首都圏12シーズンぶりアイスホッケートップリーグ復活
神津伸子(ジャーナリスト・元産経新聞記者)
【まとめ】
・今シーズンから、クラブチームの横浜GRITSが新設、首都圏で12シーズンぶりにアジアリーグの試合が開催。
・首都圏の毎試合チケットのインターネット販売は完売が続く。
・「アイスホッケーの人気復活に首都圏チームの復活は不可欠」と、ファンも熱視線を送る。
■ 首都圏のチーム消滅の瞬間
その昔、東京・西荻窪駅前に「CUBE」と言う小洒落たカフェバーがあった。壁などには、東京にしては珍しくアイスホッケーのユニフォームや、グッズがところ狭しと飾られていた。当時、東伏見のアイスリンクを拠点としていたSEIBUプリンスラビッツの選手たちのたまり場にもなっていた。
2008年12月にラビッツの廃部がアナウンスされると、店長が率先して、
「首都圏で、最高峰のプレーが見る事が出来なくなるのは、日本のアイスホッケーの危機」と、仲間のためにと、クラブチームとしての存続に向けて立ち上がった。
店は、賛同する有志の打ち合わせの拠点に変わった。店長は、中心となってスポンサー探しに奔走した。が、期限内にチーム再建の目処が立たず、首都圏から日本リーグ(現・アジアリーグの前身)は姿を消し、店を部下たちに任せっきりで走り回った店長は、店を失った。
■ DFが足りない。散々だったグリッツのオープニングゲーム
それから実に12年の時を経て、昨秋、首都圏に日本のトップリーグは戻って来た。グリッツのアジアリーグ加盟が認められたためだ。同リーグは、新型コロナウィルス感染拡大防止のため、今シーズンは大陸をまたがず、ジャパンカップという形で日本のチームだけで、戦いが続いている。
グリッツは、選手がアイスホッケーと仕事を両立させる、今までにないデュアルキャリアが特徴のチーム。新しい形でのスポーツチームの在り方を提唱し、新風を巻き起こしている。多くのスポーツ選手たちの引退後のセカンドキャリアへの不安を払しょくさせる事にも、大きな役割を果たす。
グリッツは初戦を昨年10月、アウェイゲーム、苫小牧市の白鳥アリーナでの対王子イーグルス(以下イーグルス)戦で迎えた。結果は1-8、0-12だった。開幕戦時点でディフェンス(以下DF)選手が充分な人数が揃っていないという現状。しばらくは、フォワード(以下FW)の選手が交代でDFのポジションについたり、DFを2セット回しにしたりと厳しい状況が続いた。
現在は、クラブチームの先駆者であるバックスが、1999年、廃部を決めた古河電工チームを母体に再建を始めた頃を、一瞬彷彿させた。
勝てない、選手の給料の未払い問題など、全日本アイスホッケー選手権大会も優勝している名門チームも出だしは多難だった。
■ 待ちに待ったファンが出迎えたホームゲーム。チケットのネット販売は即完売が続く
新横浜スケートセンターでのグリッツのホーム開幕戦、対ひがし北海道クレインズ(以下クレインズ)は、ほぼ満員のファンで観客席が埋め尽くされた。今も、ホームゲームには多くのファンが応援にやってくる。イーグルス戦よりは格段に動きも良くなるも、連敗。試合後のオンライン会見で監督の浅沼芳征が、
「誰もが攻め、誰もがDFの心構えでのぞんでいる」と、苦しい本音。
バックス、東北フリーブレイズ(以下フリーブレイズ)との、リーグ前半の対戦も終え、まだ、勝ててはいない。
が、生の試合を待ち望んだファンをそれなりに満足させる試合は続いて来ている。
例えば、神奈川県出身のゴーリー・小野航平が、戻って来ての雄姿はやはり、地元ファンを痺れさせる。小野がマスクを被るゲームは、彼が今まで袖を通して来た歴代の様々なチームの背番号38番のユニフォームが、ファンによって壁面に飾られる。
特に、昨シーズンまで小野がバックスで、チームメイトだった寺尾勇利とのワンオンワンのシーンには手に汗を握ったが、見事にセーブ。小野と古巣との対決というだけでもワクワクするのに、更にそんなオマケまでついた。フリーブレイズにバックスから移籍した寺尾裕道や田中健太郎との対決も見ごたえがあった。
まだ勝利はないものの、チームが成長し、好ゲームが増えて来ている要因はいくつか挙げられる。
