『日本解凍法案大綱』9章 価格決定の為の非訟事件
牛島信(弁護士)
墨田のおばちゃんの事件について、裁判所の決定はあっけなく出た。2億5000万円だった。
裁判はパートナーである辻田弁護士が担当した。辻田は会社の価値についての鑑定意見をなじみの公認会計士に頼むと、自分の考えとすり合わせて裁判所への提出用の鑑定意見書を作り上げた。それに裁判所は説得されたのだ。
辻田は、これまでの経緯を強調した。
なかでも、墨田鉄工所があたかも鉄工業を営んでいる会社という印象を与えるその社名にもかかわらず、もともとの事業であった鉄工業を廃止してからすでに長い期間が経過していて、実態は不動産を保有して賃貸しているだけの会社に過ぎないことが詳細に説明されていた。
「墨田鉄工所は、支配株主が自分たちだけを役員にし、役員としての報酬をむさぼるだけでなく、ゴルフ、飲食などが公私混同の種になっている」と具体的数字を挙げて辻田は糾弾したのだ。
なかでも、川野宗平が、持ち株が3分の2に達したとたんに手のひらを返すように態度を豹変し、義理の伯母であり旧役員でもあった川野純代に対して冷たい態度をとったことが、その部分はあえて淡々と客観的に、正確に述べられていた。
もっとも大事な金額については、DCFと純資産評価を50対50の割合で足し合わせるべきであり、その結果、墨田鉄工所の全株の評価は53億7000万円になると結論づけられていた。帳簿価格は15億円ほどだったのが、フェアな価格を裁判用に評価してみれば3倍以上になったのだった。不動産に膨大な含み益があることが、言わず語らずに決定的だった。
53億7000万に7%をかければ3億8000万になる。しかし、経営を支配していない少数株にとどまるということで、敢えて3分の2に自分から減額してみせ、最終的には2億5000万円というのが裁判所の決定になるべきだと記載されていた。
裁判では数字はすべて裁判所が決める。もちろん、辻田がやったように、それぞれが繰り出す鑑定が先ず重要だ。相手、川野宗平も木野功の会社、京島プロパティの名前で鑑定書を出す。裁判所は裁判所で鑑定人を依頼する。裁判所からすれば、売主も買主も一当事者に過ぎないのだ。どちらに対しても、えこひいきなく平等に、ということしか念頭にない。売主だけ見れば7%の株にすぎないから、会社の支配権を握って経営者になることなど考えることもできないどころか、役員の一人独りになってわずかな額でも役員報酬をもらうことなどということも非現実的であり、結局のところ配当をもらえるだけの価値しかないという見方が成り立つ。
だが、それは買主の立場から見れば一遍する。買主にしてみれば、現在持っている会社を支配している株の数が増加するということなのだ。それに、配当の額は会社が決めるのだから、売主が勝手に決めているだけなのだ。株主の過半数でものごとが決まる株式会社特有のむつかしさだった。
民と民の間の売買交渉と違って、裁判所が介入して、裁判所の権威の下に決める価格だから、売り手と買い手の露骨な力関係は排除される。だから、それぞれの立場からの評価を半分づつつき交ぜてというのが一応裁判所のスタート・ラインになる。結局のところは半々ということになりがちだ。
しかし、それは表面だけのことだ。
裁判官は独りきりの個人なのだ。独りで考え、判断し、自分の思いどおりに決めることができる。
忘れてはならない。裁判官もまたふつうの人間なのだ。だから、当事者がどんな態度で裁判に臨んだかということに微妙に、敏感に反応する。辻田が事ここに至って裁判になるまでの経緯についての説明の労をいとわなかったのも、それだからなのだ。
難しくいえば、裁判官の自由心証ということになる。要するに、裁判官の胸先三寸といってもよい。
裁判ではなによりも公正であり信義があり誠実であることが大事なのだ。川野宗平が浪人時代以来の友人である木野功なる男をダミーに使って京島プロパティという会社を設立させ、その会社を譲受人としたのは、露骨に裁判所の心証を悪くしてしまった。裁判所をごまかせるとでもおもっているのか、という怒りを買ってしまったのだ。
具体的には、これまで配当を低く抑えてきたことについて裁判所が痛烈な批判を加えるという形で現れた。そんな恣意的な会社では、株の評価を配当還元だけで済ませることなどできない、それではだめで、純資産を大幅に加味すると宣言したのだ。しかも、土地の簿価と時価のかい離が著しく大きい、つまり、大むかしに買った土地がびっくりするほど値上がりしていて、簿価と時価とのへだたりがあまりに大きいことを、簿価ではなく時価を基準とする理由として裁判所はあげた。そのうえ、会社は事業を継続するのだから、会社を解散したときにかかってくる法人税は考えに入れない、控除しないとまで言い切った。
