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.政治  投稿日:2020/3/17

令和の朝日新聞大研究 3 大誤報が示す劣悪化


古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)

「古森義久の内外透視」

【まとめ】

・大誤報、無責任報道。朝日新聞の劣悪化に唖然。

・大誤報の「お詫びと経緯記事」の同日に別の「訂正記事」掲載。

・朝日新聞のいまの構造的、体質的な特殊性の産物か。

 

令和時代に入ってからの朝日新聞の紙面の劣悪化はさらにわかりやすいニュース報道の大誤報でも明らかだった。

2019年7月9日朝刊の1面トップの大きな記事だった。この記事のミスのひどさには私自身も朝日の長年の読者としては初めて、もうこの新聞を読むことはやめるべきかな、とも思った。

公共性を持つ報道機関としての信憑性がついに完全に地に堕ちたという感じだったからだ。こんないい加減な新聞はもう読む価値がないという思いだった。

私は朝日新聞にはその基本的な政治スタンスへの反対は別とすれば、伝統あるニュースメディアとしての一定レベルに対しては敬意も抱いてきた。ところがこの記事はそんな認識をすべてくつがえしてしまう大誤報、無責任報道だったのだ。

朝日新聞のその一面トップ記事の内容は以下のようだった。まずは大見出しである。

 《ハンセン病家族訴訟 控訴へ 政府、経済支援は検討

本文の冒頭は以下だった。

 《元ハンセン病患者の家族への賠償を国に命じた熊本地裁判決について、政府は控訴して高裁で争う方針を固めた

主題はハンセン病患者に対する国による隔離政策で差別を受けて、家族離散の被害などにあった元患者家族561人が国に損害賠償と謝罪を求めて起こした訴訟だった。訴えを審理した熊本地裁は6月28日、国の責任を認め、家族たちに3億7千万円以上の賠償金を支払うことを求める判決を下した。

これを受け、国、つまり日本政府がどう対応するのか、控訴をして高等裁判所で争うのかどうかが注目されていた。

朝日新聞はこの状況下で、国側はこの判決を不当だとして控訴することを決めたのだ、と報道したのだった。しかもきわめて強い語調で、なんの疑問の余地もないような明快な断定だった。

だが一夜明けた7月10日付の朝日の朝刊一面には、前日とは正反対の内容の記事がこれまた大々的に掲載されたのだった。

見出しは以下だった。

 《ハンセン病家族訴訟 控訴せず 首相表明 人権侵害を考慮

本文の冒頭は以下だった。

 《元ハンセン病患者の家族への賠償を国に命じた熊本地裁判決について、政府は9日、控訴しない方針を決めた

以上、「控訴して高裁で争う方針を固めた」が一夜にして「控訴しない方針を決めた」に一転したのである。完全な誤報だった。

▲写真 ハンセン病家族訴訟で安倍首相は「控訴しない」と表明。訴訟原告団に「長い間大変な苦痛と苦難を強いることとなり深くお詫び申し上げる」と政府を代表して謝罪した。(2019年7月24日 首相官邸)出典: 首相官邸ホームページ

朝日新聞は当然、7月10日付朝刊に「誤った記事 おわびします」という見出しの訂正記事を同じ1面に載せていた。その訂正は「政府が控訴して高裁で争う方針を固めたと報じたのは誤りでした」と記していた。

その誤報の取材の説明なる記事が2面に掲載されていた。その内容を読んで、私の朝日新聞劣悪化という思いはさらに強まった

 《朝日新聞は政治部、科学医療部、社会部、文化くらし報道部を中心に、政府がどう対応するのかの取材を始めました》

 《(そして政府は控訴するという見通しがあるとみて)首相の動向を知りうる政権幹部などに取材した結果、政府は控訴すると判断しました

以上の説明にはさらに驚いた。朝日のこの大ミスは単に一人や二人の記者の勘違い、判断違いでもなく、事故的なミスでもなく、編集局全体をあげての集団的な取材をしたのに、なお根本からまちがってしまったと、開き直るように述べている点に、びっくりさせられたのだった。

この主張は外部からみれば、この大誤報は朝日新聞自体のまちがい、つまりは朝日新聞のいまの構造的、体質的な特殊性の産物だという自認のように響く。朝日新聞社全体をあげての取材方法や判断そのものが誤りだったことを認めているに等しいからだ。

さらにそのうえのショックがあった。

同じ7月10日朝刊の第34面に載っていた別の訂正記事だった。この訂正は前日の7月9日朝刊に掲載された二つの記事のなかの記述のミスのおわびだった。

その内容は以下だった。

 《『行政が適正かつ公立的に運営される』とあるのは『行政が適正かつ効率的に運営される』の誤りでした》

 《国際社会と緊密に『強調し』とあるのは『協調し』の誤りでした》

以上は些細なミスとはいえるだろう。だがあまりに初歩的、基礎的な誤りである。いずれも小学生レベルのミスである。

どの新聞社でもニュース記事は短くても、長くても、記者が書き、デスクが目を通す。同じ記事を整理と呼ばれる編集者がさらに点検して見出しをつけ、できあがった見出しつきの記事はさらに校閲がチェックをする。これはいかにインターネットやハイテクが導入されてもなお新聞作成の基礎だろう。

そんな厳重なはずのプロセスを経ても、「効率」が「公立」と誤記され、「協調」が「強調」になるミスが起きて、紙面に載るまで朝日新聞側のだれも気がつかない。しかも1面トップの記事が大誤報に終わったという同じ日に、そんなミスが同時に起きる。

いくら人間にはミスがあるといっても、私の長い新聞記者体験からは考えられない現象だと実感した。朝日新聞はついにこんな水準にまで劣悪化してしまったのかと、唖然としたのだった。

(4につづく。

 

**この連載は月刊雑誌WILLの2020年3月号に掲載された古森義久氏の「朝日新聞という病」という題の論文を一部、加筆、修正した記事です。

トップ写真:朝日新聞の広告(2009年10月17日 東京・渋谷駅)出典:flickr / Tatsuo Yamashita


この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授

産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

古森義久

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