クールジャパン戦略、曲がり角
Ulala(ライター・ブロガー)
【まとめ】
・日本のクールジャパン戦略、苦戦が伝えられる。
・フランスは起業したい人向けにきめ細かいサポート提供し成功している。
・現地情報を持つ日本人と日本製品を販売したい人らの世界的なネットワーク作りや情報交換のサポートが今後必要となろう。
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政府のクールジャパン(CJ)政策の苦戦が話題になり、トレンドワードにまで浮上していた。というのも、経産省が設立した官製ファンドの「株式会社海外需要開拓支援機構」、通称CJ機構が投資した24件中、決定後1年を超す事業の過半数が収益などの計画を達成できていない状況が報道され、CJ機構が釈明の記事を出すまでに至っていたのだ。
クールジャパンと言うのは、情報発信(日本ブーム創出)・海外展開(海外で稼ぐ)・インバウンド振興(国内で稼ぐ)によって日本の経済成長を実現するブランド戦略だ。日本のイメージを高めて海外からの消費を呼び込むことを目標としている。
そういったブランド戦略が成功している国の代表と言えば、フランスではないだろうか。多くの観光客が訪れ世界観光ランキングでも毎年一位を獲得し、世界中に「おしゃれで高級」なイメージも浸透。バッグなどを扱う高級ブランド品、高級化粧品の売り上げも好調だ。フランス料理の知名度も高い。特に長期に渡りその地位を継続している点は注目すべきことだ。
また、短い期間であったが韓国がブームになったことも記憶に新しい。韓国ドラマから流行りに火が付き、そこから日本でも韓国コスメなどがよく売れ、韓国への旅行者が増えたのだ。これらの国と同様に日本も海外に情報発信という宣伝をしていくことで、海外の人々の日本へ興味を引きだし、そこから日本の経済成長につなげようとしているわけだ。
現在のところこういったクールジャパンの情報発信は一定の成果をあげていると言ってもいいだろう。日本への2016年の訪日外国人数は統計開始以来、過去最多となる前年比21.8%増の2403万9000人を記録し、外国人観光客の日本への集客は順調に伸びている。(参照記事)しかし、今回問題だと指摘されているのは、クールジャパンの2番目の軸である「海外展開(海外で稼ぐ)」という部分である。
例えば、CJ機構が投資先と選んだのにもかかわらずアメリカの日本茶カフェ事業が大苦戦しているという。店内飲食の認可が下りず持ち帰り専門に変更などが重なり軌道にのらず、パートナーから提携解消を求められている状態なのだ。
またマレーシアの首都クアラルンプールの繁華街にある百貨店は「日本がそのまま来た」かのような店舗で、地元に溶け込めておらず来店客はまばら、17年4~6月の営業赤字は計画の3倍強に膨らんだという。
だが、それがダイレクトにクールジャパンの活動が失敗とはいいがたい。だいたい新事業は利益が上がり始めるのに時間がかかるものだし、1,2年で新しい事業の成果を最終判断してしまうこと自体に無理があるのも確かだ。
それよりも気になったのは、投資がうまくいっていないという批判は、「投資が限られた一部の企業のみという懸念」や「軌道に乗らなかった場合投資が無駄になることへの懸念」、「マーケティングもうまくされてない事業に投資している懸念」からきていることだ。
確かにCJ機構が定めた基準である、「海外に日本の製品を発信する拠点を作るために将来性があると判断された企業」に投資されてはいるものの、件数も少なく、決定過程の不透明さを勘繰られてもおかしくない状況であり、また投資した会社の企画自体が日本そのままを海外に持って行っているような事業もあり、ただの日本の押し売りで本当にいいのか?と疑問に思う企画もある。
もちろんCJ機構が投資した会社の中にも、目標を達成している会社もある。その一つがフランスのパリで日本の地産品をプロモーションする日系企業「エニス(ENIS)」だ。海外で日本の地産品をプロモーションと言う難易度の高いチャレンジであるにもかかわらず成果を上げている。それは、日本の物を売っているといっても、フランスに20年以上住んだ経験に基づくマーケティングが行われているからだろう。
▲写真 エニスが運営している「maison wa」出典:Space Magic Mon Co.,
まず、この会社は投資を受けた2015年よりも4年前の2011年からすでに活動が行われている。それまでに「有田の陶磁器」「奈良の麻」「福井の包丁」「鯖江の眼鏡」「輪島の漆器」「岐阜の紙」「山梨のニット」「大宮の盆栽」等、約50回にわたりプロモーションが行って実績がすでにある会社なのだ。そういった実績をベースに、しっかりと現地の人間が欲しいと思う日本の物を知った上で販売している。
▲写真 maison waの店内 Challeng Local Cool Japan in パリ(経済産業省・近畿経済産業局)
