潘基文氏は国連で何をしたのか その3 縁故と偏向と
古森義久(ジャーナリスト・国際教養大学 客員教授)
「古森義久の内外透視」
潘基文国連事務総長への採点評価での第二の基準は公正さ、である。国連事務総長としての中立性の有無ともいえよう。
だが潘氏は総長としてのネポティズム(縁故主義)をも批判されてきた。まず潘氏が事務総長になってすぐ自分のスタッフや国連事務局高官として韓国人を大幅に優先して採用したことが指摘された。国連事務局での韓国のプレゼンスは従来それほど大きくはなく、潘氏の就任半年前の時点では韓国人の職員は54人だった。
ところが潘氏が就任して一年ほどの間にその韓国人の数は66人へと急増した。一年ほどで20%の増加だった。新しい国連事務総長が登場すれば、その総長を輔佐する新しい補佐官などを総長の出身国から採用することは奇異ではないが、韓国の場合の二割増加というのは規範を越えていた。
しかも新採用された韓国人たちは外務省など本国政府の高官が多く、国連事務局で新配置されたポストも枢要な地位が目立った。だから潘氏の過剰な縁故採用という批判も起きたわけだ。その結果、ニューヨークの国連本部ビル38階にある事務総長のオフィスは上級顧問職などに韓国政府出身者がとくに増えたうえ、オフィスの壁にはサムスン電子製の薄型テレビがびっしりと並べられたという。
潘総長に対しては自分の義理の息子を不当に抜擢したという批判も浮上した。2013年末に潘氏の次女の夫、インド人のシダース・チャッタジー氏がケニヤのナイロビの国連人口基金のトップに任じられたことがその焦点だった。インドの軍人出身のチャッタジ―氏はそれまで国連とは直接の関係のない国際赤十字の本部に勤めていた。この抜擢ぶりが国連事務局内部で「縁故主義」の非難を招いたのだ。
その他、潘事務総長の実績を「公正か、中立か」でみても、とにかく厳しい評価だけが浮かびあがる。前述のノルウェーの国連次席大使だったジュール氏のメモも、新総長が国連の本来の中立という基準を破り、偏向のあらわな特徴を総括して、次のように述べていた。
「潘総長は最近のダルフール、ソマリア、パキスタン、ジンバブエ、コンゴなどでの危機に対しても気概のない、魅力もない対応しかできなかった。これら各地での紛争では国連はまったくリーダーシップを発揮できなかった。また潘氏は国連安保理の常任理事国に対してきわめて弱い対応しかとれていない。ところが中小国家だけの争いでは猛然と高圧的な言辞をときおり吐いたりする」
さらにより具体的に潘氏への批判の実例を列記してみよう。米欧の外交専門家たちの多くは以下の諸点を潘総長の「制度的あるいは個人的な失敗」として指摘する。
・スリランカで2009年に内戦が起き、政府側が反政府勢力を多数、殺したが、国連はその現実を熟知していても、なにもしなかった。その大規模な虐殺の黙視を非難されても潘総長はなにも答えていない。
・ハイチで2010年に広がったコレラで現地住民9000人が死に、その伝染病の発生源は国連平和維持部隊の要員だと確認されたにもかかわらず、最高責任者としての潘総長はなんの責任を示す言動をとらなかった。
・国連が中央アフリカ共和国へ送った平和維持部隊が2014年からの2年ほどの間に地元女性への性的暴力を続け、現地住民の恐怖を広めたが、責任者の潘総長は明確な対応策をとらなかった。
・アフリカのエボラ出血熱は2014年に始まり、明らかに国連機関の対応の失態で拡大が増した。だが潘総長はその失態を認めず、伝染の拡大への新たな対応策を示さなかった。
・潘総長は2016年1月にパレスチナのテロ組織の殺傷行為に理解を示す言明をして、イスラエルの激しい反発を招き、現地の紛争を結果的にあおった。
・潘総長は同年3月、モロッコ政府が実効支配する西サハラ地区への訪問でその支配を「占領」と評し、モロッコを攻撃する「ポリサリオ戦線」の主張を全面的に認める形となった。調停役の国連代表としては失態だった。
・潘総長はシリアのアサド政権が内戦で自国民を多数、殺しても、ロシアがウクライナのクリミアを奪取しても、いずれも「中立」の名の下に効果的措置をなにもとらなかった。
以上のような実例には国連自体がいかに努力をしても効果があがらないという場合ももちろんあるだろう。だがいずれの場合でも潘総長は最小限の行動しかとらず、とくに国連安保理の常任理事国には批判的な言辞を決してぶつけないというパターンが定着しているようなのだ。
(その4に続く。前5回。毎日11:00配信予定。この記事は月刊雑誌「月刊HANADA」2016年10月号からの転載です。)
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この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授
産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。