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.国際  投稿日:2015/4/30

[須藤史奈子]【エベレスト街道で被災して】~ネパール大地震:発生から最初の1時間 1~


須藤史奈子映像ディレクター、プロデューサー)

プロフィール

4月25日(土) カトマンズから東に約140キロ。通称「エベレスト街道」の中程に位置する標高3860mの村、タンボチェに辿りついた時には、お昼ご飯の時間になっていた。私は宿泊するロッジの扉を開け、ダイニングルームのベンチにザックを下ろし、メニューを開いた。

その時だった。頭がフラっとし、ガタガタッという音が聞こえた。あ、地震だ。 とっさに机の下にもぐろうと体を屈めたその瞬間、「Out! Out!」(「外だ!外だ!」)と大きな声が室内に響く。山岳ガイドのプリさんが叫びながらドアの前で腕を大きく振っている。真っすぐ立っていられないくらい大きな揺れが襲った。ヤバい。必死に外へ逃げた。

建物から3メートルくらい離れ、振り返ると、ゴトゴトという音と共に外壁の石が崩れ落ちるのが見えた。その瞬間「ああそうか」と恥ずかしくなった。私が今までいた建物は石造りの3階建てだ。もう少し揺れが強かったら、机の下に隠れたところで、机もろとも潰されていただろう。「地震がきたら机の下」はネパールでは通用しないのだ。

少し冷静になって、あたりを見渡すと、ヨーロッパ系の人たちはひどく興奮しているようだった。後で聞いた話では、地震を体感したのは初めてで、一体何が起きてるのか分からなかったそうだ。同じ場所に何分立ちすくんでいただろうか。余震があるかもしれないし、壁が崩れおちた3階建ての石造りのロッジには泊りたくない。さて、これからどうしたものか。

ガイドのプリさんは「次の村へ行こう」という。私は「次の村の方が被害が大きい可能性もあるから、とりあえず震源地がどこだったのかを把握してから移動しよう」と提案する。小雨が降っていて寒い。あたりは真っ白だ。 何度かけても携帯が繋がらない。カラフルなジャケットがポツポツと見える。20人くらいだろうか。「震源地はどこか分かる?」と聞き回るが、誰も知らない。ラジオはないのか、と聞くと、山間だからラジオの電波が届かないのだ、と言われた。 この村のロッジはみな太陽光発電を使っているようで、電源は生きている。Wi-FiのシグナルがiPhoneに入ったのでパスワードを聞いたら、ネットワークの電波が届いていないから使えない、という。こちらのシステムには問題がないのに、電波が途絶えているというのだ。それを聞いて「もしかしたら大変なことになっているのかも」と初めて思った。

電話をかけても繋がらない、メールもLINEも受け取れない、ということは、自分が完全に音信不通になっている、ということだ。そこで私は、まずは仕事のパートナーに連絡をしなくては、と思った。首都カトマンズが大変なことになっているとは知らないから、家族に電話するより、まずは業務連絡、と思ったのだ。

「WiFi」の看板が出ている隣のロッジに向かっていると、2日前にナムチェで出会った日本人青年と再会した。O君、26歳。山男というより文学青年という感じ、はにかんだ笑顔が印象的な好青年だ。故植村直巳さんを敬愛していて、いずれはマッキンリーに登りたい、そのために小さめの山から順々にトライしている、と目をキラキラさせながら語ってくれた。彼はアイランド・ピークという6,189mの山を目指していて、カラパタールへ向かっている私と同じ方向に歩いていたのだ。

(続く)

※トップ画像/タンボチェ村で、地震発生後、情報集めをするバックパッカーたち


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