「フランス人の普段の生活はとても質素。その消費スタイルを考慮せず、日本基準で考えていると、たとえ共感を得ても全く売れないことがある。」(株式会社エニス代表取締役社長 塩川嘉章氏)
事実を見据えて的確に行動したからこそ一定の目標を達成できたのであろう。
例えばフランスのバスク地方のベレー帽が素晴らしいからと言って、突然ベレー帽の専門店を日本に作っても、少しは売れるだろうが、バスク地方で売れている量が売れるかと言えばそれはノーだろう。なぜなら、日本はバスクのように、日常毎日ベレー帽をかぶる習慣はないからだ。
同様に、「日本そのもの」を海外に持ってきても、それはただの押しつけでしかなく、地元の人の心をつかむのは難しい。例え目的が日本の製品を売ることであったとしても、必要な物を必要な人のところに届けることは物を売ることの基本であり、必要な物を知るためには十分なマーケティングが重要だ。
そう考えると、より確実と思える厳選した大きめな企業に投資をすることでリスクも低くなると言う考え方もあるのだろうが、多くの人を巻き込んで多くの情報を得てターゲットを正しく定めたり、販売ルートを増やすことも大切なのではないだろうか。
海外のことをよく知っている現地の日本人のネットワークを築いて多くの人が情報を共有し、より多くの企業のマーケティングなどに役立てるような情報支援活動や、海外に強い人材を育てるという視点で、若者にチャンスを与えるような形で投資するなど、多少、違う視点で活動を考えるのもいいかもしれない。
現在フランスで行われている、スタートアップの支援はそういった点では参考になる。
マクロン政権になって始まったスタートアップのプロジェクト「La french Tech」が、まず、最初にしたことは起業家たちのネットワークづくりだ。
起業するためにお互いに情報交換ができる場作りからはじめ、フランス企業の国際展開や貿易振興の支援や、民間投資家からの投資を得るためにサポートが行われている。例えばテーラーメイドの起業サポート。この企業にはこのパートナーが、このクライアントが、この投資家が合うというように“正しい人”をマッチングさせる。その実現のために、該当企業をシリコンバレーやニューヨークへ10週間送り込み、毎日色々な人々とのミーティングを設定、最終的には資金調達へつながるようサポートなどを行っているのだ。
そういった、個人にはできない部分を国の組織がサポートし、多くの起業家を育てた結果、米ラスベガスで開かれた世界最大級のデジタル家電見本市CES2017等を始めとする各見本市では、フランスから来たメンバーは数も多く質も高く、他国を圧倒した。投資もまだ入っていないアマチュア並みのブースがある中、フランス勢の完成度の高さによって起業家の本気度が伝わり、フランスのスタートアップやデジタル製品に対する大きなイメージ向上にも貢献しているのだ。
▲写真 CES2017 出典:Flickr Photo by Ian Hughes
しかし、あくまでもスタートアップである。当たり前のことだがスタートアップを始める全ての企業が成功するわけではなく、失敗に終わる企業は成功する企業より多いだろう。だが、全てが無駄になるわけではない。ここで、重要なのは、支援を受けてスタートアップで奮闘した起業家たちには、「起業家があつまるネットワーク」と、「起業するために必要な全ての経験と知識」が残る。多くの人がかかわると言うことは、未来の人材育成の一環ともなっているとも言え、構築された人材やノウハウが成功を長期に渡って持続させるカギにもなっているのだ。
海外に住んで現地の情報をたくさん持っている日本人はたくさんいる。そして海外で日本の製品を販売したいと思っている起業家たちもいる。でも個人ではできないことは数多くある。そういった人たちを集めてネットワークを作り情報交換のサポートをすれば、もっといろんな展開が生まれるかもしれない。
そのように世界にネットワークを構築することは、投資を完全には無駄にすることなく、ようやく作った日本ブームを持続させるための輪を広げる可能性もある。もっと多くの人を巻き込んで、今後のクールジャパン海外展開の活動をさらに大きく飛躍してもらいたい。多くの批判もそういう応援の意味がある。ぜひ、クールジャパンの一番重要部分である海外展開を成功させてほしいのだ。
トップ画像:フランスのmaison wa 出典/Challeng Local Cool Japan in パリ(経済産業省・近畿経済産業局)
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この記事を書いた人
Ulalaライター・ブロガー
日本では大手メーカーでエンジニアとして勤務後、フランスに渡り、パリでWEB関係でプログラマー、システム管理者として勤務。現在は二人の子育ての傍ら、ブログの運営、著述家として活動中。ほとんど日本人がいない町で、フランス人社会にどっぷり入って生活している体験をふまえたフランスの生活、子育て、教育に関することを中心に書いてます。