政府批判ツイートで記者強制退去 インドネシア麻疹問題
大塚智彦(Pan Asia News 記者)
「大塚智彦の東南アジア万華鏡」
【まとめ】
・インドネシアパプア州で2017年から子供の栄養失調拡大、麻疹が蔓延。
・BB記者が現地取材中支援物資は「インスタント麺、甘いソフトドリンクにビスケットしかない」とツイート。
・これに国軍が「政府の支援活動の真実を反映していない」と猛反発。移民局が記者を同州から強制退去させた。
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インドネシア東部、ニューギニア島にあるパプア州から英放送局BBCの記者ら3人が首都ジャカルタに強制退去させられる事件が起きた。
図)インドネシア東部 ニューギニア島パプア州
出典)パプリックコモンズ LocationPapuaNewGuinea.svg
パプア州で2017年から続く子供たちの栄養失調の拡大、麻疹(はしか)の蔓延などを取材していたところ、記者が個人的にツイッターに掲載した写真とコメントが「事実と異なる」として現地のインドネシア国軍が強く反発。その結果移民局がBBC記者らの旅券を取り上げて取材を禁止、州外に強制的に退去させる措置を取ったのだ。
現地やジャカルタ地元メディアなどによると、BBCジャカルタ支局のオーストラリア国籍のレベッカ・アリス・ヘンシュケ記者ら3人は、パプア州アスマット県でこの4カ月に子供約60人が栄養失調や麻疹で死亡したとの報道があり、その実情を取材していた。ところが2月1日にレベッカ記者がツイッター上に取材時の写真とコメントをアップ。
写真)BBCジャカルタ支局 レベッカ・アリス・ヘンシュケ記者
「飲み物と食料ボックス」の写真に「これがパプアで栄養失調の子供たちに支援物資として配られているもので、インスタント麺、甘いソフトドリンクにビスケットしかない」とコメントした。
■ ツイッターに国軍が反発
これに対し現地で救援活動を支援している国軍が「写真の飲み物と食料は支援物資ではなく、地元で市販されているものでたまたまそこにあったに過ぎない。政府の支援活動の真実を反映していないこうした情報発信は問題である」と猛反発。移民局も「こうしたツイートはインドネシア政府だけでなく、インドネシア人全体への侮辱である」として移民局現地事務所が3人を呼び、旅券を一時没収し、以後の取材活動を禁止する措置を講じた。地元警察の事情聴取後に同州から強制退去させたという。
インドネシア政府は同州での子供の栄養状態、衛生環境が悪化していることから2017年9月から現地に医療チームを派遣して対応していた。保健省は1月にも専門医11人、外科看護師や麻酔科医師など合計39人からなる追加の医療チームを増派するとともに麻疹ワクチン800本、栄養補助品約3トンを現地に送っている。社会省も人道支援の観点から米や毛布などの物資を配布している。
写真)パプア州で治療をするインドネシア軍
出典)Tentara Nasional Indonesia Twitter
しかし、山岳地帯であることや交通網が未発達であることなどから、思うように救援物資や医療援護が必要とされる村落にまで完全には行き渡ってはいないのも現実である。
ジョコ・ウィドド大統領も1月14日に「医療チームに加えて追加の食料も送っているが、現地のアクセスが難しい」と述べ、政府としてできる限りの支援を行っていることを強調しながらもその問題点も指摘していた。
写真)ジョコ・ウィドド インドネシア大統領
一部報道では麻疹と栄養失調ですでに子供71人が死亡しているともいわれ、現地では緊急事態となっている。アスマット県は人口約9万人だが、遠隔地のため総合病院は1つ、産院が1つで保健所や保健支所が住民の健康管理、一部治療を行っているものの医師は26人しかいないといわれている。
写真)麻疹にかかった子供を抱く教師 2015年1月
flickr : CDC Global Submitted by Edy Purba
■ スハルト時代から開発の遅れ
インドネシア東端に位置するパプア州では、以前から「自由パプア運動(OPM)」による武装独立闘争が続き、1998年に崩壊したスハルト長期独裁政権下ではアチェ、東ティモール(その後独立)とともに「軍事作戦地域(DOM)」 に指定され、外国人記者は現地訪問に際して特別な許可や情報省役人の同行が必要だった時期もある。
写真)自由パプア運動(OPM)
出典)Free West Papua Campaign 代表 Benny Wenda HP
武装闘争の影響やインフラのほとんどない山間部が多いことなどからインドネシアでも最も開発が遅れた地域の一つとされてきた。OPMは現在でも細々とではあるが活動を続けており、山間部や地方への訪問は現地警察への届け出が求められている。
こうした背景もあり、インドネシア国民のパプア州への関心は低いのが実情で、今回のBBC記者への厳しい対応も「あまり積極的とは言い難い政府による支援の実態が海外に報道されることを危惧した治安当局の恐れが背景にあるのではないか」(ジャカルタのインドネシア紙記者)との見方が有力だ。
■ 政治年で政府、治安当局が敏感に
インドネシアで自由な記者活動、報道を支援している「独立ジャーナリスト連盟」(AJI)はメディアの取材に「外国人の記者活動の規制、制限は遺憾である」と反対する立場を表明。その上でジョコ・ウィドド大統領が再三パプア州を外国人記者に開放してより多くのマスコミに実情を取材・報道してほしいとしていることに言及し「政府や大統領のそうしたパプア訪問歓迎方針があるにも関わらず、今回のような(BBC記者への)対応をしていることは、政府が訪問歓迎を真剣に考えていないことの反映とも言える」と厳しく批判している。
インドネシア政府としては今年から来年にかけて統一地方首長選挙、国会議員選挙そして大統領選挙を控える「政治年」でもあり、8月には国威発揚の機会でもあるアジア大会の開催を控えていることもあり、民族、宗教、人種、階層といった社会の機微に触れる問題に関しては例年にも増して一層敏感になっているという現実がある。
こうした時期に、開発が遅れたパプア地域で栄養失調や麻疹といったことが原因で子供たちが多数犠牲となっていること、さらに支援活動が十分いき渡っていないことなどから、内外の報道に神経を尖らせていることが、今回のBBCへの異例の厳しい対策に反映されているといえるだろう。
写真)パプア州でのインドネシア軍の支援
出典)Tentara Nasional Indonesia Twitter
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この記事を書いた人
大塚智彦フリージャーナリスト
1957年東京都生まれ、国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞入社、長野支局、防衛庁担当、ジャカルタ支局長を歴任。2000年から産経新聞でシンガポール支局長、防衛省担当などを経て、現在はフリーランス記者として東南アジアをテーマに取材活動中。東洋経済新報社「アジアの中の自衛隊」、小学館学術文庫「民主国家への道−−ジャカルタ報道2000日」など。