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.国際  投稿日:2019/7/5

「一国平和主義」への非難 集団的自衛権の禁止とは 3


古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)

「古森義久の内外透視 」

【まとめ】

・アメリカは20年以上前から日本の集団的自衛権行使の解禁希求。

・日本の集団的自衛権行使禁止による片務性で日米同盟崩壊の危機。

・冷戦後、米は日本の軍事面での能力向上歓迎。しかし日本応えず。

 

【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては全て表示されないことがあります。その場合はJapan In-depthのサイトhttps://japan-indepth.jp/?p=46645でお読みください。】

 

これまで日本が集団的自衛権を行使しないことへの国際的な批判を説明してきた。

第二はアメリカからの批判である。

日本が集団的自衛権を行使することをみずからに禁じているという状態は日米同盟のまさに片務性となる。有事にも日本はアメリカを助けない。日本自身が攻撃されない限りは、なのだ。この点へのアメリカの批判は国際的な批判よりもずっと重大である。日本を守る日米同盟の浮沈にかかわっているからだ。

この点、日本側では米軍に日本国内の基地を使わせること、さらにはその在日米軍の経費を日本がかなりの部分、負担すること、などをあげて、「片務的ではない」と反論する。

▲写真 在日米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)。日本政府は基地提供義務などを挙げ日米同盟の「片務性」を否定。出典:Sonata [CC BY-SA 3.0]

だが同盟の核心はそこに加わる国家の防衛行動、つまり有事に実際に戦う意図や能力があるかどうか、である。第三国からの武力攻撃にともに戦う意思があるかどうか、という点こそが同盟のあり方を左右するのだ。その防衛行動は施設の提供や経費の支払いとはまったくの別次元のことなのだ。

人間社会で強盗や殺人という凶悪犯罪が起きて、その犯人を実際に取り抑えて、暴力を止めることと、その取り抑える行動を起こすための空間を提供することや、経費を出すことがどれほどかけ離れた行動であるかを考えれば、わかりやすい。危険な仕事は他人にさせて、自分はその結果、得られる安全を享受するだけとなれば、危険な仕事をさせられる側は不公正、不平等として激怒するだろう。

まして他人に生命の危険をかけてまでの戦闘行動を取らせて、守ってもらう側が「カネを払っているから文句はないだろう」と開き直るような関係には相互防衛は成り立たない。

日本の国家の外部に対する防衛や安全保障は戦後、一貫して日米同盟に頼ってきたことを事実として認めない人はいまでは日本側でも少ないだろう。日本は米軍の強大な軍事力を自国の防衛に抑止力として取りこむことで安全保障の態勢を保持してきたのだ。だからいまの日本の集団的自衛権のあり方もまず日米同盟の観点から考えることが欠かせなくなる。

▲写真 日米共同訓練(2015年9月 陸上自衛隊王城寺原演習場)の開始式 出典:防衛省ホームページ

近年、日本の防衛は集団的自衛権の行使をいかなる場合にも禁じるという憲法解釈のために崩壊への大きな危険にさらされてきた。アメリカ側からそういう警告がもう長い間、発せられてきたのだ。だからこそ歴代政権のなかでも同盟や軍事にはきわめて消極的なオバマ政権でさえ、日本が集団的自衛権を行使できるようにすることを求め、安倍政権の平和安保法制への動きにも歓迎の意を述べたのである。この事実はいまの日本でのトランプ大統領の日米同盟批判への反応とは根本から異なるのだ。

日本の集団的自衛権の行使解禁を求める声は20年以上も前からアメリカ政府の内外から、しかも民主、共和両党からともに一致して発せられてきた。アメリカ側のその軌跡をたどると、日本がいまなぜ集団的自衛権の行使を解禁すべきか、という問いかけへの答えがはっきりと浮かびあがる。

アメリカが日米同盟への不満や警告を明確に発するようになったのは1990年代なかばからである。その警告は、日本の集団的自衛権の行使禁止による極端な片務性がいつまでも続くと、日米同盟の実効が薄れ、いざという有事には同盟としての共同防衛機能が果たせないどころか、アメリカの防衛行動を阻害までしうるため、同盟は崩壊の危険にさえ直面する、という骨子だった。

東西冷戦中は、アジアでもソ連の軍事脅威が強大であり、アメリカは全力で対決した。日本のような同盟国への軍事依存も、前線の基地利用が主体であり、実際の作戦面での日本への期待は少なかった。日米同盟が片務的でも、日本が有事になにもできなくても、問題にはせず、自力で戦うという態勢だったのだ。日本を軍事的に強くすると、またアメリカへも悪影響を生むかもしれないという日本不信もまだ残っていたといえよう。

ところが1991年12月のソ連邦の完全解体で東西冷戦が終わると、アメリカの対日同盟政策も微妙な変化をみせ始めた。日本の防衛貢献への期待が増し出したのだ。ある意味では日本への不信が減った結果でもあった。日本がそれまでよりも軍事面で能力を高め、対米協力を増しても、あくまでアメリカのパートナーである限り、歓迎するという態度だった。

だが前述の湾岸戦争での実例のように、日本はよくいえば、「一国平和主義」、悪くいえば、「ただ乗り」の洞穴のなかから出てくる気配はなかった。

の続き、4につづく)

トップ写真:海自護衛艦「いずも」を視察した安倍首相とトランプ大統領(2019年5月28日)出典:首相官邸 facebook


この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授

産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

古森義久

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