インドネシア社会に激震「アホック現象」
大塚智彦(Pan Asia News 記者)
「大塚智彦の東南アジア万華鏡」
【まとめ】
・有罪判決受けたアホックジャカルタ知事の釈放訴える声高まる。
・背後に野党「グリンドラ党」党首プラボウォ氏の影。
・「アホック現象」踏まえ国民が一つにまとまるかが今後の焦点。
■「アホック現象」の盛り上がり
インドネシアの新聞、テレビは連日のように有罪判決が下され収監されたジャカルタ特別州のバスキ・チャハヤ・プルナマ前知事(通称アホック)の動静と「釈放」を訴える支持者の動きを詳しく伝えている。
「アホックを解放せよ」「アホックに公正な裁判を」「アホックは英雄だ」などと書かれたプラカードを掲げ、ロウソクを手に愛国歌などを歌う人々の輪は首都ジャカルタに留まらず、スマトラ島、カリマンタン島、スラウェシ島、パプアと全国津々浦々に拡大、「アホック現象」として各都市で「釈放と公正な裁判」を求める運動に発展、盛り上がりをみせている。さらにオランダ、アメリカ、オーストラリアなど海外在住インドネシア人をも巻き込んでさらに拡大しつつある。
5月9日、北ジャカルタ地裁はアホック知事に対し、宗教冒涜罪と公共の場での憎悪表現(選挙運動の集会で『イスラム教徒は異教徒を指導者にできない』とのコーランの一節を引用した)の罪で「禁固2年、即時収監」の判決を言い渡した。これは検察側が論告求刑で「宗教冒涜罪」を取り下げ、「禁固1年執行猶予2年」を求刑したのを上回る重い判決。求刑以上の判決、検察が取り下げた「宗教冒涜罪」を判決では適用、という2点で判決の妥当性に疑問が投げかけられている。
アホック知事は即日控訴をするものの、裁判所から直接チピナン拘置所に収監され、翌10日朝には治安上の理由として南ジャカルタの国家警察機動隊本部に移送された。支援者はチピナン拘置所、そして機動隊本部前にも押しかけ「声よ届け」とばかりに祈りの歌を深夜まで熱唱。これをニュースで知った全国の支持者、ファンが各地で平和的に支援運動を繰り広げる事態になっているのだ。
■「雰囲気と状況」のプレッシャー
こうした動きに外交専門家、宗教家、政治評論家などがテレビに出演しては事態を読み解くためにあれこれ解説を試みているが、いずれも「隔靴掻痒」の感をぬぐえない。
それはなぜか。判決直後にジョコ・ウィドド大統領が「司法の手続きを尊重するように。政府は法手続きに介入しない」と図らずも明言したように、独立した司法権への介入、批判を許さない雰囲気、そしてアホック前知事のようにイスラム教への言及がイスラム急進派に「宗教冒涜だ」と指弾されることを回避しようとする状況がインドネシア社会に静かにしかし確実に醸成されているからだ。
「雰囲気と状況」とは、たとえば日本では「空気を読む」という表現で周囲への配慮と取り巻く環境の読み取りを意味し、それが分からないと「空気が読めない人」などといわれることがある。しかし、インドネシアでは「雰囲気と状況」を的確に見極め、読み取らないと裁判や社会的批判を受けるという「制裁」に発展する可能性が大きいのだ。
こうしたことから誰もが思っていること、たとえば「裁判官の公正な判決になんらかの影響を与えた人物がいるのではないか」「裁判官は金銭で買収されたのではないか」などという疑問を真っ向から問うことができない現実がある。
■赦されざるイスラム冒涜
さらに「判決に宗教は無関係」「イスラム教をアホック事案に絡めるのは間違い」といった言説は堂々とまかり通る一方で、「(インドネシアの圧倒的多数の)イスラム教徒が(少数派の)キリスト教の聖書を批判したら同じような指弾を受けて同じような裁判に、そして同じような判決になるか」と問われれば誰もが「否」と答えることだろう。
つまり今回の裁判は「キリスト教徒であるアホック氏がイスラム教を冒涜した」からこそ罪に問われ、有罪判決が下されたということであり、イスラム教が無関係というのは「言葉のまやかし」あるいはそれこそ「雰囲気と状況」への配慮でしかないのだ。
■アホック氏の大統領選出馬を阻む「禁固2年」
4月19日に投開票が行われたジャカルタ特別州知事選決選投票でアホック知事は現職知事として洪水対策、交通渋滞解消、住民との対話と現地視察などの数々の実績があり、圧倒的支持を得ながらも得票率42%と伸び悩み最終的には敗北した。
その原因として宗教冒涜罪の被告として裁判に出廷しながらの選挙戦となり「アホック即時辞任」「アホック即時逮捕」を求める白装束の急進イスラム教一派による大規模動員デモなどの有権者への心理的影響、さらにアホック陣営を支えた与党「闘争民主党(PDIP)」の「楽勝ムード」が先行した選挙戦術の甘さなどが指摘されている。
知事選敗北、検察の訴因変更などから「執行猶予付きの判決は確実」とさえ言われていたが、実際には「禁固2年」の実刑判決となった。実はこの「2年」に大きな意味がある。つまり2年後の2019年に予定される大統領選挙に「出馬の呼び声が高かった」アホック氏は実質上立候補することが難しくなるのだ。大統領選への立候補を阻む「禁固2年」、検察の求刑を上回る「禁固2年」。この判決に欣喜するのは誰なのかを考えると裁判の背景、そして「反アホック」の一連の動きの背景がみえてくる。
■旧体制派を糾合するプラボウォ氏
