[宮本雅史]【沖縄”民意協奏曲”を考える】~沖縄を”被害者”と位置付けた安全保障議論止めよ~
宮本雅史(産経新聞社編集委員)
|執筆記事
またまた始まった「民意協奏曲」。舞台は沖縄県。一年間を通して米軍普天間飛行場の移設問題で揺れる沖縄。普天間飛行場の名護市辺野古への移設作業が進む中、移設反対組は徹底抗戦している。となると、判で押したようにテレビ各局や一部新聞などが報じるのは「沖縄県民の民意を無視」という文言だ。沖縄の民意とは?沖縄で勤務した四年間で常に考えさせられたのはこの沖縄の民意の意味である。
五年前になる。沖縄に赴任してすぐに、移設予定地の辺野古を訪ねた。理由はメディアが伝える「県内移設反対」という沖縄県民の民意を確認するためだ。海兵隊が駐留するキャンプシュワブ傍のテント村には移設反対を唱えるグループが陣取っており、話を聞くと返ってきた答えは「移設反対」。余りの力強さに反対の強い意志を再認識した。
それでも、一応住民の声を聞こうと、辺野古の住民数十人にインタビューをした。ところが、名刺を差し出すと、相手はきょとんとしている。相手に取材の意図が伝わらなかったのだろうと思っていると、返ってきた答えは「あなたが初めてだ」。ただすと、普天間飛行場の移設先の当事者である辺野古住民の声を取材に来た新聞記者は私が初めてだというのだ。
さらに9割近い住民は、移設は、条件付きで賛成だった。条件とは経済振興をさすのだが、経済的な補助を確約してくれれば賛成だというのだ。正直、驚いた。さらに複数の住民は続けた。「とにかく反対ありきさ。メディアも反対一色。だから、我々も本音を言えない」住民の移設容認の声が封殺されていたのだ。
さらに、こんなケースにも遭遇した。沖縄では、米軍関係の課題があるとかならずといっていいほど、県民大会なるものを開催する。あるときの県民大会。普天間飛行場の県内移設反対の決起集会だった。会場には革新系の旗が所狭しとたなびいていた。
驚いた事がいくつかある。そのひとつ。大会が始まってすぐ、地元新聞が「県内移設反対を決議」の号外を配布した。まだ始まって数分。決議などされていないのに、である。加えて、参加者の数。主催者側は十万人近い数字をあげた。ところが、複数の情報機関の調査だと三万人足らずだという。一平方㍍に何人座れるか、で計算すると、多くて三万人だというのだ。
ところが、メディアは十万という数字を伝えたため一人歩きし始めたのだ。今でもその数字は歩き続けている。一次が万事、この調子だ。民意が意図的に創作されている可能性が高いのだ。
来年で終戦七十年。日本の安全保障を考えた場合、沖縄の存在意味は大きい。仲井真知事は終始一貫こう言い続けている。「私は日米安保には賛成。日米同盟も必要だと思う。ただ、日本人全員で、安全保障を真剣に考えて頂きたい」
沖縄は安全保障の在り方を考える場でもある。我々日本人は、軸足を日本に置き、我が国の安全保障を真に考えているのだろうか?沖縄を被害者に位置づけ、肝心要な議論を忘れ、協奏曲を奏でているようにしか映らないのだ。
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1953年、和歌山県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、産経新聞社入社。1990年、米国・ハーバード大学国際問題研究所に訪問研究員として留学。1993年、ゼネコン汚職事件のスクープで日本新聞協会賞を受賞。司法クラブキャップ、警視庁記者クラブキャップ、東京本社社会部次長、バンコク支局長などを経て一時退社。その後、書籍編集者、フリージャーナリストを経て、産経新聞社に復社。那覇支局長を経て現職に。主な著書に、『「特攻」と遺族の戦後』『海の特攻「回天」』(以上角川ソフィア文庫)『報道されない沖縄』(角川学芸出版)『歪んだ正義──特捜検察の語られざる真相』(角川文庫)『電池が切れるまで』(角川つばさ文庫)など。