変化しながら繋がっていくモノ
為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)
私は進化論が好きだ。一見日々の生物の営みはなんの脈絡もないように思えるけれども、生物がどんな風に淘汰され、そして進化してきたことを知ると、なんと生き物は適応力があるのかと驚かされる。
ダーウィンは進化を適者生存だと説いた。それだけ聞くとなるほど環境に有利な方向に進化適応した種が生き残るのだなと思いがちだけれど、それはふりかえった時の話で、あくまでその当事者とその時代では進化なんてものは感じられないのではないか。ひたすらにそこには変化と衰退があるだけなのではないかと思う。
例えば変異により首が長いきりんと、短いきりんがいたとして、振り返って生き残った方を進化と呼ぶのかもしれないが、その当時はただの変異でしかなかったのではないかと思う。
つまりいつも変化をする時には、それが進化と呼べる変化なのか、または衰退に繋がる変化なのかはよくわからないのではないか。環境はコントロールできないし、予測もできない。変異自体も(これから先の人間界ではわからないが)コントロールできない。ただ時々ランダムな変化があり、生き残るかどうかが決まる。もしかすると生き残り自体も適応ではなくてただたまたまその種が生き残っただけなのかもしれないが。
一方収斂進化というものがある。異なる種の生物が、同じ環境に適応した結果あまりにも似た形に収束するというものだ。いるかと、サメと、あとはなんとかという生き物が、違う種でいながら水中で移動に適応した結果、かなり似た形になっている。爬虫類と、哺乳類と、魚類。
時間軸を広げてみれば、無限大に生物が変化し全てが生き残り、多様性が広がり続けるなんてありえない。必ず衰退し死に絶える種があり、一方で新しく生まれてくる種がある。乱暴にいうと、新しく種が生まれることと、衰退して死に絶える種があることはセットなのだと思う。
生物の本質は生まれそして衰退していくものだと思う。無理やり、現代の仕組みに当てはめればこの生まれ衰退していくリズムをいかに心地よく行うかが活性化するために大事なことだと思う。衰退させない、死なせないというのは自然ではない。
いろいろ批判はあるけれども、私は利己的な遺伝子の中のmeme(ミーム)というアイデアが好きで、やはり社会の中で組織も生まれ死に絶え、国も生まれ死に絶え、人も生まれ死に絶えていく中で、DNAのようにひたすらに繋がっていく文化的な遺伝子なるものがあると思う。あまりに好きすぎでmemeという社名の会社を作った。ブッダの偉大なところはmemeを残したことだと思う。DNAが箱(生物)は生まれ死んでいくなかで、変化しながら脈々と繋がっていくように、memeも残っていく。
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この記事を書いた人
為末大スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役
1978年5月3日、広島県生まれ。『侍ハードラー』の異名で知られ、未だに破られていない男子400mハードルの日本 記録保持者2005年ヘルシンキ世界選手権で初めて日本人が世界大会トラック種目 で2度メダルを獲得するという快挙を達成。オリンピックはシドニー、アテネ、北京の3 大会に出場。2010年、アスリートの社会的自立を支援する「一般社団法人アスリート・ソサエティ」 を設立。現在、代表理事を務めている。さらに、2011年、地元広島で自身のランニン グクラブ「CHASKI(チャスキ)」を立ち上げ、子どもたちに運動と学習能力をアップす る陸上教室も開催している。また、東日本大震災発生直後、自身の公式サイトを通じ て「TEAM JAPAN」を立ち上げ、競技の枠を超えた多くのアスリートに参加を呼びか けるなど、幅広く活動している。 今後は「スポーツを通じて社会に貢献したい」と次なる目標に向かってスタートを切る。