対中「先制降伏」論の何が危険か
島田洋一(福井県立大学教授)
「島田洋一の国際政治力」
【まとめ】
・日本には中国に攻められたら「先制降伏」するのが正解との趣旨を公言する評論家や「学者」がいる。
・中国に無抵抗降伏した途端、アメリカは瞬時にして「最凶の敵」に転ずる。
・「先制降伏」すれば、占領中国軍による暴虐と、アメリカによる攻撃の両方に晒されることになろう。
アメリカの次期大統領選に出馬を検討するマイク・ポンペオ前国務長官は、かつて米陸軍の戦車部隊長として東西ドイツ国境地帯で偵察任務に当たった経験を持つ。
その時期、常にレーガン大統領の言葉を肝に銘じていたという。
「アメリカが自由を失えば、どこにも逃げる場所はない。我々は最後の砦だ」
写真:年次保守政治行動会議 (CPAC) でのマイク・ポンペオ氏(アメリカ メリーランド州、ナショナル・ハーバー 2023年3月3日)出典:Photo by Anna Moneymaker/Getty Images
日本には、中国に攻められたら逃げればいい、無理に抵抗せず降伏するのが正解との趣旨を公言する評論家や「学者」がいるが、歴史およびアメリカを知らない発言という他ない。
例えばテレビコメンテーターの橋下徹氏は、ロシアの侵略に軍事的抵抗を続けるウクライナに関し、抵抗すれば死傷者が増えるだけだから「政治的妥結」(降伏と同義だろう)をし、将来起こるかも知れない(と氏が仮定する)状況の好転に期待すべきだと、在日ウクライナ人研究者らに繰り返し説諭してきた。
これは、尖閣諸島への領土的野心を隠さない中国共産党政権(以下中共)の習近平総書記に対して、暗に「少なくとも僕はテレビを通じて、一切抵抗するなと、日本国民の説得に当たります」とメッセージを送っているに等しい。
中共は常に日本世論の動向を注視している。プーチン氏同様、独裁病の進行が懸念される習近平氏が、大手地上波放送局に頻繁に登場する橋下氏らの影響力を過大評価し、無謀な軍事行動に出るといった展開もあり得ないわけではない。
しかし橋下氏の勧めに反して、自衛隊はもちろん多くの国民は戦いや抵抗を選ぶから、日本はウクライナのような状況に陥るだろう(専守防衛を改めない限り、本土が戦場にならざるを得ない)。
トップに遵法精神も人権感覚もない国の軍隊は、占領地で歯止めなき暴行略奪集団と化す。現に、非武装のウクライナ人商店主らを背後から射殺し、略奪、乾杯に及ぶロシア兵たちの姿が監視カメラに捉えられている。
橋下氏は次のようにも述べている。
《軍事的合理性に基づく撤退は当然あり得る。問題は一般市民をどうするかだ。ロシア軍はウクライナ市民を虐殺するので戦うしかないと言っていたのなら一般市民を置き去りにする撤退はあり得ない》(2022年5月28日付ツイート)
当初は、降伏すればロシア占領下で平穏に暮らせるとのシナリオを提示していたはずだが、ロシア軍の残虐行為が次々明らかになるにつれ、ウクライナ軍は市民を全員引き連れてどこかに撤退し、町を無人の状態でロシア軍に引き渡せとの立場に変わったらしい。
中国軍日本侵攻の場合に置き換えれば、自衛隊は一般市民を先導していち早く僻地まで撤退せよ、あるいは海外に逃避せよ、との主張になろう。無傷のまま明け渡された家屋は中国兵が利用し、やがては一般の中国人が住むことになる。
要するに、中共に攻撃を逡巡させるような抵抗や反撃の態勢(すなわち抑止力)を日本は放棄し、中国の植民地になる運命を甘受せよというのが橋下論法の行き着く先となる。
こうした議論は、「アメリカの怖さ」を理解していない点でも致命的である。今でこそ同盟国だが、日本が中国に無抵抗降伏した途端、アメリカは瞬時にして「最凶の敵」に転ずるだろう。
東アジアにおいて、地理的位置、経済力の点で戦略的に最重要の日本が、中国軍の基地およびハイテク拠点として使われるのを座視するほどアメリカはのんき者ではない。
戦わずに手を挙げれば平穏無事どころか、占領中国軍による暴虐と、アメリカによる攻撃の両方に晒されることになろう。歴史はそうした事例に満ちている。
例えば第二次世界大戦初期の1940年7月3日、イギリス海軍が、直前まで同盟国ながらドイツに降伏したフランスの艦隊に総攻撃を加えた。地中海に面した仏領アルジェリアの湾に停泊していた船舶群だった。
その2週間前、フランスはナチスのパリ無血入城を許していた。そのためイギリスは、陸軍力、空軍力に比し海軍力が弱かったドイツが、フランス艦隊を組み込むことで一挙に海においても強敵となり、軍事バランスが決定的に崩れかねないと懸念した。そこでまず、艦船の引き渡しをフランス海軍に要求したが拒否されたため、殲滅作戦に出たわけである。
この間、フランス海軍のダーラン司令官は、ドイツ軍の傘下には決して入らないと力説したが、英側の容れるところとはならなかった。
結局、イギリス軍の爆撃によって、フランス側は、艦船多数を失うと共に、1297人の死者を出した。
アメリカも、戦略的に最重要の横須賀海軍基地(巨大空母が入港できるドックがある)をはじめ、日本にある軍事施設や戦略インフラを相当程度破壊してから去るだろう。
アメリカに甘え、アメリカを知らない「先制降伏」論は、日本を、かつて「中東のパリ」と言われるほど栄えながら、その後、戦乱とテロで荒廃の地と化したレバノンの東洋版へと導くだろう。
トップ写真:天安門広場で行われた中華人民共和国の建国 70 周年を祝うパレードで行進する人民解放軍の兵士(中国・北京、2019年10月1日)出典:Photo by Andrea Verdelli/Getty Images
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この記事を書いた人
島田洋一福井県立大学教授
福井県立大学教授、国家基本問題研究所(櫻井よしこ理事長)評議員・企画委員、拉致被害者を救う会全国協議会副会長。1957年大阪府生まれ。京都大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程修了。著書に『アメリカ・北朝鮮抗争史』など多数。月刊正論に「アメリカの深層」、月刊WILLに「天下の大道」連載中。産経新聞「正論」執筆メンバー。