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.社会  投稿日:2020/1/5

「分断の時代」に終止符を(下)【2020年を占う・社会】


林信吾(作家・ジャーナリスト)

 林信吾の「西方見聞録」

【まとめ】

MMTが話題になっている。

財政健全化=黒字化ばかり追求し財政出動躊躇すると、デフレ脱却遅れる。

「取りやすいところから取る」税制から「払うべき層に払ってもらう」税制へ。

 

昨年、経済の分野でMMT(モダン・マネタリー・セオリー=新貨幣理論)が一時期話題になった。一時期、というのは麻生財務大臣が、

「日本を(新貨幣理論の)実験場にするつもりはない」

と斬り捨ててしまったので、新奇なものにはすぐ飛びつくマスコミも、

「これは〈来ない〉な」

という判断を下したように見受けられるからだ。

どのような理論なのか、煎じ詰めて紹介すると、貨幣(=通貨)を物と見なしてきたこれまでの経済学は「天動説」で、MMTが「地動説」だと言い得るのは、貨幣とは物ではなく貸借の記録=情報であると、正しく理解できているからだとされる。

そうである以上、日本のように国債を「政府の子会社」である日銀が引き受けているような国では〈国債=政府の借金〉という図式が成立しないので、国債の発行残高など心配する必要はなく、むしろそれこそ経済発展の原動力と認識せよ、と主張する。

▲写真 日本銀行本部 出典:wikimedia

当然ながら貨幣の過剰供給によるインフレが心配されるが、その点は、インフレの傾向が出たならば、ただちに金融引き締めなどの対応策を採ればよいそうだ。

実は私自身、この理論については勉強を始めたばかりなので、その全体については未だ肯定も否定もできないが、ちょっとおかしくないか、と思える点はある。

 

1 国債は利子をつけて償還せねばならず、その利払いが今や国家予算の8%を超えている。これはどう考えても「有利子負債」で、心配ない、は言い過ぎだろう。

2 たしかに国債のおよそ半分は、日銀当座預金にシフトされているので、「すでに半分返済済み」という理論は成り立つ。しかし、残り半分のさらに半分、すなわち25%強は海外の投資マネーが保有している。もしも日本経済の先行きを不安視する人が増え、売りに回られた場合を想定したならば、国債暴落のリスクと見なすに充分ではないのか。

 

まず1についてだが、これは貨幣論がどうのこうのではなく「太陽は東から昇る」というレベルの話であって、そんなのは天動説だと言われては、それこそ議論にならない。

問題は2で、MMTを信奉する人たちは、

「国債金利は史上最低を更新し続けているではないか。みんな国債を欲しがっているのだ」

「日本経済のポテンシャルを考えれば、日本国債が急に売られることなど考えられない」 で片付けてしまうようだが、これに対して,私は端的に答えられる。

「そんなこと、誰が保証できるのか」

これである。経済は生き物なのだ。

ただし私は、MMTをまったく認めない態度も正しくないと考えている。たしかに経済政策論の面ではまだ緻密な議論に達しておらず(MMTを主張したり信奉する人たちも、そこは認めている。彼らに言わせれば〈枝葉末節〉らしいが笑)、今のところ国の財政に反映させるのは危険きわまりないが、財政健全化=プライマリー・バランスの黒字化ばかりを追求して財政出動を躊躇すると、デフレからの脱却が遅れるばかりで結局は誰の利益にもならない、という議論は、日本の現状に合致しているのではないか。

私は納税者だけが知らない消費税(共著・電子版アドレナライズ。原著は今こそ知りたい消費税NHK生活人新書)という本の著者であるから、税制や財政に関しても、少なくともズブの素人ではない。

その立場から言わせていただくと、たしかに日本の財政赤字は深刻である。世界には、借金で首が回らなくなったような国がいくつもあるが、それらの国の負債額を全部合わせたより、日本国債の発行残高は大きいのだ。

ただ、それはあくまで中長期的な課題で、次世代にツケを残すな、という表現も、その文脈において理解されるべきである。冒頭でMMTを紹介したのも、話がここにつながってくるので、日本のように国債の大部分を国内で引き受けることが可能な国は、負債と言っても、返済期限が厳然とある個人や民間企業のそれとは違い、

「いつか必ずお返しします」

で済まされるのだ。もちろん「今のところは」だが。

さらに言えば、なにごとも「ものには順序」ということがある。

東京オリンピック・パラリンピックがいよいよ開催され、一方では今後30年以内に首都直下型地震が起きる確率は70%以上だと言われているのに、首都高速道路や学校・病院などの耐震化工事が遅々として進まないのは、一体どういうことか。

さらに税金と財政の関係について話をさせていただくと、税金にはふたつの機能がある。ひとつは政府の財源。そしてもうひとつは、富の再分配という機能だ。

ごく簡単に言うと、たくさん稼いでいる人には税金もたくさん納めてもらい、それを所得の低い人たちのために使って行くことで、格差が止めどなく拡大することを防いで行く機能がある。社会の自動安定化装置と言ってもよい。

ところが、バブル崩壊以降の日本の税制は、これとは逆の方向に進んできた。詳しくは前掲書をご一読いただきたいが、

「大企業や富裕層からちゃんと税金を取らなかったから、消費税を繰り返し引き上げねばならなくなった」

ということは、様々なデータから、はっきり読み取れるのだ。

財政出動について言うと、安倍政権下で、数次にわたってすでに行われ、総額は国家予算のおよそ1年分、80兆円強に達している。しかし、その多くは災害復興支援などに使われたもので、必要なことではあったが、悪く言えば後手後手に回った感は否めないし、これまたすでに述べた、中長期的な財政再建のヴィジョンも見えてこない。だから私は、デフレ脱却が果たせていない現状下での消費税引き上げを「大失政」だと糾弾したのだ。

あえて言おう。2020年いっぱいの時限措置でよいから、消費税は5%に引き下げるべきである。一方、ここでさらに100兆円規模の財政出動を行っても、日本経済がただちに破綻する気遣いはない。このことは財務省のデータからも明らかだ。

その使い道だが、ひとつは今も述べた、災害対策と原発事故の後始末。そしてもうひとつは、政策的に最低賃金を引き上げたり、EU諸国ですでに実行されているように、新規雇用に対しては当初の給与や研修費用を政府が補助したり、いわゆる子育て支援を充実させることだ。

その結果、安倍政権が当初から掲げてきた「インフレ率2%」を超え、4%くらいになったら、そこで増税に転じてよいのだが、その際は所得税の累進制を見直し、さらにはフランスの経済学者トマ・ピケティが提唱する「金融資産への課税」も検討に値する。ヨーロッパでは、そんなことをすれば富裕層の資産は容易にタックス・ヘイブンに流出してしまう、との反論があるが、日本では監視や徴税が緻密なので、そのリスクも低い。要は「取りやすいところから取る」税制から「払うべき層に払ってもらう」税制への転換である。

 若い世代を中心に、

「自分たち〈下流〉は、努力しても報われない」

という閉塞感が蔓延し、その副作用としてネットが荒れ放題というような世相には、一日も早く終止符を打たねばならない。今年を、その手始めとなる年にしようではないか。

はこちら、全2回)

トップ写真:日本紙幣 出典:Pixabay by Maccabee


この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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