川野宗平の雇った老練の大柴三郎弁護士は裁判所に対して、「買い手の木野氏は、会社名義ですが実質は個人です。まったくの第三者ですので、川野本人が買うのと違って、単なる利回り基準、つまりどのくらいの配当が将来的に期待できるかで決めるべきです。それも、持続的なものでなくてはなりませんから、一定の減額、たとえば7掛けといった評価をすべきです」と主張した。
辻田が相手の主張に反論したいと申し出た。常道だ。
すると、裁判官は、むっつりとしたポーカー・フェイスを崩さず、「まあ、もういいでしょう。結論を早く出したいと思っています」と答えたのだ。相手の大柴弁護士は、なにを誤解したのか、唇の端でニヤリとした。
1週間後、辻田弁護士は裁判所に行っていたアソシエートの弁護士から電話で第一報を受けた。すぐに川野純代の携帯に電話を入れる。
勢い込んで「川野さん、2億5000万になりましたよ!」と言うと、純代は、
「ああ、先生、私の株が一つもなくなってしまうのね。亭主が作ってくれた会社の株だったのに。私、売り払ってしまったのね。なんだか、私の人生の証が消えてしまったみたい」
とひとこと漏らした。なんとも張り合いの抜けてしまうような反応だった。
辻田弁護士は黙って受け止めた。
(そんなものかもしれない。彼女は88年も生きてきたのだもの)
言葉を呑みこんだ。
1、2秒の沈黙が過ぎると、川野純代は、
「ごめんなさい。先生、ありがとうございますって申し上げなきゃあいけないわね。
でもね。嬉しい結果だけれど、私の人生は結局お金だけだったのかしらって感じてしまったの。2億5000万から、税金も弁護士さんの費用もそれにあの敬夫ちゃんの手数料もちゃんと引いてくださいね。
ほんとうは私、1円だって貰える立場じゃないんですから」
と静かな声で告げた。
辻田弁護士が、
「まだまだ、あの世に行かれる前にできることがいっぱいおありですよ」
と励ますようには言葉を選ぶと、
「え?」
怪訝な声が返ってきた。
続けて純代は、
「あの世で私の旦那だった男、川野又男はなんて思っているのかしら。他人に厳しい人だったから、あっちで会ったら、『結局、オマエは馬鹿な女だったってことな』って呆れるのよね。
なんて言われたって仕方がないわ。本当なんですもの」
(人は、大事にしていたものをお金に換えてしまうと、お金が手に入っても肝心の自分が消えてしまったと感じてしまうものなのか。お金があれば他人を助けることもできるのに。そうすれば自分がこの世に存在していることを強く感じることができるのに)
辻田は不思議な気がしていた。川野純代は株をお金に換えることを望んでいたのだ。地獄の鬼に追いかけられてでもいるように、いつなのか、まだなのかと辻田を急き立てていたのは、川野純代ではなかったか。
買い手から大木事務所の銀行口座に入った金から、22%を社団法人の委託手数料として差し引く。大木の事務所への弁護士報酬分である20%が入っている。合わせて22%を引くと1億9500万円になった。20%の分離課税のことも言っておかなくてはならない。すべてを差し引いた手取りの金額を川野純代の口座に送るのだ。手取りは1億4500万円だった。
送り終えれば、辻田はもう川野純代に二度と会うことがないだろう。弁護士と依頼者とはそういう関係なのだ。必要があって会っている。必要があって親しく話している。場合によっては毎日のように会う。
だが、必要がなくなれば、どれも消える。もう会うことはない。それでも、なにか面倒が起きれば、かならず電話がかかってくる。
(10章 株主総会 社長の首を挿げ替える に続く。初めから読みたい方はこちら)
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この記事を書いた人
牛島信弁護士
1949年:宮崎県生まれ東京大学法学部卒業後、検事(東京地方検察庁他)を経て 弁護士(都内渉外法律事務所にて外資関係を中心とするビジネス・ロー業務に従事) 1985年~:牛島法律事務所開設 2002年9月:牛島総合法律事務所に名称変更、現在、同事務所代表弁護士、弁護士・外国弁護士56名(内2名が外国弁護士)
〈専門分野〉企業合併・買収、親子上場の解消、少数株主(非上場会社を含む)一般企業法務、会社・代表訴訟、ガバナンス(企業統治)、コンプライアンス、保険、知的財産関係等。
牛島総合法律事務所 URL: https://www.ushijima-law.gr.jp/
「少数株主」 https://www.gentosha.co.jp/book/b12134.html