英国と香港、2つの「離脱」運動が意味するもの
渡辺敦子(研究者)
「渡辺敦子のGeopolitical」
先月末、学会で民主化運動が再燃する香港を訪れる機会があった。到着当日はちょうど、元宗主国の英国がEU離脱を決めた日であった。
2つの「離脱」への動きは、実は奇妙な対照をなしている。動きとしては双方とも、より大きな文化圏、あるいは経済圏への統合の拒否である。にもかかわらず、少なくとも日本を含めた欧米諸国では、一方の離脱(英国)は「地域統合」という理想に反した「不当なもの」、不穏当なナショナリズムによる保守的な動きと見られがちで、他方の離脱(香港)は、よき独立心として、概して共感を呼んでいるように見える。もちろん、例の書店主への問題など中国当局の暴挙や、英国の各地で起きているという移民への差別を考慮すれば、違いは明確かもしれない。だが本当に、そうだろうか。
双方の動きは、グローバル化という意味では軌を一にしている。その背後で、英語という言語が果たした役割も似ている。英国のEU統合への参加はそもそも、通貨統合を拒んだ部分的なものであった。にも関わらずこのような反発を呼んだのはなぜだろう。それは英国が英語というLingua franca(共通語)の国であったため、多くの人に門戸を開き、EU統合の恩恵も被害もいち早く受けてきたからだ。香港も同様に英語が公用語であり、このために世界の港として栄えてきた。
中国から香港に移住する人は現在、1日150人であるという。東京の半分程度の広さに、日々これだけの人が流入する。中国人の英語教育熱もあり、出生地主義の香港でわざわざ子供を産み、毎日国境を越えさせて学校に通わせる親も多くいるらしい。本土からの旅行者も絶えない。高級ブランド店の乱立はもちろんのこと、街の至るところに無数の宝飾店があり、香港人の友人に理由を尋ねたら、本土からの中国人が顧客という。最近では宝飾店が住宅街までに進出し、食料品や日曜雑貨を売る店がなくなってしまった地区もあるらしい。
こうして問題の多いグローバライゼーションを引き起こす英語はしかし、知的な武器でもある。学会のあった大学の掲示板には、香港ではよく知られた教授を含め、英文科の教授数人が短期間に相次いで辞めたことに抗議する学生たちによるビラが貼られていた。新たに就任した学科長は英文学の専門ではなく、行政管理の専門家という。恐らく、反体制的な動きを恐れる中国当局の意図が反映された人事なのだろう。
言い古されたことだが、グローバル化は国境なき夢の世界の実現ではない。地域統合も同じことだ。ボーダーレス化した社会では、経済的な流れは急流化し、力のない人はチャンスを得るどころか、流されかねない。その恐怖心は政治的に利用され、逆に不自然な淀みを生む。言葉の壁がない英語圏ではこれらの動きは急で、人々はその不規則な急流の中で、自分なりの直感的な判断を強いられる。それぞれの立場により、だから善悪の判断材料は全く違う。
その急流の外側にいる私たちがすべきなのは、何だろう。それはどちらかへの肩入れや非難ではなく、むしろあすは我が身かもしれないより急激なグローバル化の意味する現実を、読み取り備えることではないか。
あわせて読みたい
この記事を書いた人
渡辺敦子
研究者
東京都出身。上智大学ロシア語学科卒業後、産経新聞社記者、フリーライターを経て米国ヴァージニア工科大学で修士号を取得。現在、英国ウォリック大学政治国際研究科博士課程在学中。専門は政治地理思想史。