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.社会  投稿日:2014/4/26

[為末大]<聖職の罠>私生活より仕事を優先する能力の低い教員とそうではない能力の高い教員はどちらが優秀?


為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)

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学校の教員は聖職であり、公的な職業についているのだから、私生活よりも仕事を優先すべきだという意見がある。

確かに教育は大事な領域で子供達に与える影響も大きく、有る意味では将来の国づくりに関わっている。 職業に貴賎はないというのが僕の理想論だけれど、確かに職業によっては社会に与える影響が大きいものもあるのは事実だと思う。

その中でも学校の先生、病院の先生、その他、社会に貢献している意味合いが強い職業は給与をもらうだけではない動機がある程度あるのだと思う。

二人の教員がいるとする。

一人は教員という職業に魅力を感じ、私生活よりも仕事を優先させ、何より学校の子どもの為に生きているが、能力は低い。

もう一人は他の職業と同じように捉え特段自分の人生を捧げたりしないが、能力は高い。

どちらの先生が優秀な先生だろうか。私たちは何で効果を計るべきだろうか。

昔、先輩で練習量を増やさないと、苦しい練習をしないと気が済まない人がいた。実際には練習効果があるかどうかよりも自分が支払う苦しさという犠牲で自分を評価していた。悲しいかな彼の競技力は伸びどまった。

犠牲で評価をする世界では、女性が子育てをしながら余裕を持つことも、無駄な残業を減らすこともできないように思う。女性が働く環境の整備、待機児童を減らすこと、労働基準法を作ること。いろんなものを犠牲で評価する文化が全て建前にしてしまう。

誰かが犠牲になっているから社会が成り立っている側面はある。そして最近は、犠牲になっている人に「それがあなたの望みでしょう」と徹底的に犠牲を押し付ける風潮があるように思う。

 

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