職人文化から離れたスポーツマンの悩み
為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)
日本では職人文化が評価されやすい印象があります。スポーツにおいて、マラソン一筋、バットに賭けた人生。などはとてもよい褒め言葉であるように思います。
さてこの職人文化というものが評価されるのはスポーツの世界のみに限らないと思います。職人文化の説明はいろいろとあるかと思いますが、ここでは技を極めるということ以外に基本的には労力を費やさないこと、としたいと思います。企業などでも本業特化型の企業は職人的な空気があるように思います。いい寿司を握るために1日の全てを費やしているというような人に私たちは職人的な存在感とそして敬意を持ちます。
話は変わりますが、教養といわれるものはどういうものかとふと考えます。幼少期に身につける所作や、基本的な知識なども当然教養に入るのでしょうが、ある程度大人になってくると、どれだけ世の中のことに見識があるかということが教養があるかどうかに影響するのではないかと思います。
よく社会に出た時に、スポーツ選手はものを知らないと言われたりしますが、私は多分にこの職人文化が影響しているように思っています。教養や見識とは、いってしまえば技を極める上で到底役に立つとは思えないものに、どれだけ触れたかで決まるようなところがあります。職人的な人が人生で切り捨ててきたものの中に、諸所の哲学があり、科学があり、人類史があり、また音楽やアート、酒、葉巻、文化、旅などがあるのだと思います。
日本人が無意味なことをよくすると言われますが、私はどちらかというと逆の印象を抱いています。日本人は意味がないけれども、なんとなく面白そうだという好奇心のみに動かされて本を読んだり、人を訪ねたり、話を聞きに行くということが少ないように思います。日本では、それは技を極めるのか、社会で言えばそれは意味があるのかという問いがまず先に立って、意味はないけど面白いと言われるものは触れないできているようなとこがあるのではないでしょうか。
日本人は本を読まない(ホワイトカラー層らしい)というのはよく言われますが、私は本業に役に立つ知識は日本人の方が深いと思っています。むしろ日本人が読まない本は、好奇心を満たしてくれる役に立たない(将来立つかどうか見当もつかない)本だと思います。それはある種の人生観が現れているように思います。つまり人生は面白がるためにあるのか、それとも社会の役に立つためなのか、という価値観です。前者の人生は好奇心によって動かされ、後者の人生は意味によって動かされます。
さて、かなり乱暴に私の主観で日本というくくりの職人文化と教養について書いてみました。選手のセカンドキャリア問題の本質は、職人文化にあると思っています。つまり、スポーツ選手は30代あたりで、その技以外の世界で生きていかなければならなくなった極めて珍しいタイプの職人なのではないだろうかということなのです。
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この記事を書いた人
為末大スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役
1978年5月3日、広島県生まれ。『侍ハードラー』の異名で知られ、未だに破られていない男子400mハードルの日本 記録保持者2005年ヘルシンキ世界選手権で初めて日本人が世界大会トラック種目 で2度メダルを獲得するという快挙を達成。オリンピックはシドニー、アテネ、北京の3 大会に出場。2010年、アスリートの社会的自立を支援する「一般社団法人アスリート・ソサエティ」 を設立。現在、代表理事を務めている。さらに、2011年、地元広島で自身のランニン グクラブ「CHASKI(チャスキ)」を立ち上げ、子どもたちに運動と学習能力をアップす る陸上教室も開催している。また、東日本大震災発生直後、自身の公式サイトを通じ て「TEAM JAPAN」を立ち上げ、競技の枠を超えた多くのアスリートに参加を呼びか けるなど、幅広く活動している。 今後は「スポーツを通じて社会に貢献したい」と次なる目標に向かってスタートを切る。