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.国際  投稿日:2019/7/1

トランプ氏、日米同盟は不公平 集団的自衛権の禁止とは 1


古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)

「古森義久の内外透視 」

【まとめ】

・トランプ氏は日米同盟の片務性を不公平だと主張。

・米の多国間・二国間防衛同盟は日本以外、みな双務。

・片務性批判は憲法9条の問題や集団的自衛権の問題が大きく関係。

 

【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては全て表示されないことがあります。その場合はJapan In-depthのサイトhttps://japan-indepth.jp/?p=46533でお読みください。】

 

アメリカのドナルド・トランプ大統領の日米同盟批判が日本側に大きな波紋を広げた。この6月下旬の大阪でのG20サミット参加のための来日の際にいまの日米同盟は不公平だと断じた批判である。トランプ大統領はG20を終えての6月29日の記者会見で次のように述べた。

日米安保条約は不公平な合意だ。もし日本が攻撃されれば、私たちアメリカ側は最大限の力で日本のために戦う。しかしアメリカが攻撃されても、日本は戦う必要がない。変えなければいけないと安倍晋三首相に伝えた」

日米安保条約に基づく日米同盟は一方的、片務的だという批判だった。つまり双務的ではないから不公平というわけだ。この批判に対して日本側は官民ともに、もっぱらトランプ発言の軽視、あるいは無視という反応である。日本側のアメリカ通とされる外交官や研究者の間でも、「トランプ氏は安全保障をわかっていない」とか「大統領選挙目当ての勝手な主張だ」という論評が多い。いかにもトランプ大統領が一人だけで、急に思いついたことを口にしている、とみなす程度の対応なのである。

▲写真 G20大阪サミットでのトランプ大統領の会見 出典:Flickr; The White House

しかしこうした対応の背後にある日本側の認識はアメリカの現実とは大きく異なっている。日米同盟の片務性を不公平とみなすのは、トランプ大統領に限らず、いまでは超党派のアメリカの国論とさえ呼べるコンセンサスだからだ。

アメリカが世界の多数の諸国と結ぶ多国間、あるいは二国間の防衛同盟はみな双務である。アメリカは同盟相手の諸国が軍事攻撃を受ければ、自国への攻撃と同じに扱い、その同盟相手国を守るために戦う。一方、同盟相手国もアメリカが攻撃されれば、自国への攻撃と同じにみなして、アメリカとともにアメリカを守るために戦う。これが同盟のメカニズムである。

同盟とは相互の防衛の誓いである。集団防衛のシステムでもある。同盟に加わる諸国がみな一致して共同して外敵と戦うことが基本である。北大西洋条約機構(NATO)のような多国間の同盟でも、アメリカと韓国、アメリカとオーストラリアという二国間同盟でも、みな同様に双務的であり相互的なのだ。

だが日米同盟だけは世界で唯一、例外である。日本はアメリカ本土が攻撃された場合はもちろんのこと、日本の領海、領土のすぐ外で、日米共同の安全保障のために活動していた米軍や米国民が軍事攻撃を受けても、なにもしなくてよいのだ。支援をしてはいけないことになっている。日本の領土領海が攻撃を受けなければ、アメリカとともに戦う集団的自衛権は発動できないのである。

その特異性は日本の憲法9条が原因である。戦力の保持の禁止、交戦権の禁止、軍事力の保持や行使の禁止をうたう憲法9条の解釈により、日本にとっていかに重要な同盟相手国でも、その防衛のためには戦ってはならないとされるからである。だからアメリカからの日米同盟の片務性批判は日本にとって集団的自衛権の問題、憲法の問題に直結している。国のあり方の根幹を問われる課題なのだ。

だからこそ今回のトランプ発言を軽視することはできない。なにしろ日米同盟の片務性批判は憲法9条の問題や集団的自衛権の問題とからみあって、アメリカ側ではすでに長い年月、述べられてきたからである。ではアメリカ側では具体的にその日米同盟や日本国憲法への批判はどのように展開されてきたのか。その詳しい系譜を追ってみよう。トランプ大統領がたまたま今回、正面から提起したこの課題には非常に長い歴史と深く広い経緯が存在するのである。

▲写真 日本陸上自衛隊と第17旅団第17歩兵連隊の第1大隊出身のアメリカ人兵士との二国間演習 出典:Flickr; The U.S. Army

その前に片務、双務を分ける集団的自衛権について説明しておこう。

そもそも集団的自衛権というのは全世界どの主権国家も保有する権利である。自国を守るための方途の一つなのだ。それを行使する権利も同様に全世界共通である。集団的自衛権の行使を最初から禁止する国家というのは日本以外には存在しない。その日本が他の諸国並みの権利を自らに与えようとすると、日本国内の特定勢力は日本がいかにも侵略戦争を明日にでも始めるというような調子で日本自身を糾弾する。

そうした反対論はそもそも集団的自衛権があくまで権利であり、決して義務ではないという基本をも無視している。この権利を行使する自由を得ても、実際の行使にあたっては、その時点での国の外部の状況を総合的にみて、判断を下すことは当然である。行使の権利はあっても、実際の行使はしないという判断も下されるのだ。だがその行使の権利が最初からすべて否定されていれば、危機や脅威への対応策は大幅に縛られてしまう

日本の集団的自衛権の行使を「戦争をする国にする」と断じる日本の一部政治勢力のプロパガンダも奇異である。防衛を考える場合の潜在敵は外部や外国の勢力ではなく、わが日本だとしているに等しいからだ。その主張には自国の防衛という概念はなく、集団自衛のための行動はすべて「戦争をする」という表現で侵略戦争であるかのように描かれるのである。

集団的自衛権自体を危険視するこの種の主張がいかにゆがんでいるか、最近のトランプ政権の尖閣諸島防衛の言明に対する日本側の反応をみても、よくわかる。

トランプ大統領は日本の尖閣諸島が日米安保条約の適用対象になることと、有事には米軍がその防衛にあたることを明言した。尖閣に外部から軍事攻撃があった場合、米軍は日本側と共同で防衛にあたるという基本線の確認だった。日米安保条約の内容からしても当然の言明ではあったが、日本側では朝日新聞も含めてこぞって歓迎した。

尖閣の有事にはアメリカが日本を守るという姿勢が中国の野望を事前に抑える。これこそ日米同盟の抑止の効用でもある。

▲写真 尖閣湾 出典:フォト蔵

ところが日本側がいっせいに喜んだこの米側の動きは集団的自衛権の行使を意味するのである。アメリカは自国が攻撃を受けてはいないが、日本防衛のために軍事力を行使するわけだ。日本はその結果、集団的自衛権のフルの受益者となる。日本側の集団的自衛権反対派はこのアメリカの集団的自衛権行使を礼賛しながら、自国の側の同じ権利は徹底して排除するのだ。その解禁は危険で邪悪な犯罪であるかのように糾弾する。

これほどの矛盾はないだろう。アメリカの集団的自衛権行使は要求し、歓迎し、自国の同じ権利の行使は悪として遠ざける。これでは欲張りの子供のわがままな態度となる。「俺の物は俺の物、お前の物も俺の物」というような、あまりに自己中心の言動パターンだともいえよう。

(2につづく)

トップ写真:G20大阪サミット 出典:首相官邸Twitter


この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授

産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

古森義久

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