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.国際  投稿日:2019/7/3

嘲笑された日本の小切手外交  集団的自衛権の禁止とは 2


古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)

「古森義久の内外透視 」

【まとめ】

・集団的自衛権は義務ではない。正義や平和の為の戦いをする権利。

・国際平和維持に貢献できぬ自己中心の国のあり方批判され久しい。

・日本は第一次湾岸戦争で国際大義のた為に何もせず、嘲けられた。

 

【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては全て表示されないことがあります。その場合はJapan In-depthのサイトhttps://japan-indepth.jp/?p=46572でお読みください。】

 

アメリカのドナルド・トランプ大統領が非難した日米同盟の不平等は、日本が同盟相手のアメリカが攻撃されても、ともには戦えないという状態を指していた。有事に「ともに戦う」というのは集団的自衛権を行使することである。

ここで出発点に戻り、集団的自衛権とはそもそもなんなのかを述べておこう。

ごく簡単にいえば、集団的自衛権とは一国が他の国といっしょになって戦う権利のことである。どの主権国家も独自の集団的自衛権を保有することは自明とされる。国連でもはっきりと各国のその権利を認めている。国連自体が安全保障活動の一環として平和維持活動を実行する際にも、その活動に加わる諸国はみな集団的自衛権を行使することになる。

▲写真 海上自衛隊護衛艦「かが」を視察する日米両首脳(2019年5月28日) 出典:首相官邸 facebook

一つの主権国家が集団的自衛権を行使するのは、共同防衛を誓いあう同盟の相手国が攻撃された場合がまず多い。さらには国連の平和維持活動に加わり、戦闘の危険がある地域に出動すれば、集団的自衛権の行使となる。だから国連の安全保障関連の活動はみな各国の集団的自衛権の行使があってこそ成り立つこととなる。

各主権国家はたとえ自国が攻撃されていなくても、集団的自衛権を行使して、他の国などと戦うことができる。だから集団的自衛権の行使は、国際正義のため、人道主義のため、あるいは自国にとって大切な他国や他国民を支援するため、などの目的によることとなる。

そしてこの集団的自衛権はあくまで権利であって義務ではないことも銘記しておくべきだろう。どの国にとっても集団的自衛権を行使するかどうかは、その国自身が決めることである。たとえ国連から要請されても、他国から求められても、その集団自衛の行動が自国の利益には合致しない、あるいはあまりに危険すぎる、ということであれば、なにもしないという選択肢を選べばよいのだ。一方、どの国もたとえ自国が直接に攻撃されていなくても、この集団的自衛権を使うことができる。

他方、自国自身だけを守る権利は個別的自衛権となる。個別と集団の自衛権を人間の防衛にたとえるならば、個別的自衛権の発動が自分だけを守る権利の行使となる。集団的自衛権は愛する者を守るための戦い、あるいは正義のため、平和のための戦いをするそれぞれの権利だともいえよう。

▲写真 41カ国が部隊を派遣している国連レバノン暫定隊(UNIFIL)。日本は参加していない。 出典:United Nations Peacekeeping facebook

全世界でもわが日本だけは集団的自衛権は保持はしているが、行使はできないという立場をとる。その理由は憲法9条の規定である。憲法9条は他国なら自明の権利の交戦権を禁じ、戦力の保持を禁じているからだ。戦争の放棄をもうたっている。では自分の国を守るための戦いもできないのか、というと、9条の解釈はかろうじて、戦争は「国際紛争を解決する手段」としては一切禁止だが、自国の防衛のためには禁止はしていない、ということになっている。だから自衛隊が存在できるというわけだ。

集団的自衛権の行使の禁止は日本だけを考えれば、ひびきのよい「不戦の誓い」などとなるのかもしれない。だが日本の防衛を引き受けているアメリカからすれば、自己中心的な宣言として映る。国際平和活動からみても全世界で日本だけは戦闘の危険が少しでもある場合は参加はできないのだ。だから国際平和維持には貢献できない自己中心の国のあり方ということになる。

日本の集団自衛の拒否が国際的な批判の対象となってもう久しい。「自己中心」「他国の安全保障努力へのただ乗り」「外部をみない一国平和主義」といった批判だった。東西冷戦でソ連が崩壊した1990年代はじめごろからである。

もう一つはアメリカからの批判である。アメリカは日本を防衛するためには、自国民の若者たちの生命への危険を冒しても戦うことになる。だが日本はアメリカを防衛するために戦うことはない。この点こそが今回のトランプ大統領の批判だった。

この2種類の批判は骨子においては一体だが、説明をわかりやすくするために二つに分けて報告しよう。

第一の国際的な批判は1991年1月に始まった第一次湾岸戦争であらわに示された。その前年のイラクのフセイン政権のクウェート軍事占領に反対する諸国はアメリカの主導と国連の承認を得て、多国籍軍を結成し、イラク軍を攻撃した。約30ヵ国が参加し、実際に部隊を送った。各国はこぞって集団的自衛権を行使したのだ。

だが日本はなんの行動も取らなかった。日本は日ごろ世界平和への寄与を誇らしげに宣伝し、湾岸からの石油への依存も大きかった。だが実際の平和維持活動をなにもしなかった

▲写真 第一次湾岸戦争(1991年) 出典:Public domain

日本はイラクの他国の軍事占領を正すという国際大義のために、汗も血も流さなかったのだ。かわりに巨額の資金を提供した。だが多国籍軍に主権を回復されたクウェート政府はその参加国すべてに感謝の意を述べながら、日本にはなにも伝えなかった。日本の態度は国際的に「小切手外交」とあざけられた。 

日本が世界の経済大国でありながら、他のすべての諸国がそれなりに貢献する国際平和の維持になにもできないということへの批判でもあった。日本だけは集団的自衛権の禁止のために世界の多数の諸国が共同で進める安保活動、平和維持活動はまったくゼロになってしまう、という結果だった。

(1はこちら3につづく)

トップ写真: G20大阪サミットでの日米首脳会談が行われた会場(2019年6月28日 大阪市) 出典:flickr ; The White House


この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授

産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

古森義久

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