今後も起きうる北朝鮮による拉致
島田洋一(福井県立大学教授)
「島田洋一の国際政治力」
【まとめ】
・北朝鮮木造船漂流が相次ぎ、日本海沿岸の市町村では拉致に対する不安が広がっている。
・拉致は北朝鮮体制の本質に根付いた行為であり、その目的は様々である。
・今後も機会さえあれば繰り返されると見ておかねばならない。
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■北朝鮮の体質としての拉致
北朝鮮の木造船の漂着が相次いでいる。その中の一隻は、北海道沖合の小島に立ち寄り、漁業者の避難小屋にあった家電製品やバイクなどを盗み出していたことが明らかになった。日本海沿岸の市町村では、何か危害が加えられるのではないか、また拉致されるのではないかといった不安が広がりつつある。
▲写真)不審船通報を呼びかける看板の写真 2006年12月撮影 出典) public domain
北朝鮮では、資本主義国からモノを奪い取り利用するのは「革命家の義務」であり、そこに良心の呵責が入り込む余地はない。特に、かつて朝鮮半島を「蹂躪」し、「未だ反省していない」宿敵日本に対してはそうである。
拉致は、現独裁者金正恩の父である金正日が、1970年代から80年代に掛けての一時期、思いつきで工作機関に命じた作戦ではない。深く北朝鮮の体質に根差しており、あの体制の初期から行われていたし、またあの体制が続く限り、いつまた起こっても不思議ではない。油断は禁物である。以下、少し歴史的に整理しておこう。
▲ 写真)第二代最高指導者 金正日氏 出典)Photoby Joseph Ferris III
■拉致の歴史
拉致は、1948年の北朝鮮の建国以来一貫して続いてきた「政策」の1つである。その特徴から、大きく4つの時期に分けられる。
拉致の第1期は、建国から朝鮮戦争休戦までの、金日成が首領だった時代である。
▲ 写真)初代最高指導者 金日成氏 出典)Photob by Gilad Rom
金日成は本名金聖柱、第二次大戦中にソ連内務省管理下の極東警備司令部でスパイ教育を受け、日本の敗戦後、朝鮮半島北半部を占領したソ連軍政司令部によって、伝説の抗日英雄「金日成将軍」の名で権力の座に据えられた。金日成はその後、スターリン仕込みの粛正により、政敵を次々排除して独裁権力を固めていく。
1946年7月31日、金日成は、「南朝鮮からインテリを連れてくることについて」と題した韓国人拉致指令を発した。背景には、北の恐怖政治から逃れ越南する人々が後を絶たなかった事情がある。相次ぐ粛正もあり、北は知識層を中心に人材が払底しつつあった。
上記指令において金日成は次のように述べている。「我々が新しい民主朝鮮建設で直面している最も大きな難関のひとつは大学教員、学者をはじめとするインテリが大変不足していることです。そのため産業運輸施設を復旧整備し、管理運営するにあたって支障をきたし、教育、科学、文学芸術を発展させるにも隘路を感じています。……わが国のインテリ不足は、悪徳な日帝植民地統治の結果です。朝鮮を強占した日本帝国主義者らは、わが人民を搾取、圧迫し、民族愚昧化政策を実施しました。……日本や満洲の大学で勉強した人もいますが、ほんの僅かであり、また方々に散らばっています。当面、インテリ不足を解決するには北朝鮮にいるインテリを探し出す一方、南朝鮮にいるインテリを連れてこなければなりません」(金日成全集第4巻)。
北朝鮮に不足があり、人材を外部から確保(拉致)せざるを得ないのは「日帝」のせい、という論理が明示されている。当然、「日帝」自身の地から必要な人間を拉致し、金品を窃取する行為は正当化される。
ともあれ、1950年6月に北の南侵で朝鮮戦争が始まると、上記のインテリ確保指令に加えて、一般的な労働力不足を補うため、50万人のソウル市民を北に連行する計画が立てられた(朝鮮軍事委員会第18号決定書)。実際、1953年の停戦までに約9万6000人が拉致されたと言われる。縄で数珠つなぎにされて歩かされ、水や食糧もほとんど与えられない中、力尽きて路上に遺棄ないし殺処分された例も多かったという。
▲ 写真)朝鮮戦争時、南部に非難する韓国民(1950年代) 出典) UN Defense Department
第2期は、朝鮮戦争の停戦から1970年代半ばに至る時期で、やはり金日成が首領の時代である。この頃の拉致は、韓国漁船の拿捕による船と乗組員の奪取が主で、被害漁民の数は約420人に上る。
第3期は、1974年に金正日が後継指名され、対南工作部門を掌握した1975年6月以降である。金正日は、1976年初めの対南工作部門幹部会議において、集中点検の結果従来の工作は成果がゼロだったと総括、「工作員が現地事情を知らないため、非合法から半合法に移るとき容易に身分が露呈する。敵区に派遣された指導的工作員が現地組織をやみくもに引っ張り回し、危険を招来し、破壊される事例も出た」などと批判した。
そして、敵地浸透・同化能力を高めるため、「工作員の現地化教育を徹底的に行え。そのために現地人を連れて来て教育に当たらせよ」と拉致指令を発した。