まずは、アメリカからマット・ナトル、サハリンからロマン・アレクセフなどDFが補充され、活躍も目立つ。シーズン途中で選手層が厚くなっている。
二つ目には、現在NHL(北米4大スポーツの1つ、北米ホッケーリーグ)に最も近いと言われている平野裕志朗選手の加入だ。今シーズンNHLのバッファローセイバーズの傘下のサイクロンズでプレーする筈だったが、新型コロナウィルスの蔓延により、現時点で開幕されず。彼の伸びやかなダイナミックなプレーのみならず、プロとしての高い意識は、チームにこの上ない好影響を与えている。
三つ目に、若きゴーリー・黒岩義博の活躍も大きいのではないだろうか。ゲームを引き締まったものにしている。浅沼も「黒岩のビッグセーブで流れに乗れた」と、口にするゲームも少なくない。
その上で、今後の課題をこう掲げる。
1.コンパクトなエリアでのバトルに勝つ事。
2.シュートの本数増加、パワープレイ(相手反則退場、自チームが人数が多い状態で試合を続行する事)での決定力の向上などシュート力の向上
3.失点を極力抑え、アグレッシブに攻めて、相手を疲れさせる
■「ホームチームが持てた喜びに震える」待ち望んでいたサポーターたちの思いは熱い
グリッツには、様々な形のサポーターがいる。彼らはアイスホッケーそのものを心から愛してやまない。
例えば、仕事とプレーを両立する選手たちを受け入れる企業の人々。
「実は初めて、グリッツの試合を見ましたが、大変に素晴らしいチームであり、デュアルキャリアのなかで皆さんが活き活きプレーされていることに感動しました」と、FW松渕雄太の勤め先である株式会社ツムラの取締役常務執行役員、半田宗樹は目を輝かす。11月の新横浜でのフリーブレイズ戦での事だ。
この日、松渕は見事に上司の前でゴールを決めて、試合も2ピリオドまで4-3と、グリッツがリードしていた。松渕は専務の来場を試合後に知らされ、「もし、事前に知っていたら、職場以外でも頑張っている姿を見せられて、より嬉しく感じられたのに」と、残念がる。
「出来れば勝って欲しかった」と、大興奮だった半田も、元々はアイスホッケー選手として、高校、大学とプレーしていた。始めたきっかけは、中学生の時に日本でのソ連(当時)・カナダ戦観戦だった。当時、代々木での日本選手権、品川スケートセンターの日本リーグなど見続けたという。
今の日本の現状を憂いている。
が、「新たなチームの参戦は大変に刺激的であり、またデュアルキャリアの考え方は、日本のスポーツ界に与える意味は大きい。これだけ刺激的な面白いスポーツの人気が、日本において十分知られていくきっかけとなり、是非ともアイスホッケーが盛り上がって欲しいと思います」とも。
一方で、個人サポーターという形で、個人で出資してグリッツを支える人々がいる。
株式会社人形町今半の代表取締役副社長、高岡哲郎もその一人。グリッツのユニフォームに身を包み、昨年のフリーブレイズ戦で熱く応援を続けていた。
「グリッツは攻撃の組み立てやセンスもレベルが高く、見る者の期待を膨らませる魅力に溢れていました。でも、後半になると戦術の手詰まり感とディフェンスの疲労感が伝わり目を覆う場面ばかりでした。むしろ、何故かそこに魅力を感じるのは新人アイドルグループを応援するファンと同じかもしれません。魅力的で頼りない、いつでも応援したくなる、一戦一戦強くなれるチームと確しました」と、評価する。
高岡も小学生時代、テレビ放映されていた国土計画VS雪印の試合でアイスホッケーに胸躍り、スケートを始めた。が、ホッケーは母の許可が下りなくフィギィアスケートの道へ。その後、長男がアイスホッケーを始めたことがきっかけでアイスホッケー熱が再燃した。「子供たちの目標であり最も魅力的なチームであった」プリンスラビットの廃部は最もショッキングだったと。
「なので何よりもホームチームを持てた喜びに震えています」と、目を輝かす。
■ 地元の首都圏へのトップリーグ復活に、特別な思い
首都圏へのトップリーグの復活を喜ぶのはファンだけでない。選手たちもしかりだ。
グリッツは、フリーブレイズとの試合前に神奈川県出身の田中(前述)を、詳細にSNSで紹介した。「所属チーム以外で紹介されたのは初めてなので、とてもびっくりしましたが、地元出身の選手として紹介されたのは大変嬉しかったです」(田中)
