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国際  投稿日:2018/2/8

ISはイスラムのオウム イスラム脅威論の虚構 その2

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林信吾(作家・ジャーナリスト)

林信吾の「西方見聞録」

【まとめ】

・「イスラム原理主義」にはサラフィー主義とワッハーブ主義がある。

・異教徒を皆殺しにしていいとするISは「オウム真理教」と同様。

手前勝手な「教義」をかざし世界平和を乱すISら過激派に未来はない。

 

【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては全て表示されず、写真説明と出典のみ記されていることがあります。その場合はJapan In-depthのサイトhttp://japan-indepth.jp/?p=38362でお読み下さい。】

 

昨今わが国のマスコミでは、数々のテロ事件を引き起こしたイスラム過激派について「イスラム国」という名称を用いず、ISと略称で呼ぶようになっている。イスラミック・ステートの頭文字なのであるから、同じ意味なのだが、イスラム国と呼ぶと国際社会が承認した国家であるかのごとき誤解を招く、ということであるらしい。一方、彼らの思想について「イスラム原理主義」と呼ぶのは相変わらずだ。

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▲写真 ISの兵士 出典:Wikimedia Commons  Author: Alibaba2k16

今回は、イスラム原理主義と呼ばれる思想に、実はふたつの流れがあるということを知っていただきたい。ここが理解できないと、どうして自爆テロのような行動が繰り返されるのか、まったく理解できないままに終わってしまうし、イスラム一般に対する誤解を解くこともできないであろう。

話の順序として、まずはイスラムがどうして急速に勢力を広めることができたのか、という点から見てゆかねばならない。キリスト教がローマに伝わってから、国教の地位を得るまでに、当初の過酷な弾圧の歴史を経て、400年ほどが費やされたわけだが、イスラムはその半分にも満たない時間で、中東から北アフリカ一帯を席巻した。

ここで少し余談にわたるが、「キリスト教」「イスラム」と使い分け、イスラム教と表記しないのは、現代の研修者の間では、イスラムは単なる宗教ではなく、生活のあり方全般を規定する、文明の一形態と考えるべきである、との認識が広まってきているからである。

話を戻して、なぜイスラムが急激に勢力を拡大し得たのかと言えば、キリスト教団が殉教を美徳とする精神性にのみ教団発展の原動力を求めたのに対し、イスラムの方は、まずもって預言者ムハンマドという人が、政治的・軍事的な才能に恵まれており、ある時は権力者と良好な関係を築いて支援を取りつけるかと思えば、またある時は信者を武装させて強大な敵を打ち負かす、という行動が取れたからである。教友と呼ばれる初期の高位の信徒たちは、同時に優れた軍事指導者でもあった。

このような、軍事力と布教を見事に結合させたイスラムの活動を、後世のキリスト教社会の歴史家は、「右手にコーラン(=クルアーン)、左手に剣」と評したのだが、これがいつしか曲解され、改宗しない者は殺すぞ、というのがムスリム式の発想であるかのごとき言説が広まった。

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▲写真 コーラン 出典:pixhere

世に言うイスラム恐怖症の源流がここに見られるわけだが、こうした誤解が自然発生的に広まったものなのか、それとも「右の頬を打たれたら左の頬を出せ」と説いたキリスト教に対して、暴力に訴えることをよしとするイスラム、という図式が意図的に描かれたものなのかは、よく分からない。ひとつ言えることは、イスラムもまた寛容を美徳とする教えであって、クルアーンにも、イスラムに改宗しない者は殺してもよい、などとは一行も書かれていない、ということだ。

ともあれ、政治的・軍事的要因もあって、大いに勢力を拡大したイスラムであったが、18世紀から19世紀にかけて、軍制や軍事技術の面で長足の進歩を遂げた列強から、繰り返し侵略を受けるようになった。

かつてインド亜大陸に覇をとなえたムガール帝国は英国東インド会社の軍門に下り、オスマン帝国はロシアから圧迫を受けるようになり、エジプトはナポレオン率いるフランス軍の上陸を許す、といった具合である。

