アスリートのプロ化の歴史とメリット
為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)
体操の内村航平選手と、ケンブリッジ飛鳥選手がプロ化するというニュースをみました。それについて、いくつかプロ化について質問があったので答えてみたいと思います。
まずそもそもアマチュア競技(五輪系)では、プロとアマの線引きがほとんどありません。アメリカではNCAAの規定に引っかかるとかで大学を休学してプロになるような選手もいました。日本では大学生でも契約金や賞金をもらっていることが少なくないので、事実上プロとアマの境目はありません。
日本は世界でも非常に珍しい企業スポーツというシステムが発展している国です。企業に会社員として所属しながらスポーツを主に行うというものです。引退後の心配をしなくてもいいと相当に日本以外の国から羨ましがられる企業スポーツシステムですが、最近では費用対効果の観点から株主に存在意義を説明しずらく、少し考え直されています。また引退した選手が30歳を過ぎるまでビジネス経験がないまま会社で仕事を始め、仕事についていけないので退社する
という例も散見されます。企業スポーツが今後どう変化すべきかは議論する必要があるかと思います。
プロ化ではっきり違いがわかるのは雇用形態です。つまり正規雇用がアマチュアで(契約社員などの場合もあり言い切れないのですが)、単年度契約に切り替わるとプロになるというものです。もっとつまらない話をすれば、会社目線から見ると選手に支払われるコストが人件費から宣伝広告費や販売促進費などの予算に切り替わるということです。プロ化は簡単に言えば脱サラです。
以前は、ガンバレ日本キャンペーンという、アスリートの肖像権を一括管理してそれを売って強化費に当てるというシステムがありました。2000年以前のプロ化はこのシステムから自分の肖像を外すことをさしています。スポンサーにはこれだけの選手の肖像を使えますよということでスポンサーフィーをいただく訳ですから、当然選手が肖像を外すとなるとこれが崩れてしまいますので、結構抵抗が大きかったように思います。有森裕子さんがプロ宣言をした頃は選手からしてもプロという言葉を使うことに少し危険な匂いがしましたが、そういう背景がありました。
私がプロ宣言することはまだ少しこの空気があったのでびくびくしながら会社をやめましたが、抵抗感も有森さんの時代ほどではなく、また知名度もそれほどない選手だったので想像以上にすんなりとプロになりました。確定申告を自分でやるようになり、少しばかり取引先とのやり取りを覚え、自分を売ることを考え始めたというのが変化と言えば変化でしょうか。ただ知名度の高い選手の場合はおそらくこれから(もしくはすでに)水面下でメインスポンサーや、スポーツブランドなどとの交渉が進んでいくのだろうと思います。
どの程度選手が事務作業を行うかのかは程度が違うと思いますが、多くの場合マネジメント事務所に所属します。マネジメント事務所は選手にスポンサーをつけたり、いろいろなイベントに出演させることで、その売上の一部をもらうという仕事です。もしどこかに所属する場合、この事務所の性質によって今後の選手たちの露出の方向が決まっていきます。
いずれにしても自由な活動ができるようになるのは間違いなく、また個人的な経験からプロになって成長したと思っているので、私はプロ化をする選手が増えるのは望ましいと思っています。
(為末大HP より)
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この記事を書いた人
為末大スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役
1978年5月3日、広島県生まれ。『侍ハードラー』の異名で知られ、未だに破られていない男子400mハードルの日本 記録保持者2005年ヘルシンキ世界選手権で初めて日本人が世界大会トラック種目 で2度メダルを獲得するという快挙を達成。オリンピックはシドニー、アテネ、北京の3 大会に出場。2010年、アスリートの社会的自立を支援する「一般社団法人アスリート・ソサエティ」 を設立。現在、代表理事を務めている。さらに、2011年、地元広島で自身のランニン グクラブ「CHASKI(チャスキ)」を立ち上げ、子どもたちに運動と学習能力をアップす る陸上教室も開催している。また、東日本大震災発生直後、自身の公式サイトを通じ て「TEAM JAPAN」を立ち上げ、競技の枠を超えた多くのアスリートに参加を呼びか けるなど、幅広く活動している。 今後は「スポーツを通じて社会に貢献したい」と次なる目標に向かってスタートを切る。