去年まで同じチームでプレーした小野とのマッチアップは特別な思いがしたというが、同時に「2年前にも、ここで試合しましたが、本格的な拠点となった今回はその時以上の思いが込み上げて来ました」。
ジュニア時代のホームグラウンドであり、今回もその当時のコーチらの目の前でプレー出来た。
「新横浜でプロとしてアイスホッケー選手として試合をしたい!」と、自分の先輩方に夢を与えられたように、ここでの試合で観たジュニアの選手の中に一人でも同じような思いを抱いてもらいたいと考える。「それだけでも首都圏にアイスホッケーが戻って来たことがとても嬉しいですし、凄く価値のあるものです」チームは違うが、同じアイスホッケー仲間として、お互い切磋琢磨して、更に日本のアイスホッケー界が良くなる環境を一緒に作り上げていきたいと、前を向く。
「これまでアイスホッケーに馴染みがなかった方々にも、この競技の魅力を発信出来るチャンスが増えると自負しております。今後も、日本のアイスホッケー界のためにも首都圏で我々が存在感を示さねばと、まさに感じているところです」(グリッツ広報)
※ 現在、アジアリーグジャパンカップは、緊急事態宣言を受けて、該当地域のホームチームの試合は中止となっている。早い復活が待たれる。
(文中敬称略)
<付録>
日本の実業団アイスホッケーの歴史
日本の実業団アイスホッケーの歴史は、1972年札幌冬季五輪開催に端を発する。開催国出場が決まった時点で、強化が始まった。以下、日本アイスホッケー連盟の公式ホームページから、その経緯を抜粋する。最新情報は付記した。
▼1966年/昭和41年
札幌オリンピック開催決定。
古河・福徳・岩倉・王子・西武の5チームで日本アイスホッケーリーグ開幕。
▼1972年/昭和47年
札幌オリンピック開催。
日本スケート連盟アイスホッケー部門が日本スケート連盟から独立し、日本アイスホッケー連盟を創立。
国土計画(のちのコクド)が西武鉄道チームから分離発足し、リーグ加盟。
福徳相互銀行がリーグ脱退。
▼1974年/昭和49年
十條製紙(現日本製紙クレインズ)が日本リーグに加盟。
▼1979年/昭和54年
岩倉組がリーグ脱退、雪印が発足しリーグ加盟。
▼1999年/平成11年
古河電工が廃部、HC日光アイスバックスが発足し、リーグ加盟。
▼2001年/平成13年
雪印が廃部、札幌ポラリスが発足するが1シーズンで日本リーグから姿を消した。
▼2003年/平成15年
アジアリーグ開幕。日本4チーム(王子製紙・コクド・日本製紙・日光アイスバックス)、韓国1チーム(ハルラウィニア)、日本製紙クレインズが初代王者。
▼2009年/平成21年
SEIBUプリンスラビッツが廃部。東北フリーブレイズがアジアリーグ参戦。
▼2019年/令和1年
日本製紙クレインズが休部。ひがし北海道クレインズが発足し、アジアリーグに加盟。▼2020年/令和2年
横浜GRITSが新横浜を本拠地に新設。アジアリーグに加盟。
新型コロナウィルス感染予防のために、リーグはジャパンカップとして、日本国内だけで開催されている。
▼2021/令和3年
王子ホールディングスが、王子イーグルスのクラブチーム化を発表。来季以降はクラブチームとして活動する。
トップ写真:ホームゲームに小野航平が先発する時は、今まで袖を通した38番のユニフォームをファンが飾って、声援を送る 出典:著者提供
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この記事を書いた人
神津伸子ジャーナリスト・元産経新聞記者
1983年慶應義塾大学文学部卒業。同年4月シャープ株式会社入社東京広報室勤務。1987年2月産経新聞社入社。多摩支局、社会部、文化部取材記者として活動。警視庁方面担当、遊軍、気象庁記者クラブ、演劇記者会などに所属。1994年にカナダ・トロントに移り住む。フリーランスとして独立。朝日新聞出版「AERA」にて「女子アイスホッケー・スマイルJAPAN」「CAP女子増殖中」「アイスホッケー日本女子ソチ五輪代表床亜矢可選手インタビュー」「SAYONARA国立競技場}」など取材・執筆