イスラム圏永遠の禁句「十字軍」 イスラム脅威論の虚構 その6(下)
林信吾(作家・ジャーナリスト)
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・十字軍の戦い=”crusade”は「正義の戦い」を意味する一般名詞となった。
・アメリカを支持しない者は全て「異教徒」だとして蛮行を聖戦と言い張るのは「十字軍的発想」。
・ ムスリムの心情を考慮せず十字軍と口にしたブッシュ元大統領の思慮のなさ。
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もともと十字軍の戦いを意味する”crusade”という単語は、固有名詞として「聖戦」と訳すのがもっとも自然だが、いつしか正義の戦いを意味する一般名詞となってきた。
フランスの文豪ヴィクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル』が英語のミュージカルとなり、さらには映画化されているが、その中で、王政復古に反対して武装蜂起(1832年のいわゆる6月暴動)した若者たちが歌う「民衆の歌」に、こんな歌詞が見られる。
写真)ヴィクトル・ユーゴー
出典)パブリックドメイン
”Will you join in our crusade? Who will be strong and stand with me?”
劇団四季の公演など、日本語で歌われる際には、単に「列に入れよ、我らの味方に」となっているが(岩谷時子・訳詞)、たしかにこの場合のWill you……?は疑問系というよりほとんど命令形のニュアンスで「正義の戦いに加わるのだ。わが方の強い味方はまだいるだろう」といったほどの意味になる。曲がついているので音韻を整える必要があることを考えれば、岩谷時子さんは、さすが名訳をなしたと思う。
ともあれ、現代英語の”crusade”が、キリスト教の聖地を守るための戦い、という原義にさほどこだわらずに使われていることは、これでお分かりいただけるであろう。
順を追って、その理由を考えてみよう。
十字軍が中近東で大いに蛮行を働いて、当地のキリスト教徒からも怨嗟の声がわき起こったことは前稿で述べた通りだが、彼らを送り出したヨーロッパの側には、もちろん異なる視点が存在する。
第一に、これはヨーロッパの諸侯と民衆が一致団結して事に当たった最初の事例であるとされる。と言うより、この大規模な軍事行動を通じて、「ヨーロッパとは異教徒の脅威に対抗する、キリスト教徒の運命共同体である」という認識が次第に根付いていったのである。北方においてはロシア、南方においてはトルコとの境界までをヨーロッパと見なす考えが定着したのは、だいぶ時代が下ってからのようだが。
第二には、十字軍が経済的にも文化的にも、ヨーロッパに大いなる恩恵をもたらした、ということがある。シリアを支配下に置いたことで、地中海の交易が一段と盛んになり(それ以上に多くの部分が略奪によってではあるが)、金銀財宝のみならず、多くの文物が東方からもたらされた。
たとえばギリシャ哲学など、ギリシャ全土がローマに制圧され(紀元前1世紀)、4世紀以降ローマがキリスト教化されてからは、事実上、黙殺されていたのである。
紀元前6世紀から続いていたとされるオリンピア競技会=古代オリンピックまでが、異教の祭りであるとされ、途絶えていた(よく知られる通り、19世紀末にフランスのクーベルタン男爵らの尽力で、近代オリンピックとして復権したわけだが、これは余談)。
ところが十字軍により、かつてアラビア語に翻訳されていた多数の文献がヨーロッパにもたらされ、カトリックの教義とは無縁のところにも(なにしろキリスト教が成立する以前の文化だ)豊かな知恵の世界があり得るのだということが、あらためて認識されるようになった。
これが、ヴェネチアなど海洋貿易国家が大いに富を得たことと相まって、後のルネッサンスにつながって行くのである。
第三には、前稿でも触れたように、第一回十字軍が、3年余におよぶ苦難の遠征の末にエルサレムをイスラムから奪い取ったことで、ヨーロッパの人々は、「やはり神は正しき者に味方した」などと考えるようになった。正義は我にあり、と信じて優勢な敵に立ち向かう崇高な行為が”crusade”なのだ。
その後イスラムが盛り返し、再びエルサレムを手中に収めた(1187年)結果、十字軍も数次にわたって送り出されることとなり、イングランドのリチャード1世「獅子心王(リチャード・ザ・ライオンハート)」など、国王が陣頭指揮を執る例まで見受けられるようになった。
写真)イングランド王のリチャード1世
出典)Joconde Database 絵の作者:Merry-Joseph Blondel
かくして、近世になってからも、またキリスト教の教義と関係あろうがあるまいが、正義は我にありと信じる人々が、十字軍を名乗るケースが出てきた。
昨今『赤狩り』(山本おさむ・著 小学館)という漫画が人気を博している。1950年代のハリウッドで、有名なマッカーシズムに抵抗しつつ『ローマの休日』などの傑作を生み出した映画人たちの苦闘を描いたものだ。
写真)赤狩り(山本おさむ・著)カバー
出典)Amazon
この漫画には出てこないが(2018年3月初旬現在。『ビッグコミックオリジナル』にて連載中なので、そのうち出てくるかも知れない)、マッカーシズムに同調して、積極的に共産主義シンパの摘発につとめたハリウッドの映画人たちもいた。
その旗振り役が、当時若手俳優だったロナルド・レーガンで、言わずと知れた後の40代大統領だが、彼らは複数の反共主義組織と連携して「自由十字軍」を名乗っていた。
写真)ドナルド・レーガン元大統領
出典)パブリックドメイン
この文脈で見る限り、ジョージ・ブッシュJr元大統領が”crusade=十字軍”と口にしたのも、もしかしたら本当に「全イスラムを敵視した発言ではない」のかも知れない。
しかしながら、やはり言ってよいことと悪いことはあっただろう。
彼はまた、こうも言った。「この戦いに中立などはあり得ない」
そして実際、当時のアフガニスタン政府が、ビンラディンが同時多発テロを主導したというたしかな証拠を示せば、こちらで逮捕して身柄を米国に引き渡す、と言っていたにもかかわらず、空爆が強行された。
これでは、アメリカ合衆国を支持しない者はすべて「異教徒」であるとして、蛮行を聖戦と言い張る「十字軍的発想」だと決めつけられても仕方あるまい。
もちろん私は、ISが無差別テロを実行するたびに「十字軍をなぎ倒した」などと発言することに、少しのシンパシーも示すものではない。ただ、イスラム系市民の心情をまるで考慮することなく十字軍などと口にした、元大統領の思慮のなさに憤りを禁じ得ないだけである。
(この記事は、だから「十字軍」は憎まれる イスラム脅威論の虚構 その6(上)の続き)
トップ画像)アンティオキア攻囲戦(第1回十字軍)1897年10月~1898年6月
出典)Adam Bishop 絵の作者:Jean Columbe
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。