この「現地化、敵区化教育」方針により、主として言葉、風習、生活習慣などを教えさせるため、韓国、日本を中心に東南アジア、中東、欧州などからの外国人拉致が多発するに至った。1977年、78年が最も多くの被害者を出した年である。一例を挙げると、横田めぐみさんは1977年、地村、蓮池、市川夫妻(いずれも北で結婚)の3カップルや曽我親子は78年に拉致されている。
▲ 写真)横田めぐみさん 出典)政府拉致問題対策本部
▲ 出典)政府拉致問題対策本部パンフレットより
なお、上記の金正日による拉致指令は、すべて自分の発案であるかのように誇張されているが、実際はそれ以前から、工作現場の判断で外国人拉致は行われていた。ただ、金正日の指示を受けて、より組織化されたことは間違いない。
第4期は、飢餓の蔓延で脱北者が急増した1990年代後半以降に、主に中朝国境や雲南省(中国から東南アジアに脱ける際のルートに当たる)などで行われた拉致である。
政治警察である国家保衛部が主として担当した。脱北者に加え、支援者と目された韓国人や朝鮮系中国人が主たる標的となった。2004年8月に雲南省で失踪した米国青年デヴィド・スネドン氏もこのケースだった可能性が高い(韓国語に堪能であり、脱北支援者と誤認されたと見られる)。なお、2016年9月28日、米連邦議会下院が、北朝鮮による拉致を視野にスネドン事件の真相解明を求める決議を採択している。
▲ 写真)拉致に遭ったとされる米国人デイビッド・スネドン氏 出典)Finding David Sneddon
■拉致、8つの目的
さて以下に、北朝鮮による外国人拉致の目的を簡単に整理しておこう。8点にまとめられると思う。
①工作活動の隠蔽。たまたま工作現場に居合わせた目撃者を連れ去るケースなど。1963年の寺越事件では、工作船に遭遇した漁船の乗組員が拉致された。その1人、寺越武志さんは当時13歳。横田めぐみさんと同じ年齢での拉致である。日本政府は、武志さんをいまだ拉致認定せず、北に帰国を強く要求してもいない。が、13歳の男の子を放置して、13歳の女の子を必ず取り戻すと力説しても説得力を欠くだろう。
北朝鮮側は、武志さんは拉致ではなく遭難中の救助だと主張している。仮に百歩譲ってそれが事実だとしても(事実ではないが)、子供を救助して何十年も親に知らせなければ、拉致と同じだろう。
②身分の盗用。いわゆる「背(はい)乗り」。被害者になりすまして国際的信用力の高い日本のパスポートを取ることなどが目的。
③洗脳し、工作員として利用する。この目的で拉致したものの、うまくいかず教育係とした例もあったようである。
④工作員現地化の教育係に使う。日本語を教えさせるなら在日朝鮮人を使えばよく、日本人拉致の必然性がないと、「拉致疑惑」否定論者がかつてよく論じたが、金正日の「現地化」論理では、在日では日本人的立ち居振る舞いの教官として不足だったのだろう。
⑤拉致被害者や脱走米兵など外国人の配偶者にする。
⑥北朝鮮内では得られない特殊技能を持った専門家を確保する。朝鮮戦争中の韓国インテリ拉致以来の発想である。韓国の映画監督申相玉、女優の崔銀姫夫妻を拉致し、北朝鮮で映画作りをさせた例などがある。
⑦反北活動の阻止。北朝鮮難民を支援する活動家の拉致などがこれに当たる。
⑧対南宣伝に利用。拉致した人物に、北の体制の優位性などを語らせる。上記の女優崔銀姫氏は、金正日から「南朝鮮の人々を前にわが社会主義祖国の優越性について崔先生が一言いえば、その効果は大きい。南朝鮮には崔先生のファンがどれほど多いことか」と宣伝戦への協力を求められたという。
1950年代末から本格化した在日朝鮮人の「帰国運動」にも宣伝戦の一環という要素があった。金日成は、第一次帰国団への談話で、「世界史において、海外公民たちがいわゆる『自由世界』から社会主義社会に集団移住した実例はありません。国が南北に分かれているわが国の条件において、在日同胞たちが共和国北半部の社会主義祖国へ集団的に帰ってくるということは、わが党と人民の勝利だけではなくすべての社会主義国の勝利となるのです」と強調している。
以上8つの目的は相互に排除し合うものではなく、複数の目的を持った、あるいは途中で目的が変わったケースも多々あったと思われる。
例えば、崔銀姫氏の場合は⑥+⑧、スネドン氏(北で工作員の英語教育に当たらされているという情報がある)の場合は、⑦+④のケースであろう。
拉致は北朝鮮体制の本質に根付いた行為である。今後も機会さえあれば繰り返されると見ておかねばならないだろう。
TOP画像:政府の拉致問題啓発ポスター(写真:横田めぐみさん) 出典)北朝鮮による日本人拉致問題(制作:政府 拉致問題対策本部)
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この記事を書いた人
島田洋一福井県立大学教授
福井県立大学教授、国家基本問題研究所(櫻井よしこ理事長)評議員・企画委員、拉致被害者を救う会全国協議会副会長。1957年大阪府生まれ。京都大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程修了。著書に『アメリカ・北朝鮮抗争史』など多数。月刊正論に「アメリカの深層」、月刊WILLに「天下の大道」連載中。産経新聞「正論」執筆メンバー。