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.社会  投稿日:2016/10/6

日本の警察の知られざる弱点 自壊した日本の安全神話 その4


林信吾(作家・ジャーナリスト)

「林信吾の西方見聞録」

前回、オウム真理教による地下鉄サリン事件について少し触れたが、この事件を考えるに際しては、前年(1994年)6月27日深夜から翌28日早朝に起きた、松本サリン事件を忘れてはならない。

死者8人、重軽傷者660人以上という大規模なテロ事件であったのだが、真相が明るみに出たのは、なんと地下鉄サリン事件の後であった。

ご記憶の読者も多いかと思われるが、この事件では、第一通報者であった市内在住の会社員K氏が、重要参考人として警察から執拗な聴取を受け、警察情報を鵜呑みにしたマスコミは、完全に犯人扱いと言うべき報道をした。

捜査を担当した長野県警の刑事は、「野郎(K氏)に年越しそばを食わせない」という言い方で、年内に自供を得て立件すると断言したという。実はこの事件には、個人的な思い出がある。第一報の新聞記事を読んだ私の父親が、「そんなバカなことがあるかい」と声を荒げたのだ。なにが「バカなこと」かと言うと、農薬を自分で調合しようとして、誤って有毒ガスを発生させたらしい、という記事内容である。

私の父親というのは『全国農業新聞』の元編集長であったから、一般の都会人よりは、農薬に関する知識もあったのだろう。しかし、その方面の専門家というわけではなかった。それでも、農薬を製造する工場が爆発したとかいった事件ならともかく、家庭で調合を間違えたくらいで、あれほどの被害が生じるかどうかくらいは、「常識で分かりそうなもんだ」と言っていた。

当時の父親は末期ガンで入退院を繰り返す身であり(翌1995年死去)、原稿を書く体力などなかったが、もう少し元気であったなら、どこかのメディアで前述の意見を開陳できたかも知れない。色々な意味で残念である。

話を戻して、当時の長野県警やマスコミは、その程度の常識にすら達していなかった、というわけだ。日本の警察捜査の弱点がこれで、一度捜査の方向性が決まると、容易に軌道修正ができない。もうひとつ、これは日本の警察に限ったことではないが、ヴェテラン刑事の経験値を重視するあまり、事件が「前代未聞」だと、まるで対応できない。

1970年に、赤軍派が日航機「よど号」をハイジャックして北朝鮮に亡命した事件もその一例で、実は警察は、事件の半年以上前に赤軍派議長らを別の事件で逮捕しており、その際「HJ計画」などという記述のあるノートまで押収していた。しかし、HJがハイジャックの意味だと、誰も気づかなかったのだ。

さらにオウム真理教の場合、一応は宗教法人格を持っていた。こちらは一般にはあまり知られていないが、日本の警察は、宗教団体に対してはひどく弱腰だという側面を持っている。国家神道の時代に多くの宗教団体を弾圧し、創価学会を含めて各方面からの恨みを買っているからだ、とよく言われるが、どこまで本当なのか分からない。

警察にも様々な部署があり、公安はかなり早い段階からオウム真理教に疑いの目を向けていたとされるが、サティアンと呼ばれた富士山麓の教団施設に強制捜査が行われたのは、地下鉄サリン事件が起きた後であったーー事件の前に、周辺でサリンの残留物質が確認されていたにも関わらず。

前出のK氏は後に、「私の家庭をめちゃくちゃにした、という意味では、オウムも警察もマスコミも同罪」と語った。私に言わせれば、同罪であると同時にもうひとつ共通点があって、それは三者とも反省の色がまったく見られない、ということである。

もちろん、取材した記者の中には、個人的に謝罪した人も多い。私も一応は業界の人間なので、そのことはよく知っている。評価もする。

だが、オウム真理教そのものは名前を変えて今も存続しているし、警察やマスコミも、組織の体質までが変わったとは、当事者を含めて、誰も思ってなどいないだろう。

松本サリン事件にきちんと対応できていたなら、地下鉄サリン事件は未然に防ぐことができたかも知れない。警察やマスコミが、あらためて真摯に反省することを願うや切である。


この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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