スポーツ  投稿日:2016/12/13

自由とは自分の人生を生きる覚悟

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為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)

縁がありポーランンドに行く機会があったので、アウシュビッツを見学して来ました。犠牲者の方が残された膨大な量の眼鏡や、髪の束を見て、衝撃を受けました。同時に、人間はある枠組みを与えられるとここまでのことをしてしまうのかという恐ろしさも感じました。人間の性だとすれば、同じ要素が私の内側にもあるわけです。

とても印象に残ったのは、トイレにある石鹸置きと、そして被害者のユダヤ人の方の遺品をまとめた書類でした。まずトイレは民間企業に発注されたもののようです。当たり前ですが戦時下でもビジネスは動いていて、アウシュビッツの備品や建物も民間企業が多く参画していたそうです。

また、被害者の方々の衣服を最後に取り上げるわけですが、それらでまだ使えるものはまとめて売却されたそうです。その際に作成された書類が展示されていたのですが、見た感じではまったく背景を感じさせないものでした。ジャケット×10、シャツ×4という風にただの数字の羅列になっていました。

見事に仕事が分断されていました。私は連れてこられた人を運ぶ役。私は点呼を取る役。私はドアを閉める役。一人一人の仕事が細かく決められていました。戦後様々なところで裁判が行われたそうですが、私は命令に従っただけだと答えた人がとても多かったそうです。指導的役割を担ったアイヒマンですらそうでした。ハンナ・アレントが言うように、ひたすらに凡庸に命令に従うことで罪の意識を持たなかったのかもしれません。

私自身は自由というのを非常に重んじていて、会社への出勤も出来る限り無くしていきたいと思っていますが、一方で実は人間自身が自由から遠ざかろうとしているのではないかと思う時があります。

自由とは自ら選べる権利を有し、且つそれを活用することが背景にあると考えていますが、自ら選べば当然その責任は自分に降りかかってきます。それが現実的に責任を取らされるかどうかはさておいて、心理的にはそれなりに負担が大きい状態なのではないかと思います。

人は受け身でい続ける限り、心理的に感じる責任を外に置いておけるのではないかと思うのです。言われた通りの学校に行き、言われた通りの会社に入り、言われた通りの仕事をする。自分で選んでいるようでいて、実のところ自分の人生に自分の意志はあったのかと言われると、少しどきっとしてしまいます。

自由とはもしかして、人生のどこかで自分で自分の人生を生きていくのだと覚悟を決めることなのではないかと思いました。そしてそれは思ったよりも大変で、日々自由でい続けようと挑戦していないとすぐになまってしまって勇気が出なくなるような気がします。

アウシュビッツの鉄のゲートを出た時に、ものすごく全身が自由に解放された気分になりました。不自由からの解放が自由なのかもしれないなと思えてなんとも考えさせられました。

 為末大HP より)

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この記事を書いた人
為末大スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役

1978年5月3日、広島県生まれ。『侍ハードラー』の異名で知られ、未だに破られていない男子400mハードルの日本 記録保持者2005年ヘルシンキ世界選手権で初めて日本人が世界大会トラック種目 で2度メダルを獲得するという快挙を達成。オリンピックはシドニー、アテネ、北京の3 大会に出場。2010年、アスリートの社会的自立を支援する「一般社団法人アスリート・ソサエティ」 を設立。現在、代表理事を務めている。さらに、2011年、地元広島で自身のランニン グクラブ「CHASKI(チャスキ)」を立ち上げ、子どもたちに運動と学習能力をアップす る陸上教室も開催している。また、東日本大震災発生直後、自身の公式サイトを通じ て「TEAM JAPAN」を立ち上げ、競技の枠を超えた多くのアスリートに参加を呼びか けるなど、幅広く活動している。 今後は「スポーツを通じて社会に貢献したい」と次なる目標に向かってスタートを切る。

為末大

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