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.社会  投稿日:2014/6/18

[為末大]<当事者として考える>原発事故や韓国旅客船沈没事故、小保方疑惑などの問題が起きた時にどう考えるか?


為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)

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原発事故や、韓国の旅客船沈没事故など、問題が起きた時に私達はその事を考える。原因は何か、防げなかったのか、誰の責任か。船長の行動に問題があるという意見があったり、大統領や政府の対応に問題があるという意見もある。

確かに問題は政府にあった、一企業にあったという事で説明できると思う。けれどもいくらそう言った所で、はっきりとしているのは、そこに生死があるという事で、悪いのはリーダーだと言いながらも、死んでいくのかそれとも生き残るのかは現場の自分の判断にかかっている。

徹底的に当事者なのが修羅場だと思う。次に何が起こるのかわからず、誰を信用していいかわからず、全体も把握できず、正しい答えも無い。そういう状況でどういう判断を下すか。全ては結果論でしかなく、正しかったかどうかは結果が決める。

全体の問題と責任の所在と再発防止を考える事と、自分がその立場だったらどうするのかを考える事は感覚的に随分違う。外から見ているとこうすべきだと思っても、実際に自分だったらできないなという事は山ほどある。そして理想論は修羅場ではあんまり役に立たない。

当事者であるという事は命令があったとしても、それに従うかどうかを自分で決めるという事だと思う。命令があるから動くのではなく、命令に従うと決めたから動く。あまり違わないように思えるこの差はとても大きい。

時々、道徳的な人を見て、想像力の無さを感じる時がある。例えば小保方さんの会見で自分ならどうするかと聞く「私ならあんな事をそもそもしていない」と言う。どんな事象を見ても当事者として考えられず、傍観者として生きている。

 

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