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.経済  投稿日:2016/6/8

消費税率引き上げ単純延期では不十分


神津多可思(リコー経済社会研究所所長)

「神津多可思の金融経済を読む」

安倍首相は、2017年4月に予定されていた消費税率の10%への引き上げを2019年10月まで延期することを表明した。国内景気への配慮がその理由とされている。

確かに、2014年4月の消費税率8%への引き上げのマイナスの影響は、多くの事前に予想に反してかなり大きかった。また現在、5年ものの定期預金でもその利回りは0.1%に遠く及ばず、かつそれは1か月でも10年でも基本同じである。そうした状況では、確かに日本経済は2%ポイントの消費税率の上昇を大過なく受け止めることはできないだろう。

しかし問題は、2019年10月なら大丈夫かということだ。今回の消費税増税見送り表明をアベノミクスの失敗と評する向きもあるが、日本経済の置かれている状況はこの3年余でかなり変わった。それはこの間の政策対応の成果である。金融政策において特に顕著だが、ここまでやったのに日本経済のパフォーマンスはこの程度なのである。これから3年で劇的に改善するだろうか。

世界経済をみると、新興国の成長率が低下しているが、それは新興国経済が発展したからであって、再びかつてのような高成長に戻ることは期待できない。日本経済ではさらに高齢化が進展し、他の先進国も程度の違いはあるが同じ方向だ。そうした中で、経済環境がこれから著しく好転する姿を経済運営の基本型とするのは、それこそリスクが大きいと言わざるを得ない。

そもそも、現在の社会保障制度の維持を前提にした場合、消費税率10%で財政赤字の問題が解決できるなどと考えている人はほとんどいないだろう。にもかかわらず、当面はうまく行くからという理由で、社会保障関係の歳出とそのための財源をバランスさせず、ギャップを国債発行によって賄うとしたら、それは必ず何らかのかたちで将来世代の負担増となる。

どんな経済主体であっても、借り入れをどんどん増やしながら所得以上の歳出を永遠に続けることはできない。そういうねずみ講的仕組みは必ずどこかで破綻する。ヘリコプター・マネーなら大丈夫とする向きもあるが、それはあくまで有限の時間内のことで、永遠に続くものではない。歴史を振り返れば、時の権力が債務を踏み倒した事例はどの国でもいくつもある。

もちろん、経済情勢によって、どこまで構造的歳入増を図らなければいけないかは変わってくる。しかし消費税率10%が通過点であるとすれば、単に引き上げの時点を先延ばしするだけでなく、それを今の日本経済の実力を前提にどう実現するかという議論があって然るべきだろう。

負担増が嫌なのは誰しも、そしていつでも変わらない。しかし、他方でもし歳入面での負担増を社会として受け入れないのであれば、どこからか先の世代は、今の世代が享受している健康保険、年金、介護保険のサービスを受けることができなくなる。昨今、一人暮らしの高齢者で生活保護を受けている人の数が増加しているが、そのサービスも同様だ。

当面うまく行きそうだからという理由で、いつかは必ず起こる世代間の不公平、子孫に皺を寄せるかたち起こる不公平の発生に目をつぶるかどうかが今問われているのである。政治は、そういう難儀な問題について、辛い現実から逃避せず、長い目でみてコストが少しでも小さい対応策を、社会全体として見出す過程をリードする役割を担っている。決して、誰しもが心の中に持っている、大変なことからは逃げたいという気持ちを刺激して、安易な道へと社会を誘導することが政治の役割ではない。

一方、行政には政治家が大変な作業を進めていく上で、参謀としてさまざまな現実的オプションを提示する機能が割り当てられている。例えば、まずはプライマリー・バランス(基礎的財政収支)の赤字を解消することが必要なのだから、最低それが実現するまでは、マクロ経済的にマイナスの影響が十分に小さいような小刻みの消費税増税を継続する仕組みを考えられないのか。価格改定に伴う事務コストを引き下げ、かつ流通過程の交渉力の弱い部分に過重な負担がかからないような仕組みのアイディアはいろいろとあるはずだ。

また、財政再建の展望が拓けるまでの間、歳出の節約を進めるためのアイディアはそれこそ無数にあるだろう。それらを組み合わせた政策対応のパッケージこそ、次の参議院選挙での争点となって然るべきではないか。

マイナス金利にまで踏み込んだ金融政策。経済規模の2倍にまで膨れ上がっている政府債務。そうした現状に鑑みれば、ここで単に10%への消費税増税のタイミングを後にずらすだけでは、それでなくとも短くなっている猶予時間がますます足らなくなるだけだ。


この記事を書いた人
神津多可思日本証券アナリスト協会認定アナリスト

東京大学経済学部卒業。埼玉大学大学院博士課程後期修了、博士(経済学)。日本証券アナリスト協会認定アナリスト


1980年、日本銀行入行。営業局市場課長、調査統計局経済調査課長、考査局考査課長、金融融機構局審議役(国際関係)、バーゼル銀行監督委員会メンバー等を経て、2020年、リコー経済社会研究所主席研究員、2016年、(株)リコー執行役員、リコー経済社会研究所所長、2020年、同フェロー、リスクマネジメント・内部統制・法務担当、リコー経済社会研究所所長、2021年、公益社団法人日本証券アナリスト協会専務理事、現在に至る。


関西大学ソシオネットワーク戦略研究機構非常勤研究員、オーストラリア国立大学豪日研究センター研究員ソシオフューチャー株式会社社外取締役、トランス・パシフィック・グループ株式会社顧問。主な著書、「『デフレ論』の誤謬」(2018年)、「日本経済 成長志向の誤謬」(2022年)、いずれも日本経済新聞出版社。

神津多可思

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