ゴーンと司法
.国際  投稿日:2019/4/24

スコッチとビールから学ぶ物


林信吾(作家・ジャーナリスト)

林信吾の「西方見聞録」

【まとめ】

・ウィスキーの発祥はスコットランドかアイルランドか。

・2度の大戦の影響で、20世紀の英国では主流はエールからラガーへ。

・CAMRA運動を機に、エール人気が復活。

 

【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては全て見ることができません。その場合はJapan In-depthのサイトhttps://japan-indepth.jp/?p=45378でお読み下さい。】

 

そのパブは、ネス湖の近くにあった。

1980年代の終わり頃、当時住んでいたロンドンから、長距離バスを乗り継いでスコットランドを一周する旅行の途中で立ち寄ったのである。

昔も今も(と言っても大戦後の話になるが)ネス湖は有名な観光地ではあったけれども、湖畔のインバネスという街の片隅のパブに、日本人が一人でふらりと入ってくるのは、やはり珍しいことであったのだろう。

▲写真 スコットランド・ネス湖 出典:pexel; Matt Wolf

ランドロード(パブの店主のこと)が、私がそこそこ英語を操れることを知るや、早速こんな質問をしてきた。

「日本でもビールを醸造してるのかね?」

ロンドンのパブでも時折受ける質問だったので、私はこう答えた。

「ミュンヘン、サッポロ(札幌)、ミルウォーキー、って聞いたことないかな。世界三大ビール産地のひとつは、日本にあるのだよ」

相手は、それは初耳だと言って、さらに、ウィスキーも造ってるのか、と聞いてくる。

「ウィスキーも造ってる。なかなかおいしいよ」

「スコッチよりもか?」

「まあ、好みの問題はあると思うけど、日本製もおいしいよ」

曖昧な答え方をしたのは、スコッチよりもおいしいウィスキーが地球の裏側にあるなどと言ったら、店を追い出されかねないと思ったからで(ランドロードが気に入らない客を追い出す権利は、法律で認められている笑)、本当のところ、当時まだ20代だった私には、ウィスキーの味など大した関心事ではなかったのである。

しかし、どうやら相手は、私の返答が少々気にさわったらしい。カウンターの奥から、琥珀色の液体を満たしたショットグラスを持ってきて、私の前に置いた。

「面白い話を聞かせてもらった。これは店のおごり」

サンキュー、と言って一口飲んだ次の瞬間、昭和のギャグ漫画みたいに「ガビーン」という文字が私の脳天から飛び出した。ランドロードが破顔一笑したのは、おそらくその「ガビーン」が見えたけれど読めなかったからだと思う。

いや、それは冗談だが、あの味と香りには本当にびっくりした。これが本物のウィスキーだと言うのなら、今まで自分が飲んできたのはなんだったのか。

ウィスキーの語源は古代ゲール語で「生命の水」を意味するウシュクボーだが、ゲール語は「島のケルト」すなわちアイルランドとスコットランドにまたがって話されていた。このためウィスキー発祥の地はスコットランドか、はたまたアイルランドかというのも、数世紀にわたって論道の種となっている。

麦から造った酒を蒸留する方法も、森林資源に乏しく大量の木炭を得られないので、代わりに泥炭を使う方法(これにより独特の燻製臭がつく)も、アイルランドで最初に確立されたらしいが、パテントスチル式連続蒸留器というものを実用化してウィスキーを商品化したのはスコットランドが先んじたので、今に至るも、この論争は水掛け論にしかならないということのようだ。

▲写真 蒸留酒を作るために使われた蒸留器(アメリカ)出典:国立公文書館

もうひとつ、英国のパブで主力商品たる酒と言えばビールだが、これも日本で売られているのとは少し違う。

日本でビールと言えば、ピルスナー地方(現在のチェコの一部)から広まったとされるラガービールで、下面発酵する酵母で造られるのだが、英国では昔から、上面発酵する酵母を用いたビールが好まれ、エールと呼ばれていた。ビターと呼ぶ人もいる。

他に、原材料の麦をあらかじめ焙煎してから造る、スタウトと呼ばれる黒ビールもある。アイルランドのギネスが特に有名だ。あの『ギネスブック』も、もともとはこのギネス社が宣伝用に発行した物であることは、日本でよく知れれるようになってきた。

エールはラガーに比べて、おいしく飲めるとされる適温が高く、ラガーに慣れた身には、いささかぬるい。ただ、コクがあって、たくさん飲まなくても腹にたまる感じはする。

前回、イングランドの農村では、夕食と言えばチーズなどを軽くつまんで、ぬるいビールで腹を満たす物であったと述べたのは、具体的にはこういうことだ。

したがってまた、かの国では長きにわたって、ビールと言えばエールのことであったが、20世紀に入って変化が生じた

▲写真 ビール 出典:Flickr; Uri Tours

二度にわたる大戦で、多くの英国青年がヨーロッパ大陸に出征し、ラガーの味を覚えて戻ってきた。この結果、ほぼ全てのパブでラガーを供するようになったという。やはり労働や戦闘の後は、冷えたビールをぐびぐび飲む方がふさわしかったのだろうか

かくしてエールは、ラガーとの競争にさらされるようになったわけだが、ここで上面発酵の弱点が露呈した。

酵母がすぐに沈殿する下面発酵と違って、樽詰めしてからも延々と発酵が続くため。早く飲まないと劣化してしまうのである。

そこで英国の大手ビール会社がとった手段が、今考えるといささかひどい。木製の樽の代わりに金属製の密封容器を用い、さらには炭酸ガスを封入し、最後の仕上げは冷蔵状態で出荷する、という挙に出たのだ。

結果は読者ご賢察の通りで、伝統的なエールの味は見る影もなくなり、評価はがた落ち。当然ながら売り上げも落ちた。

これではいけない、と考えたエール大好き人間たちが、1971年に、伝統的なエールの醸造法を守っていた中小の業者と団結して、CAMRA(キャンペーン・フォー・リアル・エールの頭文字)という運動を展開しはじめたのである。地元のパブで早めに消費してもらおうという地産地消の考え方で、運動に共鳴したランドロードたちは、店先に大きく「リアル・エールあります」という看板を掲げた。

▲写真 Midlands East CAMRA bar 出典:Flickr; Darren Foreman

やがて、この看板を目当てに足を運ぶ客が増え、エールは見事に「V字回復」を果たしたのである。

よい話だ、と思う。人間、うまい酒を飲むためならば、このように知恵とエネルギーを発揮できるものだ。

そうは思いませんか?

トップ写真:スコッチウィスキー 出典:Pexels; Cameron Michael Smith


この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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