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.国際  投稿日:2019/7/19

EUの産みの親は「日系人」 今さら聞けないブレグジット 1


林信吾の「西方見聞録」

 

 

【まとめ】

・ヨーロッパとは幾多の民族が割拠、互いに侵略を繰り返した歴史。

・ヨーロッパ統合思想の先駆けとされた伯爵は日本の血を引いていた。

・日本人の同胞・青山栄次郎はヨーロッパ統合運動の歴史で重要人物。

 

【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては全て表示されないことがあります。その場合はJapan In-depth https://japan-indepth.jp/?p=46933 のサイトでお読みください。】

 

読者の中には、観光やビジネスでヨーロッパを訪れた経験をお持ちの方も、相当数おられることと思う。しかし、「ヨーロッパとは具体的にどこからどこまでか?」と問われて即答できる人が、どれほどいるだろうか。

 

ヨーロッパの語源については諸説あるが、私なりにもっとも信が置けると考えているのは、古代フェニキア語で「日の沈む土地=西の方」あるいは「夜」を意味するエレブだとする説である。

 

なぜこの説を支持するかと言うと、エレブの反対語、すなわち「日の昇る土地」を意味するアシュという単語が、アジアの語源であると広く信じられているからだ。

 

紀元前8世紀頃から、まずギリシャにおいて都市国家が形成され、やがて地中海沿岸部に、いくつかの「植民都市」が作られた。その後、紀元前1世紀にはローマがギリシャを征服し、新たに地中海世界の覇者となる。

 

このローマが4世紀までにキリスト教化されたことから、やがて「キリスト教文化圏」としてのヨーロッパが形成されて行くのだが、神々の世界の話ではない地上の政治史はかなり複雑で、「北方においてはロシア、南方においてはトルコとの境界までの領域がヨーロッパである」との考え方が根付いたのは、ようやく19世紀になってからの話であるとされている。

 

いずれにせよ、世界地図か地球儀を見ていただければ一目瞭然だが、ヨーロッパ大陸などと呼ばれても、地球的規模で見たならば、決して広い領域ではない。そこに幾多の民族が割拠し、互いに侵略を繰り返してきた歴史こそ、ヨーロッパの歴史そのものなのである。

 

国民国家という概念は、たかだかここ200年くらいの間に形成されたものだが、それでもフランスとドイツとの国境地帯に暮らす人たちなど、

「先祖を4代さかのぼると5回国籍が変わっている」といった例まで見受けられる。いつしか、「ヨーロッパ大陸から国境を取り除くことができれば、人々は戦争の恐怖から解放されるのではないか」と考える人が出てきても不思議はない。

 

近代におけるヨーロッパ統合思想の先駆けとされるのは、オーストリア=ハンガリー二重帝国のリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯爵(1894〜1972)が著した『パン・ヨーロッパ』という本である。

 

実はこの人の母親は、東京・牛込の骨董品屋の娘で、店先で落馬した白人外交官(当時、日本は世に言う文明開化の時代だった)を介抱したことから恋仲となり、やがて近代日本における国際結婚の第一号となった人で、その名をクーデンホーフ光子(青山みつ)という。

写真)ハインリヒ・クーデンホーフ=カレルギーと妻の青山光子

出典)Wikimedia Commons; パブリックドメイン

 

つまりこの伯爵は、日本人の血を引いており、出生地も東京で、青山栄次郎という日本名まで授かっている。フルネームもリヒャルト・ニコラウス・栄次郎・クーデンホーフ=カレルギーだ。ただ、2歳で帰国しているので、日本語はまったく話せなかったらしい。母国語はドイツ語で、英語、フランス語、ラテン語も堪能であったのだが。

 

一家の居城は現在のチェコ東部ボヘミア地方にあり、城そのものは現存している。ただオーストリア=ハンガリー二重帝国(以下オーストリア)の上流階級の常として、子供たちは皆ウィーンで教育を受けた。

 

ウィーン大学在学中に第一次世界大戦が勃発し、兄(ヨハネス光太郎=日本生まれ)は徴兵され、弟(ゲオルク。オーストリア生まれ)は志願兵として出征したが、本人は胸部に疾患ありと診断されたため、兵役を免れた

 

戦後、ヨーロッパが再び戦火にさらされることがないようにと、前述の『パン・ヨーロッパ』を世に問い、自らヨーロッパ統合を目指す運動の旗振り役となった。

 

1923年に出版されたこの本はベストセラーとなり、独仏の首脳までが彼の思想に賛意を表し、1930年代の早い時には当時の国際連盟おいて「ヨーロッパ連合」の創設が具体的に討議されるであろう、と見られるまでになった。

 

ところが1929年の世界大恐慌を機に、ドイツではナチスが台頭し、ついには二度目の世界大戦を経験することとなってしまう。

 

この間に、伯爵の新たな母国となったチェコ・スロバキアはナチス・ドイツに征服され、伯爵は命からがら米国に亡命する。後の日本では、この時の逃避行が映画『カサブランカ』のモチーフになった、との言説が流布していたが、これは事実ではない。

写真)映画『カサブランカ』のトレーラー

出典)Wikimedia Commons; パブリックドメイン

 

後に、と言うより、ようやくヨーロッパ統合への動きが現実となったのは第二次世界大戦が終結した後のことであり、この動きを主導したのは、戦時中ナチスによって国を追われ、ロンドンでフランス亡命政府を立ち上げた、シャルル・ドゴール将軍とその側近たちであった。これについては、次稿でもう少し具体的に見る。

 

崇高な理想の持ち主であっても、現実の政治にはうとく、もっとはっきり言えば、世間知らずなボヘミアの田舎貴族であったクーデンホーフ=カレルギー伯爵は、戦後ヨーロッパにあっては、表舞台に再び立つことはなかった。戦前、ナチス。ドイツによるオーストリア併合を阻止すべく、イタリアのムッソリーニの力を借りようと動いたことが、誤解されたという面もあったようだ。

 

このためか、わが国においては、母親のクーデンホーフ光子と比べて、はるかに知名度が低いのだが、私は20年以上前から一貫して、ヨーロッパ統合運動の歴史の中で決して忘れてはならない人物だと訴え続けてきた。

 

彼の人となりに、はからずも宿敵となったヒトラー、彼らが活躍した時代背景については、手前味噌ながら、拙著『青山次郎伝』(角川書店)をご一読いただければと思う。

 

本シリーズのテーマはブレグジット=英国のEU離脱問題だが、正しい理解に至るためには「そもそもEUとはなにか」というところから知識を得て行かなければならない。

 

かつて「国境なきヨーロッパ」を実現させるべきであると説き、その結果ナチスに命を狙われた人物がいたこと。そしてその人物は、東京・牛込の町娘を母として生まれ、青山栄次郎という名を授かった我らの同胞だということは、もっと広く知らしめられるべきであると、私は今も信じている。

(2に続く)

 

トップ写真)林 信吾 著 「青山栄次郎伝 EUの礎を築いた男」

出典)Amazon.co.jp


この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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