英国にもあった共産党 しぶとい欧州の左翼 その4
林信吾(作家・ジャーナリスト)
「林信吾の西方見聞録」
2009年の秋に私はロンドンを訪れ、英国共産党の党首にインタビューした。カール・マルクスの評伝を書くための取材で、その成果は翌2010年に、『超入門資本論 マルクスという生き方』(新人物文庫・電子版も配信中)という本に結実している。
ただ、共産党の党首の話は割愛せざるを得なかった。よく知られるように、マルクスはロンドンで生涯を終えているのだが、その話題について日本の読者に有益と思われるような話が、あまり聞けなかったからである。
そもそも、日本の読者がマルクスにそれほど興味を示すかどうか、取材の段階でもまだ先行き不透明であった。ロンドン北部にあるハイゲート墓地にマルクスの墓があるのだが、その墓碑銘のひとつは、
“Workers of all lands unite.(万国の労働者よ、団結せよ!)”というものだ。『共産党宣言』の結びの言葉として、あまりにも有名……と言いたいところだったが、たしか2004年頃、有名私立大学の政治経済学部を卒業して、一流と目される出版社に就職した若い人が「マルクス・エンゲルス」というのは一人の人間だと思い込んでいた、という話を聞かされていたからである。
ハイゲート墓地を散策中、急にその話を思い出して、知り合いの、当時は大学生だったライター志望の女の子(ちなみに「マルクス・エンゲルス」の人と同じ学校。都内西北部にあると聞く)に、上記の墓碑銘の英文をメールで送り、訳してごらん、と書き添えた。
「労働者はみんな団結しよー、みたいな感じですかぁ?(絵文字その他省略)」やっぱり……今や大学生でも、この英文から先の訳には行き着かないのか。そのような世相であってみれば、英国で今も共産党が健在だと聞かされたならば、真顔で驚く人が多い。
本シリーズの第1回で述べたように、社会主義思想の源流をたどれば、18世紀末のフランス革命以前までさかのぼるのだが、1917年、ロシア社会主義革命が成功したことによって、大きな変化がもたらされた。それ以前、社会主義思想の持ち主たちは、おおむねどこの国でも、社会民主党の旗の下に結集していたのだが、ロシアにおいては、社会民主党内において、レーニンらが率いるボリシェビキ(多数派)が暴力革命に傾斜して行き、反対したメンシェビキ(少数派。本当はこちらの方が勢力が大きかった)と袂を分かって革命を成功に導いた。
余談だが、このボリシェビキのことを、大正時代の新聞が、あえて「過激派」と訳したことにより、日本語に新たな単語が加わることとなったとされている。ともあれ、この革命の成功が、ヨーロッパの社会民主主義陣営にも大きな影響を及ぼし、レーニンらの路線を強く支持する人たちは、党を割って共産党を新たに旗揚げした。
1922年に結成された日本共産党だけは、実は数少ない例外で、はじめからモスクワに本部を置くコミンテルン(共産主義インターナショナル)の指導と援助で生まれている。日本で社会主義や共産主義というと、どうしてもソ連のイメージがついて回っていたのは、まったく理由がないことでもなかったのだ。
英国共産党は、これともまた異なっていて、いわゆる左翼インテリを中心に、ロシア革命の成功に触発された人たちが、いくつかの小組織を起ち上げ、それらが大同団結して共産党を名乗るようになった。冷戦期には、西側先進国の共産党としては珍しい、ゴリゴリの親ソ路線を維持していたが、1991年のソ連邦解体を受けて「解党的出直し」が決議され、党名も今は「左翼民主党」と改められている。
しかし、これをよしとしなかった党員も少なからずいて、いくつかの別派が生まれたが、その中で最大勢力を誇り、機関誌『モーニング・スター』まで引き継いだのが、ロバート・グリフィス氏を党首として、1988年に新たに共産党を名乗った組織だ。と言っても党名は「コミュニストパーティー・オブ・ブリテン」で、旧称の「……グレートブリテン」とは微妙に異なっている。
ロンドン東部にある『モーニング・スター』の編集部事務所で会ったのだが、開口一番、“Hi, comrade (やあ、同志)”などと話しかけられてズッコケそうになった。多分まあ、挨拶代わりに「もうかりまっか?」と聞く人たちと大差ないセンスなのだろうが(筆者の偏見です。関西の皆様ごめんなさい)。以下、インタビューの中から、今日の日本人読者にも興味を持たれそうな部分だけ紹介させていただこう。
ー日本では共産党が4番目に大きな政党ですが、英国ではそうではない。その理由はどのあたりにあると考えますか?
「冷戦時代に、労働組合運動が反共的な方向性をもって組織し直されていった、という理由がひとつ。それから、共産党が人気を得るような世相になると、労働党が決まって左傾化するのですよ(笑)。ただ、我々の新聞は労働党左派にも多くの定期購読者を獲得し、理論面で大きな影響を与えています。組織は小さいが影響力は小さくない、と自負していますよ」
たしかに『モーニング・スター』の発行部数は1万部。6000人以上の定期購読者がいて、英国のリベラル派陣営にも影響力を持っている。これは決して、共産党側の宣伝ではなく、ロンドン大学で教鞭を執る学者からも同じ話を聞かされているので、言わば裏が取れている話だ。
ーもともと親ソ路線が人気を得ず、共産党から立候補したのでは当選できないからと、労働党に加入して立候補した人たちが労働党を左傾化させた、とよく聞きますが。
「そうした例が皆無だとは言いませんが、我々が労働党に対して加入戦術をとったという事実はありません。また、親ソ路線と言われますが、これは、あたかも英国共産党がソ連のリモコンで動いていたかのような、資本主義側の悪意ある宣伝という要素が大きい。実際に1968年のチェコ動乱(民主化運動をソ連軍が弾圧した)に際して、英国共産党はソ連政府に厳重抗議しています」
これまで幾人もの政治家にインタビューしてきた私にとって、こうしたロジックは聞き慣れたものだ。共産党員に限らず、政治家もしくは政治党派の人たちは、自分たちの論理は首尾一貫しており、組織的正当性は揺るぎなきものだと、必ず言うのである。
ーこの国に共産党政権が誕生し、自分が首相になれると、本気で考えていますか?
「答えはNOです。資本主義は非常にしぶとく、今次の恐慌(リーマンショック)も乗り切るでしょうから。ですが、不況と格差に対する労働者階級の怒りは蓄積される一方ですので、共産党を含めた左翼連合政権の誕生は、決して夢物語ではないと考えています」
現実には7年後、英国労働者階級の怒りに矛先は東欧圏からの移民労働者に向けられ、EUからの離脱を国民投票で決めてしまうこととなった。それはそれとして、資本主義はしぶとい、というのがグリフィス党首の評価であったが、共産党も結構しぶといな、というのが私の印象であった。
今回は紙数が尽きたが、この党についてはいずれ稿を改めて紹介させていただこうと思う。
あわせて読みたい
この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。