ソチ五輪“競技を分析した記事”が少ない理由〜分析とドラマとマスメディア
為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)
◆分析とドラマとマスメディア◆
ソチ五輪も終盤に差し掛かってきて、ふと思うのは「記事に“競技を分析したもの”が随分少ないな」という印象がある。家族の事、人間性、仲間の話は十分にあっても、どういう戦略で選手が取り組んできて、結果どうだったか。それを分析した話が少ない。
昔、それをメディアの方に話した事があったのだけれど、「いや、結局そんな記事は読まれないんですよ」とその人は言っていた。それも、ちゃんと繰り返して行けば浸透するのかもしれないとは思ったけれど、でもある種、メディアのその辺りの感性は鋭いから、本当に世間が求めてないのかもしれない。
マスメディアが人々に影響を与えているのか、それとも人々が欲するものをマスメディアが提供しているのか。どちらの側面もありバランスなのだろうけど、もしかすると日本人は分析なんて欲しくないのかもしれないとも思う。分析は大体、元も子もない。
旧日本軍の組織的問題を書いた失敗の本質では“科学的分析の欠如”を書いている。感覚的、主観的な判断で決定を下し、現実とずれている部分は現場が“根性”で補う。また、実際に作戦が行われた後の分析も、突き詰めてやれば誰かの責任になってしまうので、敢えて曖昧なまま終わったと。簡単な分析だけれどこの辺りはとても見ていて面白い【参考】。
正直な話をして、今回の冬季五輪はルールや採点基準があまりよくわからなかった。誰が勝ったのか、なぜ勝ったのかがよくわからない。五輪側の問題かもしれないけれど。
マスに対抗してネット記事はそちらに流れるかなと思ったが、どうもそうではない所を見ると、やはり世間が求めていないのか。海外の記事にアクセスする事の一番のメリットは科学的分析の視点に触れられる事なんじゃないかと、ふと思う。
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