南北経済格差と拉致問題 金王朝解体新書その9
林信吾(作家・ジャーナリスト)
「林信吾の西方見聞録」
【まとめ】
・日本政府によって拉致被害者と公式に認定されたのは17人。
・南北の経済格差が逆転したことが拉致の源流となっている。
・拉致問題は国家犯罪である。まずは人命優先で解決を。
北朝鮮による拉致被害者の総数は不明だが、韓国情報部が、脱北した元工作員の証言などを総合して推計したところによれば、被害者の国籍は14カ国にわたっており、総数は700人を超える可能性があるという。
この数字だけでも驚くべきものだが、国連の人権調査委員会は、3500人近い韓国人が北朝鮮によって「拉致もしくは不当な拘束を受けている」と発表している。
ただ、分断国家であるため、相互に親戚を訪ねることもままならないので、どこまでを不当な拘束と言い得るのかは微妙なところかも知れない。
日本人に話を限ると、政府が公式に拉致被害者と認定したのは17人だが、自ら失踪する理由がまったく見当たらず、前後の状況から拉致の可能性を排除できない、いわゆる特定失踪者は、調査が行われた人だけでも470人を超える。
いくらなんでも400人以上は多すぎるだろう、と思われた向きもあろうが、2000年に帰国した曽我ひとみさんは、拉致被害者と認定されていなかった。こうした人が他にもいるに違いない、と考えるのは、むしろ自然なことではないだろうか。
前にも述べたことだが、北朝鮮が建国された当初、それまで特権的な地位にあった地主や知識人は、共産主義の体制下では生活できないと、多数が韓国に逃れた。
言うまでもないことだが、国家システムを動かして行くためには、高等教育を受けたエリート層が不可欠となる。そこでキム・イルソン(金日成)は、「インテリを連れ戻せ」との指令を発したと伝えられる。
その後ほどなく始まった朝鮮戦争で、多くの家族が南北に分断されたままの状態になったり、戦線が半島の南端近くから北端近くまでローラーのように移動したため、避難する過程で離散してしまった家族も少なくない。インテリ云々の話は、どこかへ行ってしまった。
韓国内で、拉致被害者の救済を求める声が日本ほど高まらないのは、統一さえ実現すれば自然と解消されるに違いないと考えられているからだと、よく言われる。同じ拉致問題でも、日本のそれとは問題の質が違う。
ここで、前回の最後の方に述べた、南北の経済的な力関係がひっくり返りはじめたことが、拉致問題の源流になっているという話に戻さねばならない。
停戦以降も、韓国内に工作員を送り込む活動は継続されたが(念のため述べておけば、韓国も北に多数の工作員を送り込んできた)、経済格差が生じたせいで、思わぬ不覚をとる事態が生じるようになってきたのだ。
たとえば、首尾よく潜入したものの、地元住民に目撃されてもすぐに逃げなかった、というケース。どういうことだ、と思われたであろうが、北の感覚では、普通の農家に電話がある、ということが考えられないため、すぐに通報される事態を想定できなかったのだ。
こうしたことから、韓国や日本の内情に詳しい人間から、詳細な情報を得ないと工作員の養成に支障をきたす、と考えられるようになり、さらに、日本へ工作員を送り込むには、実在する日本人の戸籍などを利用するのがよい、との発想が拉致という手段に結びついたと考えられる。
これについては、1976年にキム・ジョンイル(金正日)が、工作活動強化のために拉致を推奨するような発言をした、との脱北者の証言がある。
1977年に拉致された横田めぐみさんの場合は、海岸から潜入していた工作員を目撃してしまった「出会い頭」であったようだが、北朝鮮で洗脳され、前述のような工作員の指導に従事していたとされる。そうであれば、日本に潜入している工作員の顔を知っているので、北朝鮮側としては絶対に帰すわけには行かない。そこで、すでに亡くなった、などという嘘の情報がもたらされたわけだ。残念ながら(?)、日本のDNA解析技術の情報が向こうにはなかったため、遺骨のすり替えというトリックはすぐにバレたが。
他にも、特定失踪者の中に、複数の印刷業関係者がおり、失踪の時期や場所がいずれも近くて不自然であること、彼らが失踪した数年後、北朝鮮が大量の偽ドルを製造している、との情報がもたらされたことから、日本の印刷技術を「密輸入」するための拉致だったのではないか、と疑われているケースもある。
拉致問題の解決なくして、日朝の国交正常化なし。これは大原則であるとしても、そのための手段は、制裁強化なのか話し合いなのか、様々な選択肢を慎重に考える必要があると思う。これは国家犯罪で、一種の人質事件である。まずは人命優先、そして臨機応変の解決が求められる。
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。