血液型と人間の性格 笑うに笑えない都市伝説 その3
林信吾(作家・ジャーナリスト)
【まとめ】
・日本だけではない!血液型と性格を結びつける表現は西欧にも。
・医学発達で生理的作用と思考パターンの結びつき解明の可能性も。
・東洋医学は認められた。「血液型性格判断」の正しさ認定もある?
私の血液型はO型である。
だからなんなんだ、と思われた向きも多いことであろうが、血液型と人間の性格については色々なことが言われているので、今回はその話をさせていただこう。
日本では、朝の情報番組で「血液型占い」のコーナーがあったりしたものだが、そんなものを信用しているのは日本人だけだ、という話も、結構昔から聞かされてきた。
いわゆるABO型の分類についても。これは輸血に必要な知識だから普及しているだけで、他の分類法もある。さらに言えば、人間の血液というものは、赤血球、白血球、血小板が主なものであるが、他にも多くの成分からできているもので、その成分全てに様々な型がある。順列組み合わせをしたら、それこそ膨大な数の「血液型」が存在することになるわけだ。実際に私は、
「一卵性双生児でもない限り、まったく同じ血液型の人間というのは考えるのが難しい」
という話を医師の口から聞いたこともある。先の、ABO型が輸血に必要な知識だというのは、拒絶反応が起きない許容範囲と考えればよいのだそうだ。
また、アメリカ大陸の先住民の中には、構成員の98パーセントがB型だという部族も実際にあるそうで、だったらみんな同じような性格なのか、という話になる。
まあ、狭い部族社会で何世代にもわたって暮らし続けたならば、没個性と言うか、考え方まで似てきても不思議はないが、それを血液型と結びつけるのはいかにも強引だろう。
しかし一方では、血液型を意識するのは日本人だけ、という説に対しても、私は疑念を抱いている。たとえば、あの人は性格が悪い、というのをスペイン語の慣用的な表現では、
Tener mala sangre. よくない血を持っている
と言うのである(余談ながら、スペイン語では主語が省略されるのが一般的)。血液型というのは比較的新奇な知識であるから、おそらくここで言われているのは、血筋とか遺伝という意味合いであろうと思われるが、地球の裏側にも、人間の性格と血液とを結びつけた表現があるというのは面白い。
まあ考えてみれば、人体を構成する物質の中で最大の比重を占めているのは血液なのだから、性格の問題も含めて、様々なことを血液と結びつけて考える人がいても不思議ではない。昔は病気も血液に問題があるからだと考えられ、わざと血管を切って血を絞り出す「瀉血(しゃけつ)」という治療法が普及していたのは有名な話だ。
そもそも、どうして血液型というものが分かれてきたのかと言うと、遠い祖先の生活環境の違いに起因するのだという。たとえば私などのO型は、狩猟民族の子孫らしい。
試しに、と言うよりは気まぐれで、血液型と人間の性格について語るサイトを見ると、狩猟民族は獲物を捕らねば生きて行かれないので、他人の評価などあまり気にしないマイペース人間が多く、また、動物の肉をそのまま食べる生活に慣れていたので感染症に強い体質だ、などと書かれていた。
たしかに私は企業社会に背を向けたフリーランスなので、マイペース人間なのかと思われがちだが、実はなかなかそうでもないのだ。
何故かと言えば、ブロガーや自称作家の人たちと違って、我々が書く原稿には締め切りというものがある。締め切りまでに一定水準以上の文章を、規定の字数で書き上げねばならないというプレッシャーで、胃が痛くなることなど少しも珍しくない。自由ほど不自由なものはない、という言葉があるが、本当のところ、まったくのマイペース人間はプロの物書きにはなれないのかも知れない。原稿の遅さを、むしろ自慢気に語っていたような作家もかつてはいたが、代表作の小説など、最後は3日間、不眠不休で書き上げたという。 それに、私はどちらかというと風邪をひきやすい方だ。ただ、立ち直りが異様に早く、一晩寝ていると、たいてい治る。これも、先祖が狩猟民族だからだと言うのだろうか笑。
前述の性格の問題もそうだが、O型の人間がみんな感染症にかかりにくい、などというのは、それこそ「ソースを示せ!」と言いたくなる話ではないか。
ならば私は、血液型と人間の性格が関係しているという説をまったく認めないのかと言われれば、それは違う。
前述のように人間の体にもっとも多く含まれる物質とは血液であり、思考も脳内の血流と不可分の関係にある以上、血液の成分が性格形成に影響を及ぼしていることは、充分にあり得ると考えているのだ。
▲イメージ
出典: Pixabay
私がここで主張したのは、日本の「血液型占い」など当てにならない、ということで、医学や生理学がさらに発達すれば、DNAとかなんらかの生理的作用が、人間の思考パターン(俗に言うその人の性格)を、どのようにコントロールしているのかまで解明される可能性が高い。
ただし私は、西洋医学の優位性を絶対視するのもよくない、と考えている。
東洋医学で、昔から経絡ということを言っており、鍼灸の治療法はこれを応用したものだ。ところが、1771(明和8)年に、杉田玄白がオランダの医学書『ターヘル・アナトミア』を入手し、その図版の緻密さに魅せられ、翻訳を決意した。そして3年後、すなわち1774(安永3)年に『解体新書』として刊行されるに至る。この作業を通じて杉田玄白らいわゆる蘭方医は、五臓六腑とか経絡とか、東洋医学など当てにならない、と考えるようになった。実際に、刑死した人間を解剖し、西洋の医学書の正しさを確認する、というほど念を入れて調べたのだ。
▲写真 針治療
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ところが、なんたる偶然か、同じ1771年に、ルイージ・ガルヴァーニというイタリア人医師が、死んだカエルに電気火花を当てる筋肉が収縮することを発見した。これにより生体電流というものが存在することが分かり、最終的には経絡という考え方が正しかったことが証明されたのである。簡単に言うと経絡とは電流の通り道で、いわゆるツボというのは様々なスイッチなのだ。
もちろん、いわゆる民間療法のように、単なる迷信に過ぎないことが医学的に証明された例も多い。
したがって早計には言われないことだが、血液型と人間の性格についても、日本で昔から言われてきた、ABO型と二重写しのパターンも、
「実は一周回って正しかった」
などということになるかも知れない。
そんなことを考えるのが、都市伝説に付き合う面白さなのだろう。
伝説の正体が明かされる方が、はるかに面白いに違いないのだが。
(続く。その1,その2)
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