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スポーツ  投稿日:2015/4/28

[Football EDGE 編集部]【第2節】香港在住ビジネスマンが始める、サッカー事業の軌跡(アーカイブ)


Football EDGE 編集部

(文・写真 池田宣雄)

 執筆記事

近年、アジアでサッカービジネスに関わる日本人が増えてきた。香港在住15年を数える、池田宣雄氏もそのひとりだ。32歳のときに香港で起業し、コーポレートコンサルタントを営むかたわら、サッカーに関する様々な業務のコーディネーターとしても活動している。金融の街としても知られる香港より、スポーツ×ビジネスの観点から綴るエッセイをお届けする。

◆本気でサッカーに取り組んだ10年間

筆者は小学3年生から高校を卒業するまでの10年間、本気でサッカーに取り組んでいた。小中学生の頃は地元の選抜チームにも招集されていたし、高校生の時は冬の高校選手権出場を最大の目標にして、昼夜ボールを追い掛けていた。大学や実業団でもサッカーを続けて行くつもりだった。

関東大会に出場した事のある地元高校に進学した。上手い選手が集まると聞いていたし、そこの指導者の下でプレーしたかった。サッカー部の先輩筋には、大学や実業団で活躍している選手もいたし、現実的に自分の選択に間違いはないと信じていた。

しかし、結果的に選択は間違いだった。いるはずの指導者は、入学直前に他校への転籍が決まってしまい、入部したサッカー部は既に崩壊していた。競技経験のない教員が顧問となり、部の規律は乱れて退部者が続出。素晴らしいものを持っている先輩や同級生がピッチから去って行く現実は、本当に辛かった。

程なくしてポジションを得て、試合に出てみたものの、既に競技集団とは言えない同好会のようなチームでは、勝ち上がる事などできない状況に陥っていた。高校2年時のインターハイ予選で県のベスト8まで進んだのが最高の戦績。周りは誇らしく感じていたようだったが、筆者は到底納得できる状況ではなかった。

そして進路を決めなければならない時期がやってきた時、当然ながら強豪大学や実業団からはひとつも声が掛からなかった。然したる戦績がない以上、それは受け入れなければならない事だったし、筆者個人的にもサッカー競技への情熱が、些か薄れてしまっていたのだ。

当時ひとつだけ、東京都の下部リーグで戦っていた大学(現在は関東リーグの強豪)のセレクションに合格したので、競技生活の継続も可能ではあったが、セレクションに集まった選手たちのレベルも低く、自身のやる気もみなぎってはこなかったので、推薦入学を辞退させて頂き、その時点で本気の競技生活を終える事となった。

◆サッカー競技の最大の魅力とは?

それ以降、大学生の時も社会人になってからも、同好会レベルの楽しむサッカーには参加してきたが、そもそも楽しくボールを蹴るという姿勢で競技してきた訳ではないので、そこで自身が満たされる事は何一つとしてなかった。その後、若年代の指導をする機会や、草サッカーを講じる機会はあったが、いずれも長続きはしなかった。

厳しい競争を勝ち抜き、プロとしてピッチに立ち続ける選手たちを、心から尊敬している。それは、本場欧州でプレーする超の付くスター選手から、世界中の至る場所の下部リーグでプレーする選手まで、すべてを指す。どんな環境であれ、ピッチでプレーする事を生業としている選手たちが輝かしい。自分が成し得なかった職業に従事している姿に違いなどないからだ。

子供たちの育成や大人たちの健康増進に、サッカー競技は有用に違いない。それらに携わっている方々を尊重しているし、今後は何らかの形で協力し合える環境も整えて行きたい。しかし、サッカー競技の最大の魅力とは、選ばれしプロサッカー選手たちの必死の戦いに、一喜一憂しながら共存共有する事だと思っている。

香港、そしてアジアで暮らす在留邦人の皆さんが、各々現地のスタジアムに足を運ぶきっかけになる事を、今後は数々提供して行く予定だ。それらの詳細は追々このコラムでも書いていきたいと思う。(第3回へ続く)

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2012年3月第2号掲載コラム加筆修正

<プロフィール>
池田宣雄(いけだ・のぶお)
香港紫荊會有限公司・代表取締役社長。大学卒業後、物流大手営業職等を経て、32歳の時に香港で起業。コーポレートコンサルタントのかたわら、フットボールコーディネーターとして香港で活動している。香港サッカー協会会員。1970年生まれの45歳。

提供元:<Football EDGE>10849790_1522512774673452_699522702208334408_n


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