化するのに時間がかかるだろう。その間、不安定な状況が続くことは避けられない。
普通はインフレ期待が高まった時に買われる金が、どうみても短期的にはデフレ圧力になるBrexitを契機に買われているのも、ある意味、今回のマーケットの動揺振りを示している。
今日の国際金融市場では、将来何が起こるかはっきりしないので取り敢えずリスク回避のために資金を滞留させておこうという動きが強くなった時、光栄なことに日本円がその逃避先の一つとなる。
1980年代以降、自由化、国際化を進めてきた日本の外国為替市場・国債市場は、厚みがあり、いざとなったらすぐ資金を動かせる格好の一時逃避場所となっている。その結果として生じる円高が日本の経済を下押しするのであるから、金融自由化・国際化の帰結としては皮肉なものだ。
今後、英国とEUとの間でどういうかたちで離脱がなされるか議論が進む。しかし、英国内の離脱派が、実はかなり同床異夢であったことも次第に明らかになっている。離脱派の議論の焦点としては、国家運営の独立性回復、その一部になるが予算執行の独自性強化、移民の抑制などいろいろなものがある。英国の方針で国家運営はするが、排他的で内向きになるわけではないという主張もあれば、経済のグローバル化のトレンドを根底から否定するような意見もある。新しい政権は世論を踏まえつつ、いったいどのようなスタンスを打ち出すのだろうか。
また、連合王国としての英国にせよ、大陸欧州諸国にせよ、今回のBrexitを契機に、統合方向とは逆の多様化に向けたベクトルが強まることは避けられない。そうした社会のムードは、金融市場に似て振れ過ぎることがままある。今回のBrexitについても、離脱反対派は、営々と築いてきた欧州統合の果実を一夜にして失ったと嘆いている。
Brexitは、英国・大陸欧州の双方の経済にとって当面マイナスである。英国は景気後退に入るとも言われているし、大陸欧州にしても国によって程度に違いはあるが成長率は下押しされる。したがって、この問題の外側にいる日本にとっても、円高の影響の上に、それらの需要下振れに直面することになる。
さらに、これからのBrexitの過程は、どうなるか分からないことが多いだけではない。離脱までは最短でも2年、おそらくはそれよりかなり長い時間がかかりそうだ。したがって、この新しい不安定要因は当面消えないものとして付き合っていかざるを得ない。
その間に、金融市場が例えば円高方向にまた大きく振れて、それが日本経済をなかなか抜け出せない停滞に追い込むというシナリオも考えられなくはない。それを避けるためには、対症療法でマーケットの動揺を慰撫しなくてはいけない。
為替市場への介入は米国通貨当局との関係でハードルが高いかもしれない。いっそうの金融緩和としてのマイナス金利の拡大も日本の金融機関との関係では軽々には採用しづらいかもしれない。しかし、今回のような突発的イベントに対しては、柔軟な思考をもって特段の知恵を絞り出す必要がある。金融政策、財政政策の両面において、アイディアが全く枯渇してしまったわけではないだろう。まだ試されていない策もある。
1989年のベルリンの壁崩壊を契機に、世界経済の新しいうねりが始まった。その中で、市場メカニズムの浸透、経済のグローバル化は、各国の経済運営において、疑いを差し挟まない暗黙の前提となってきたようなところがある。しかし今回のBrexitは、その前提が必ずしも国民のマジョリティに共有されているとは限らないことを示している。
似たようなことは、今進んでいる米国の大統領選挙においても、大陸欧州諸国の諸選挙においても観察できる。市場メカニズムの浸透、経済のグローバル化が国民経済に恩恵をもたらす面があることは明らかだ。しかし、マジョリティが納得できるかたちでそれらを進めて行かないと、その恩恵を大きく放棄しなくてはいけなくなることもあるのである。私達も他山の石とすべきだろう。
あわせて読みたい
この記事を書いた人
神津多可思日本証券アナリスト協会認定アナリスト
東京大学経済学部卒業。埼玉大学大学院博士課程後期修了、博士(経済学)。日本証券アナリスト協会認定アナリスト
1980年、日本銀行入行。営業局市場課長、調査統計局経済調査課長、考査局考査課長、金融融機構局審議役(国際関係)、バーゼル銀行監督委員会メンバー等を経て、2020年、リコー経済社会研究所主席研究員、2016年、(株)リコー執行役員、リコー経済社会研究所所長、2020年、同フェロー、リスクマネジメント・内部統制・法務担当、リコー経済社会研究所所長、2021年、公益社団法人日本証券アナリスト協会専務理事、現在に至る。
関西大学ソシオネットワーク戦略研究機構非常勤研究員、オーストラリア国立大学豪日研究センター研究員。ソシオフューチャー株式会社社外取締役、トランス・パシフィック・グループ株式会社顧問。主な著書、「『デフレ論』の誤謬」(2018年)、「日本経済 成長志向の誤謬」(2022年)、いずれも日本経済新聞出版社。