こうした事態に対して、イスラム社会が堕落したからこうなったのだ、との反省に立ち、サラフ(先達)の時代に帰れ、と唱えるサラフィー主義が台頭した。現在でも、エジプトのムスリム同胞団などは、このサラフィー主義の流れを汲むとされている。読者ご賢察の通り、これがイスラム原理主義と呼ばれる思想の源流のひとつである。

もうひとつは、18世紀にアラビア半島で起こったスンニ派内部の改革運動で、ワッハーブ派あるいはワッハーブ主義と呼ばれる思想の流れである。

イスラムにはスンニ派とシーア派が存在し、スンニ派が多数派の地位にある、というあたりまでは、日本でも最近知られるようになってきたが、両者の相違点をごく簡単に述べると、イスラムの慣行(スンナ)に従う者の中から指導者が出ればよい、と考えるスンニ派に対し、ムハンマドから後継者に指名された者の系譜だけに指導者の資格がある、と考えるのがシーア派といったところだ。シーアとは本来「党」を意味するらしい。

ただ、両派が昔から血なまぐさい抗争を繰り広げてきたという事実はなく、相手方を殲滅せよ、などと声高に言う人もいなかった。アブドゥル・ワッハーブらによって、スンニ派の新たな一教団が立ち上がるまでは。

ワッハーブ派の教義を煎じ詰めれば、自分たちだけが真のムスリムだ、というところに帰着するのであって、シーア派などは、キリスト教徒などと同列の異教徒であり、したがってジハード(聖戦)を仕掛けてもよい、というものである。

このワッハーブ派は、アラビア半島内陸部の豪族であったサウド家との結びつきが強く、サウド家が後に半島の大部分を統一してサウジアラビアを建国した後も、国教の地位を得ている。どちらかと言うと、王家が国富を独占していることに対する庶民の不満をそらすために、ワッハーブ派への支援を続けていると見られているが。

あのオサマ・ビンラディンも、かつてはワッハーブ派の信徒であったとされている。

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▲写真 オサマ・ビンラディン氏 出典:photo by Hamid Mir

「中東で、本当に民主的な選挙を実施したら、サウジでは〈ビンラディン大統領〉が誕生しかねない」などと言われたが、あながち妄言と決めつけられないのだ。

いずれにせよ、イスラム原理主義と呼ばれる人たちは、軍事力の裏付けがあったからイスラムの勢力が大きくなり得た、と歴史を総括はしても、そこからなにを学ぶべきであったかが分かっていない。前にも述べたことだが、どこかの都市を急襲して支配下に置き、交通路を確保して「イスラム国」の領土を広げ、最終的には全イスラムの失地回復=スペインからパキスタンまでを支配する、などという戦略をとったなら、ハイテク兵器を揃えた側に太刀打ちできないのは理の当然である。信仰で軍事的な力関係を逆転などできないことは、18世紀にすでに立証されているではないか。

しかも支配地においては、異教徒や同性愛者を皆殺しにしてもよい、としている。かつてのイスラムの支配地域では、異教徒もジズヤと呼ばれる人頭税さえ納めれば信仰の自由は保障された。

かつて日本でも、本来は魂の救済を意味する「ポア」という単語を、自分たちの利益のためには人の命を奪ってもよい、と曲解し、実際に幾多の殺人事件を引き起こした教団があった。その名をオウム真理教と言う。

規模の違いこそあれ、イスラム過激派と呼ばれる人たちがやっていることも、これと変わらない。手前勝手な「教義」をかざして世界の平和を乱す者たちに未来などないし、なによりも、寛容の精神を保つ一般のムスリムにとって、迷惑以外のなにものでもない。

(この記事は イスラムと縁遠い日本 イスラム脅威論の虚構 その1 の続きです)

トップ画像:イラク軍、クルド人治安部隊「ペシュメルガ」らと共にイスラム国を攻撃する米陸軍第82空挺師団  イラク・モスル2017年7月6日 出典 U.S. Department of Defence, Army photo by Sgt. Christopher Bigelow

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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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