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.社会,スポーツ  投稿日:2016/1/29

ウェディングプランナーになった男(下)~プロ野球選手のセカンドキャリア その4~


神津伸子(ジャーナリスト・元産経新聞記者)

父の教え

「人と違うことをしろ。人と違う人生を生きろ」
生山の父の教えだ。生山はプロ野球選手時代から、他の選手との差別化を心掛けていた。当時それは、彼にとっては、脚力だった。野球をやめて、世に出る時、さらにその「人と違うこと」への思いを強くしていった。とはいえ、アスリートが世に出るには「本当に覚悟が必要だと思った」
最低でも、数年間単位での修行は詰まなければいけないと。お客様の気持ちも、企業側の意図も理解出来るようにならない。その上で、”自分らしさ”とは、何か考え始めた。
「ウェディングプランナーは、素敵な仕事。ムチャクチャ良い仕事でした」
が、昨年末で、この仕事も辞した。
「生山に会った人が、みんな幸せになる。そんな人間に自分はなりたい」

根本的には、プランナーと同じ考え方なのだが、新たな一歩を新年と共に歩き始めている。
以下、新年一発目の生山のフェイスブックでの挨拶だ。

『生山、東京バイバイします。関東に来て早7年。

埼玉4年、千葉2年、東京1年。大阪大好きっ子の僕は、野球がなかったら関東には絶対来ませんでした。千葉ロッテにいた4年間は埼玉の寮で門限が夜の10時だったので、思い出はほぼ寮の周辺しかありません(笑)

ウェディングの仕事をしてからの3年間はとにかくたくさんの人に会いました。いっぱい仕事して、いっぱい遊びました。東京にも大切な人がたくさんできて、いつの間にか大切な場所になっていました。きちんと東京を離れる挨拶ができなかった方、申し訳ございません。

正直、ここ最近やりたいことがありすぎてワクワクが止まりません。ここからは人生を賭けて、本当の意味での野球への恩返しを始めたいと思います。

スポーツから日本を元気に!!

これからのビジョンを周りに話したら、政治家みたいと言われますが、明るい未来のために本気で日本を元気にしたいと思っています。不器用な僕ですが、これからもとにかく熱く全力疾走していきたいと思います』

 

再始動

生山は1月現在、もの凄い勢いで日本を駆け巡っている。次なるステップのために。

まずは福岡で、以前からずっと宿望していた小林亮寛のKOBES Baseball Workout Studioを訪問。小林は、生山の香川オリーブガイナーズのチームメイトで、元千葉ロッテマリーンズの選手でもあり、関わりが深い。2014年に現役を引退。6カ国9球団でプレー。「とんでもない野球愛、野球熱、行動力を持った方です。亮寛さんのお知り合いを紹介していただき、僕のこれからのビジョンについて相談させていただきました」(生山)

翌日は、昨年まで福岡ソフトバンクホークス、今年から東北楽天ゴールデンイーグルスでプレーする金無英選手の自主トレも見学。

その数日後、岡山へ。目的は生山をプロ野球界に導いた当時のロッテマリーンズの担当スカウトの黒木純司(現・チーム編成担当)に挨拶。生山が2008年の育成ドラフトで指名されてから、丸7年が経つ。何度も顔を合わせていながら、2人でじっくり話したことは初めてだったのだという。

「今まで直接聞けなかった『なぜ生山を指名したのか』という最大の疑問も初めて聞けました」

生山のプロ野球の原点でもある。

さらには奈良で、八尾ベースボールクラブのチームメイトに誘われ、近畿圏内の若手教員の集まり『第20回近畿ブロック青年部交流学習会』に参加。勉強会が今後の道に、大いに役立ったと目を輝かす。直近では、サッカーの元日本代表監督、FC今治の代表取締役・岡田武史に会いに愛媛県今治市に出かけた。岡田は天王寺高校の先輩にも当たる。

「代表監督までされた岡田さんが、還暦前に新たなチャレンジをされている姿を目の当たりにし、その半分しか生きていない僕がチャレンジしないでどうするんやと、改めて色々なことにチャレンジしていきたいと思わせていただきました」

また、生山の特殊な経歴は「様々な方面から、生山の話を聞くだけで勇気がもらえる」と、教育現場や就活・転職セミナーなどから依頼が相次いでいる。今は肩書を”生山裕人”として、一つの職種にこだわらず、
「講演、アスリートのセカンドキャリア支援、ウェディングプランナー、遠くない将来は球団経営に携わるなど、幅を広げて行きたい」目を輝かす青年の今の活動は、全てその為への布石となっている。
「自分の人生は自分でしか作れない。

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僕も今までの人生で、何度『無理』と言われてきたことか。諦めることは、簡単です。挑戦したら失敗することも、多々あります。でも、失敗は経験です。そこから何を学ぶか。挑戦しないと成長はできません。だから、これからも僕は一生挑戦していきたいです。自分の挑戦を見て、少しでも勇気を持ってくれる人が増えたら、とても嬉しい」

(この記事は、【ウェディングプランナーになった男(上)】~プロ野球選手のセカンドキャリア その4~ の続きです。5回目に続く。文中敬称略)

*写真1:千葉ロッテ時代も、爽やかな笑顔が印象的だった。©生山裕人

*写真2:アスリートの就活セミナーで、熱く講演する生山。©神津伸子

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この記事を書いた人
神津伸子ジャーナリスト・元産経新聞記者

1983年慶應義塾大学文学部卒業。同年4月シャープ株式会社入社東京広報室勤務。1987年2月産経新聞社入社。多摩支局、社会部、文化部取材記者として活動。警視庁方面担当、遊軍、気象庁記者クラブ、演劇記者会などに所属。1994年にカナダ・トロントに移り住む。フリーランスとして独立。朝日新聞出版「AERA」にて「女子アイスホッケー・スマイルJAPAN」「CAP女子増殖中」「アイスホッケー日本女子ソチ五輪代表床亜矢可選手インタビュー」「SAYONARA国立競技場}」など取材・執筆

神津伸子

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