日本文化と古代イスラエル 笑うに笑えない都市伝説 その2
林信吾(作家・ジャーナリスト)
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・古代イスラエルの一氏族が日本に渡来したとの都市伝説がある。
・「痕跡」話は笑うしかないもの多いが、渡来はあっても不思議でない。
・天皇陵発掘調査と、皇室をどう考えるかは別。絵空事でない知識を。
いにしえの日本には、古代イスラエルから様々な文物が伝わった、という都市伝説がある。詳しく語り出すと、とても紙数が足りないのだが、要するに紀元前7世紀以降、消息が途絶えていた古代イスラエルの10氏族(世に言う失われた氏族)のひとつが日本に渡来した痕跡があるのだという。
問題はその「痕跡」だが、笑うしかない話のオンパレードである。
たとえば有名な『ソーラン節』だが、日本語では意味不明なのに、ヘブライ語で聞けば、ヤーレン、ソーラン。ソーラン……というフレーズが、
「踊って喜ぶ、飛び跳ねて踊る」
という風に、ちゃんと意味が通るのだとか。
▲写真 ソーラン節のパフォーマンス(2016年10月 カナダ・モントリオール)出典: Public domain
私はヘブライ語を解さないので、これは「素人の素朴な疑問」であることを明記しておくが、古代イスラエルの言語とは、今のイスラエル人やユダヤ人が聞いても、ちゃんと意味が分かるものなのか。
現代日本の若い女性が1000年ほど前にタイムスリップしたとして、紫式部と「恋バナ」ができるかと言えば無理だろう、と考えられている。恋愛観がどうのこうのという以前に、日本語がまったく別物になっているからだ。当時、銀座という地名は発音しがたく「キジャ」にしか聞こえなかっただろう、というように(どうしてそんなことが分かるんだ、という別の疑問もわくのだが)。
さらに言えば、かつてアイヌモシリと呼ばれていた土地に和人が進出して「北海道」ができてから、まだ200年も経っていない。その北海道で生まれた民謡の一節が、たまたまにヘブライ語で意味が通るとして、それで一体なにが証明されるのか。
これだけではない。
日本古来の相撲のかけ声、すなわち
「はっけよい、のこった、のこった」
というのも、ヘブライ語で解釈できるのだと、盛んにネットで発信している人もいる。こちらは「投げつけて勝て」という意味になるそうだ。
はっけよい、は「発気揚々」つまり現代語で言えば「気合い入れて行けよ」といった意味で、のこったは「残った」すなわち「まだ勝負あってないぞ」という意味かとばかり思っていたが、違うのか。
念のため、相撲協会のホームページなども見てみたが、諸説あるものの協会の解釈では「発気揚々」が語源であると書かれていた。したがって、正確には「はっけよい」でなく「はっきよい」であると、協会審判部の規定に明記されているのだとか。これは、初めて知った。はっきよい、ならばヘブライ語でどういう意味になるのだろうか笑。
ならば、これでこの話も終わりだと思いきや、高名な元横綱までが、相撲の期限は古代イスラエルの神事であるとする説を、週刊誌で大真面目に開陳していたのには驚いた。
都市伝説に限ったことではないが、このように影響力のある人が「拡散」に手を貸すと、本気で信じる人が増えるに違いない。こういう時こそ
「ソースを示していただきたい」
と追求するのが、マスメディアの役割だと思うのだが。
権威かどうかは知らぬが、日本語とヘブライ語を詳細に比較してみたところ、3000もの単語に発音や意味の同一性があることが分かった、という研究結果も発表されている。
もし事実であれば、あの『広辞苑』の見出し語が25万ほどであるから、1パーセント強がヘブライ語と類似している可能性があるわけで、それならばたしかに、統計学的に無視できない数字ということになる。是非とも、詳細を開陳していただきたいものだ。まさかとは思うが、
What time is it now? (今何時ですか?)
という英文を「掘った芋いじるな」と頭に入れて、試しにアメリカ人に言ってみたら通じた、などというポンコツ中学生並みの「外国語談義」ではあるまいな。
前回私は、宇宙人が実在するか否かの問題と、ピラミッドは宇宙人が作ったという説はまったく別問題であると述べた。繰り返しになるが、そういうことを言いつのるのは、ギリシャ・ローマを源流とするヨーロッパの文明しか認めたくない人たちではないのか、とも述べた。
古代日本と古代イスラエル王国を結びつける考え方も、もしかしたら、中国大陸の文物が朝鮮半島を経由して渡来し、いにしえの日本文化を育んだのであると、素直に認めたくない人たちが言い出したのではあるまいか。そうだとすれば、愚かなことだ。
考えても見るがよい。国民国家などというものは、たかだか200年余りの歴史しか持っていない。紀元前に、私は日本人、あんたは中国人などという意識など存在しなかった。まして2000年以上前の日本文化のルーツが中国大陸にあろうが、あるいは本当に古代イスラエルにあろうが、それで現代の日本人一人一人の値打ちが上がったり下がったりするのだろうか。
▲画像 イスラエルの十二氏族 出典: Public domain
実を言えば、私も古代イスラエルの地を追われたユダヤ人の一氏族が、日本までやって来た可能性があるかないかという点に限れば、あっても不思議ではない、と考えている。彼らが中国大陸まで来ていたことは、文献でちゃんと確認できるからだ。
しかし、この話には別の側面もあって、各地で迫害されながらも民族的アイデンティティを保っていたユダヤ人が、古代の中国大陸ではその生活文化を受容して、社会に溶け込んで行った。皆「遠祖がユダヤ系であるところの中国人」になったわけだ。このこともまた、資料で確認できる。
さらに言えば、日本に稲作が伝播して弥生時代の幕が開いたのは、最近の研究では紀元前10世紀頃とされている。古代イスラエル王国は、まだ健在であった。
ただ、その後の日本列島に、原始的な国家権力が形成され、古墳時代。そして飛鳥時代に移行する、具体的には5世紀以前の「この国のかたち」が、もうひとつはっきりしていない。だからこそ失われたユダヤの氏族まで持ち出して想像をたくましくする人が後を絶たないのではないだろうか。
▲写真 大仙陵古墳(仁徳天皇陵) 帰属: Copyright © 国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省
空想を楽しむのは個人の自由だが、歴史論争を無用に混乱させるのは、いただけない。令和という新たな元号を採用した今、これまでタブーとされてきた天皇陵の発掘調査を行い、いにしえの日本文化の姿とその源流を「学術的に」探求することは、皇室をどう考えるかという問題とは、明らかに別だろう。
その結果、もしも古代イスラエルと古代日本に文化的なつながりがあったとしたら、それもそれで、大いに面白いではないか。私は反中嫌韓でもなければ反ユダヤでもない。生きている間に少しでも多くの、絵空事ではない知識を得たいと思っているだけの話だ。
(その3に続く。その1)
トップ写真:弥生時代の大規模な環濠集落で知られる吉野ヶ里遺跡 出典:パブリック・ドメイン
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。