アホック氏は現在のジョコ大統領がジャカルタ州知事時代の副知事であり、ともにバックは与党PDIPである。このPDIPに挑み続けているのが前回大統領選にも出馬して敗れたプラボウォ・スビヤント氏。プラボウォ氏は野党「グリンドラ党」党首であるとともにスハルト元大統領の女婿でも一時あり、旧体制を支えたグループを糾合し、次回も大統領選に出馬する意欲をすでに明らかにしている。
このプラボウォ氏がアホック氏の知事選での対抗馬で次期知事への当選を果たしたアニス・バスウェダン前教育文化相の後ろ盾にいたのだ。
プラボウォ氏はアホック氏の知事選敗北を受けてイスラム急進派の「『イスラム擁護戦線(FPI)』は民主主義を守った」と発言、暗に反アホックのイスラム急進派の動きとプラボウォ氏の連携を示唆した。これは同時にFPIのデモに動員されたジャカルタ州以外からの参加者が日当や弁当代、交通費を受け取っていたとする指摘を図らずも裏付けるもので、アホック追い落としがプラボウォ氏とその旧勢力に繋がる取り巻きによって計画的、組織的に行われた疑いを完全に払拭することはできないのだ。
■問われたのはやはり「宗教」
今回のアホック前知事への厳しい判決にこうした権謀術数に長けた百戦錬磨の旧勢力に繋がる一派の影響力が全くなかったとは誰も思ってはいない。しかし、前述の「雰囲気と状況」がそれを許さないのがインドネシアの現状といえよう。
今回の一連のアホック氏を巡る問題の本質はインドネシアのイスラム教が抱える根本的な問題をえぐり出しているといえる。大多数のイスラム教徒が共有する宗教的寛容性を、一部の偏狭で独善的な急進派とそれを利用しようとした政治勢力が結託して脅威にさらしたのが問題の本質で「イスラム教徒対キリスト教徒・仏教徒などその他の宗教信者」という構図よりは「イスラム教徒の中でアホック支持者対急進反対派に分裂した構図」が鮮明だったことからやはりイスラム教という宗教のあり方も問われたのだ。
アホック氏への同情論、支援の輪の拡大は一部でアホック氏を「南アフリカのマンデラ氏」になぞえる動きともなっている。黒人差別主義と戦い投獄されながらも後に黒人差別撤廃を実現し大統領にまで上り詰めたマンデラ氏の生き方に「アホック氏の有罪判決、収監」を投影しているのだ。
事実、有罪判決がでるまではインドネシアで史上初の非イスラム教徒の大統領誕生という夢をアホック知事に重ね合わせていた国民は多かった。それが判決後にさらに支援の輪を広げて「アホック現象」のうねりになっているのが今のインドネシアといえる。
プラボウォ一派やFPIのシハブ代表らにとって判決後のこの「アホック現象」は予想をはるかに超える反響だった、と臍を噛んでいるかもしれない。シハブ代表に至っては「国家英雄冒涜」の容疑がかけられた上に「狙撃者を恐れたため」(マスコミ報道)との理由で国外に一時滞在中。インドネシア警察はシハブ代表の国際手配を準備中との報道もでている。
選挙でのアホック敗北、裁判でのアホック有罪の「絵を描いた」と誰もが類推するプラボウォ氏は1998年のスハルト政権崩壊時の混乱を切り抜けてきた「強者」。どんな状況に陥ろうと自らの「大統領当選という野望実現」のために虎視眈々と新たな一手を準備していることだけは確実だ。
■許さない旧体制への後戻り
5月10日、西ヌサテンガラ州ロンボクのマタラムでPDIPの新事務所開所式とPDI幹部会に出席した元大統領のメガワティ党首は演説の中で「100の地方選は一つを除いて平和的に実施された」「アホック氏は誰からも慕われる性格だ」などとアホック氏に言及した上で「頭で考える思考と心で感じる感情には一本の筋が通っていなければならない。それが捩れ、筋が通っていない人物がインドネシアには存在する」と指摘、具体的な名前は明らかにしなかったが、インドネシアの国是である「パンチャシラ」や「多様性の中の統一」「寛容性」といった国民の拠り所をないがしろにする人物、勢力が存在し、それが国の理想的なあり方を阻害していることを示唆した。これには多くの人々が得心したことだろう。
5月15日までジャカルタ中心部チキニにある「タマン・イスマイル・マルズキ」展示場で1998年5月にスハルト政権を打倒に追い込んだ学生、若者たちの民主化運動を撮影した写真や当時の新聞記事による「改革19年回顧写真展」が開かれた。主催した「98活動家全国連合」の掲げた思いがある。それは「いかなる理由、言い分けであれ我々はあの旧政権の時代への後戻り、逆行は決して望んでいない」という思いである。
これは現在のインドネシアの「アホック現象」を通じて「公正な正義の実現」「国家としての統一と多様性の堅持」「寛容と共存の精神」などを再認識しようとする運動に通じる思いでもある。そしてこの思いこそがインドネシア国民が一つにまとまろうとする良心の求心力を方向付けているといえる。
インドネシアは今、国民の多くがアホック氏の判決を契機にこの思いを再認識して、自らの国の行く末に熱い思いを抱きながら前に踏み出そうとしている。
あわせて読みたい
この記事を書いた人
大塚智彦フリージャーナリスト
1957年東京都生まれ、国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞入社、長野支局、防衛庁担当、ジャカルタ支局長を歴任。2000年から産経新聞でシンガポール支局長、防衛省担当などを経て、現在はフリーランス記者として東南アジアをテーマに取材活動中。東洋経済新報社「アジアの中の自衛隊」、小学館学術文庫「民主国家への道−−ジャカルタ報道2000日」など。