地下鉄サリン事件を忘れない あの日、現場で見たもの
安倍宏行(Japan In-depth編集長/ジャーナリスト)
「編集長の眼」
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1995年3月20日、私は午前7時半ごろ、東京メトロ日比谷線神谷町駅近くで他社の記者達とある取材の為に待機していた。その前の年に破たんした東京協和信用組合と安全信用組合の受け皿銀行、東京共同銀行(のちの整理回収機構)が営業を開始する日だったのだ。その数10数名もいただろうか、記者だけでなくスチルカメラやムービー(テレビカメラ)もいたが、私が在籍していたフジテレビのカメラマンはまだ到着していなかった。その時、一人のスチルカメラマンが私たちの方に駆け寄ってきて叫んだ。「たくさん人が駅で倒れている。大変なことになってるぞ。煙が出たとかいう話もある。」
みな顔を見合わせた。「トンネル火災か?」ふとそんな思いが脳裏をよぎる。しかし、自分たちはまもなく営業開始する新銀行の取材に来ている。この現場を離れるわけにはいかない・・・。動こうとしない私たちに向かってそのカメラマンは畳みかけるようにこう言った。「とにかく!早く行ったほうがいい!」そういうや否や彼はまた駅の方へ駆け出すではないか。ただならない雰囲気に気圧されるように、私たちは一斉に脱兎のごとく彼の背中を追った。神谷町の交差点まで100メートルくらいだったろうか、駅の地上出口に辿り着いた私は目を見張るしかなかった。
そこには10数人の人が横たわったり、へたり込んでいる。ただならぬ雰囲気はすぐわかった。みな口をハンカチで抑え、ぐったりしている。すすり泣くような声やうめき声も聞こえてくる。中には悶絶しながら白目を剥き、口元から泡を吐き、意識がほとんど無い外国人もいた。これほどまで苦しんでいる人をかつて見たことなかった私は動転した。
フジテレビのカメラマンはまだ到着していない。午前8時半あたりに発注していたからだ。そうこうしている間に他社はどんどん取材を進めている。焦る。警察が規制線を張り始めた。メディアは追い出された。その時私は警察官だったか消防官に叫んだ。「あの外国人の通訳が出来ます!」「よし、中に入って!」
ようやくカメラマンも到着した。同期だった。苦しむ外国人に声をかけた。「何を吸い込んだんですか?色は?透明でしたか?」矢継ぎ早に英語で質問したが、彼は話すことすらできない。「このまま亡くなってしまうのではないか・・・?」背筋が寒くなる。サリンは新聞紙に包まれ、オウムの実行犯は傘で包みを刺して中のサリンを車内で拡散させた。その包みを見た、という女性も現れた。その人は包みのすぐそばにいて「何だろう、と思った」とインタビューに答えた。
ぐったりしている人々は次々と救急車に運び込まれていく。その時は、誰もサリンが撒かれたなどという情報はなかった。他の現場では駅構内に入ったカメラマンや、サリンガスに暴露した人を取材した記者が残留ガスを吸い込んだのか後ほど縮瞳(瞳孔が過度に縮小する現象。サリンにより起こる)したケースも後で聞いたが、そんなことは知るよしもない。
私は政経部所属だったが、デスクは「現場にいろ」と私に指示した。その時間現場にいた記者は私だけだったからだろう。社会部の記者はおそらく通勤途上だったに違いない。とにかく私は様々な人にインタビューし、現場の状況を無我夢中でしゃべり続けた。収録した映像とリポートはすぐに河田町のフジテレビに運ばれた。阿鼻叫喚の様子を撮った衝撃的な映像は午前中の報道特番で流され続けた。
撒かれた液体がサリンだとわかったのは午前11時頃。警視庁が記者会見で発表したのだ。“縮瞳”という症状が出ることもわかってきた。その時一人の若い女性が私に近寄ってきてこう告げた。「あの車両に乗ってたんですが、なんともなかったので普通に出勤したんです。でも職場でだんだん目に見えるものが暗くなってきて・・・テレビで毒ガスが撒かれたと聞いて怖くなって来ました」知りあいの医師に縮瞳に効く薬はアトロピンやPAMという薬剤だと既に聞いていた私は、すぐにそばにいる救急隊のところに行き、病院に行くよう話した。あの女性はその後どうなったろうか。今でも気にかけている。
結局、社会部の記者は神谷町駅に立ち寄ったが、取材は私が続けることになり、午後1時過ぎまで現場にとどまった。その後、オウム真理教上九一色村のオウム関連施設への強制捜査、逮捕という流れになるのだが、あの日、あの時目にしたことは忘れることは出来ない。史上最悪の毒ガスを使った無差別テロ事件。裁判はいまだに続き、オウム真理教はAlephと名前を変え、存続している。
事件から20年。この事件を知らない若者がほとんどだ。どんな酷い事件も災害も時がたてば風化する。メディアの役割はそうした悲劇を風化させないことだ。そして、私たち一人一人が過去に学び、2度と同じ過ちを繰り返さないためにどうしたらいいか、考えることが必要だ。きょうはそんな日にしたい。
オウムサリン事件で亡くなられた方のご冥福と、いまだに後遺症に苦しんでいらっしゃる方々が回復に向かいますよう心から祈念する。