漫画文化の功罪について(下) 漫画・アニメ立国論 その4
林信吾(作家・ジャーナリスト)
「林信吾の西方見聞録」
これもロンドンにいた当時の話ということになるが、SAS(Special Air Service:スペシャル・エア・サービス)の訳語を実は誤解していた。
フレデリック・フォーサイスの小説の邦訳などで、どれも「空軍特殊部隊」とされているので、てっきりこれが正訳だと思っていたのである。ところが、日本語新聞の編集・発行という仕事をするようになって、ロンドン留学中だった軍事ジャーナリストの清谷信一氏と知り合い、
「あれ、違いますよ」
と指摘された。念のため英語文献に当たってみたら、たしかに彼の言う通り、SASは陸軍の「特殊空挺部隊」と訳すのが正しかった。彼はまだ、軍事ジャーナリストとして世間から認知されていなかったが、知識は確かだったわけだ。
数年後、日本で暮らすようになった私は、たまたま、 『MASTERキートン』(勝鹿北星ら・作、浦沢直樹・画 小学館)
という劇画を読む機会があって、日英ハーフの主人公が元SASという設定になっているのだが、ここではなんと正訳が使われていた。
さすがに唸った。近頃では翻訳者やジャーナリストより、劇画作者の方が、よほど調べが行き届いているのではあるまいか、と感じ入ったのだ。
一般的に漫画は荒唐無稽な面白さが命で、たとえば前回取り上げた『キャプテン翼』のようなサッカー漫画でも、断じて人間業ではないプレイがしばしば登場するのだが、一方では、絵がある分だけ、細部のリアリティにこだわらないと読者が承知しない、という傾向があるようだ。
たしかに、知識を仕込む上で有益な漫画や劇画というものはある。 『王様の仕立て屋』(大河原遁・著 集英社) という漫画は、紳士服に関するウンチクの宝庫と言ってよいし、 『BARレモンハート』(古屋三敏・著 双葉社) という漫画を読破したならば、お洒落なバーに足を踏み入れても、物怖じせずに済むことだろう。他愛ないストーリーだが、酒のウンチクは本物だ。
こうした実例はあるのだが、記憶に新しいところでは、 『美味しんぼ』(雁屋哲・作 花咲アキラ・画 小学館)という漫画が、福島の放射能汚染についての描写で物議を醸したことがある。
私はこの騒動に接して最初に感じたのは、あれだけ売れた漫画は、もはや権威なのだな、ということであった。いや、権威という表現は、まだもう少し議論の余地もあろうかと思うが、影響力はすでに確立されていると言ってよい。なにしろ、前回述べたように、マルクスやニーチェの思想を漫画で学ぼうという国なのだから。
内容や描写に対して、学者が反論を加えても、原作者が、 「現地で取材して書いたのだ」 と開き直れば、それは再反論になっていない、と指摘できる人はあまりいない。
もちろん公平に見れば、これまで政府や電力会社のお先棒を担ぐような「学説」ばかり発表し、見返りを受けてきたような学者たちも批判されるべきである。しかし、その問題と学説それ自体の信憑性は、また別問題なのだ。
ここで注目すべきは、専門の学者が言うことだから間違いない、というのと同次元で、漫画に描かれていることを、そのまま事実と思い込む日本人が、一定の割合で存在する、という事実である。私が権威という表現を用いたのは、そういう意味においてである。
日本の漫画や劇画は、たしかにレベルが高い。
しかしながら、あくまでも娯楽作品であることに変わりはない。『美味しんぼ』騒動の本当の問題は、料理や食材のウンチクで読者を楽しませ、人気を博した作家が、事もあろうに福島の放射能汚染について、風評被害を広めかねない描写をしたという、シャレにならない行為にあると私は考える。
そう言えば、 『ゴルゴ13』(さいとうたかを・著 小学館) を読んで国際情勢を勉強している、などと口走ってヒンシュクを買った政治家がいた。 まさかとは思うが、この人は、国際紛争を解決する手段として、暗殺(狙撃)もあり得るなどという思想の持ち主なのだろうか。
漫画や劇画は、徹頭徹尾、娯楽として扱うべし。 ありきたりな結論だが、大切なことである。
(この記事は 漫画文化の功罪について(上) 漫画・アニメ立国論 その3 の続き。全2回)
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。