[林信吾]【ハロウィンはキリスト教会の行事ではない】~米で独自に始まった説も~
林信吾(作家・ジャーナリスト)
「林信吾の西方見聞録」
この週末は、いよいよハロウィンの本番である。キリスト教では、11月1日を諸聖人の日もしくは万聖節と称して、すべての聖人と殉教者を記念する日と定めているが、クリスマスにイブがあるように、この諸聖人の日にもイブがある。英語でハーロウHallowと言うのだが、Hallow’s eveが訛ってHalloweenになったものらしい。
ただしこれは、キリスト教会が始めた行事ではない。古代ケルト人、現在スコットランドなどで暮らしている人たちの先祖ということになるが、彼らの年越しの祭りが、キリスト教と融合し、民間信仰のように広まったのだ。
実を言うとクリスマスも似たような経緯で浸透したもので、聖書を隅々まで読んでも、「イエスが12月25日に生まれた」とは、どこにも書かれていないのだが、この件は年末にでも稿を改めさせていただこう。
古代ケルト人は、10月末で1年が終わり、新たな年は11月から始まるとしていた。ちょうど1年の農作業が終わったあたりで、収穫祭と称されていたが、その言葉から連想されるような明るく楽しいお祭りではなかったようだ。
ケルト人の生活圏であるヨーロッパ北部は、冬が長くて陰鬱である。ブリテン島では南部に位置するロンドンでさえ、北緯51度。日本列島の最北端よりもずっと北で、サハリン島の真ん中あたりだ。この時期、午後4時になると大半の車がヘッドライトを点灯している。
つまり彼らの1年とは、実りのない、暗い冬をなんとか乗り切ろう、というところから始まるわけで、部屋に魔除けの飾り付けをして、翌年の平安を静かに祈った。ちなみにアメリカ新大陸が発見される以前は、魔除けのロウソクを飾るためのランタンには、カボチャではなくカブが用いられていた。
同じく魔除けの意味で、あえて死者や悪霊を連想させる格好をして練り歩く風習は、ケルトの一部の部族にはあったらしい。彼らは文字というものを知らず、したがってなんの記録もないので、私としても「らしい」としか書けないが。もしこれが本当なら、ハロウィンと言えば仮装パレード、という図式も、古代ケルトまで遡ることになる。
ただしこれには、異説も多い。子供たちが仮装して練り歩き、近所の戸口で、
「トリック・オア・トリート=ご馳走してくれないと、イタズラしちゃうよ」などと声を上げ、押しかけられた家の方では、縁起がよいとしてお菓子を配る、という風習は、米国で独自に始まったものと考えられているからだ。
いずれにせよ、ケルト起源の行事で、WASP(ホワイト・アングロ・サクソン・プロテスタント)が支配する米国で広まった、という歴史があるため、南欧カトリック圏では、ほとんど相手にされていない。私の見聞の範囲でも、マドリードなど、アイスクリーム屋の店先にカボチャの飾りがあった程度だ。メキシコ出身の友人に聞いてみたところ、ハロウィンだからと言って、夜中に悪魔の仮装で出歩いたりしようものなら、「よくて狂人扱い、おそらくは検挙、下手をしたら射殺」という目に遭う、ということだった。これがまあ「世界の大勢」なのだろう。と言うより、夏休み中からハロウィンの話題で盛り上がっている国なんて、世界中で日本だけに違いない。
私は実は、金剛禅総本山少林寺の僧籍にある、れっきとした仏教徒なのだが、ハロウィンを苦々しく思ったりなどしない。これまで人類の歴史の中で、宗教的正義の名のもとに、どれだけの血が流されただろうか。
もうひとつ、前述のメキシコの例だけでなく、世界には「怪しい奴」は警察が問答無用で射殺しても、やむなしとするような国の方が、圧倒的に多い。それを思えば、若い女性が死者や悪霊の仮装をして練り歩き、無事に家に帰れる日本の平和は、なんとありがたいことか。この平和を壊す行為には断じて「正義」などない。