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.国際  投稿日:2020/4/15

人類と感染症 1 「ペスト」発生源は中国か 


出町譲(経済ジャーナリスト・作家)

 

【まとめ】

・14世紀、ペスト大流行で欧州の人口3割が死亡。

・感染力、致死率の高さに医師は無力だった。

・当時、ペストは中国から欧州に渡った可能性がある。

 

ジャーナリズムの門を叩き、ちょうど30年たつ。私はこれまで経験したことのないニュースに立ちすくんでいる。新型コロナだ。

世界は今、戦争状態にある。“敵”は、新型コロナウイルス。目に見えないが手ごわい。“敵”を防ぐ手段はマスクや手洗い。原始的なやり方しかない。治療法がないからだ。

新型コロナのまん延はどのような形で収束するのか。まったく見えない。日々のニュースに右往左往するばかりだ。ただ、振り返ると、人類の歴史はまさに、ウイルス、つまり感染症との戦いの歴史だ。また、強力な感染症の出現は、社会を変える契機になっている。ヨーロッパでは中世社会を終わらせ、中南米では、国家そのものを滅亡に追いやった。今回の新型コロナもそんなインパクトを持っている。

新型コロナのまん延で、突然売れ出した小説がある。フランスの作家、アルベール・カミュの「ペストだ。1940年代にペストが流行し、死者が急増する街を描いている。封鎖された街で生きる人々の様子が映し出されている。読者は非常事態宣言が出されている今の日本を重ね合わせているのだろう。

写真)アルベール・カミュ

出典)flickr by DietrichLiao

ペストは、長い間人類を苦しめてきた。別名は、黒死病だ。感染すると皮膚が黒ずむためだ。数日から1週間ほどの潜伏期間の後、突然発熱する。ひきつけを起こしたり、呼吸困難になり、数日で死亡するケースが多い。

世界史的には、3回大流行しているが、とりわけ深刻だったのは、14世紀だ。当時のヨーロッパの人口の3割、実に3000万人ほどが死んだ。

ペストが恐れられていた最大の理由は、致死率の高さだ。実に50-70%。もともとネズミに流行する病気で、ペスト菌は、ノミを介して、ヒトに感染する。ノミがペスト菌に感染したネズミの血を吸い、その後、ヒトに感染する。このペスト菌は、血液の中に入り込み、肺まで進むこともある。ほとんどの患者はその場合、3日以内に死亡する。また、咳やくしゃみで、ヒトからヒトに空気感染する。そうなると、広まる。

14世紀。イタリアの「花の都」フィレンツェはペストの大流行で「しかばねの都」となった。路上におびただしい数の死体が放置された。家の中で死んで、そのまま外に放り出された。街には異臭が漂っていた。この都市の人口の5分の3が死亡した。

写真)イタリア フィレンツェの日没

出典)pixabay by 27707

当時、フィレンツェに住んでいたボッカチオ「デカメロン」という作品で感染力の凄さを描いていた。

「ちょっと病人と話をしたり、ときどき訪ねて行ったりしただけでも、健康体に感染して、同じように死んでしまったり、甚だしきは、病人の着物とか、病人のさわったり、使ったりしたものはなんでも、それにさわると、たちまち感染するのでございました」。

医師からの悲鳴も記録されている。

「医師は何の役にも立たなくなり、感染を怖れて患者の家に敢えて足を踏み入れない、というような恥ずべき状態になってしまった。もっとも、仮に患者を往診したとしても、医師としてやれることはほとんど何もなかった」

写真)Saint Sebastian Interceding for the Plague Stricken

出典)Josse Lieferinxe

結局、ヨーロッパの人口の3分の1は、ペストで犠牲になった。それではこのペストはなぜ、ヨーロッパでまん延したのか。

浮かび上がるのは、当時もまた、中国だ。1333年に干ばつと飢饉に見舞われている。その翌年、なぞの疾病が流行っている。それがペストというのだ。この疫病で中国の人口は半減したと言われる。

当時は元王朝だ。ペストとみられる疫病が、シルクルードを通って、ヨーロッパにたどり着いた可能性がある。ヨーロッパに運ばれた毛皮についていてノミが“運び屋”だったという。また、ネズミが交易に交じってヨーロッパにまでたどり着いたという見方もある。

いずれにしても、中国が勢力を拡大する中で、ペストは世界的な大流行となった。ヨーロッパの人口はそれまで増加していたが、このペストの流行で、一気に減少に転じた。そして、時代は大きく転換した。どんな時代となったか。次回お伝えする。

 

23に続く。全3回)

 

トップ写真)CHINA, Silk Road, Dunhuang

出典)flickr by Suriaa

 

 


この記事を書いた人
出町譲高岡市議会議員・作家

1964年富山県高岡市生まれ。

富山県立高岡高校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。


90年時事通信社入社。ニューヨーク特派員などを経て、2001年テレビ朝日入社。経済部で、内閣府や財界などを担当した。その後は、「報道ステーション」や「グッド!モーニング」など報道番組のデスクを務めた。


テレビ朝日に勤務しながら、11年の東日本大震災をきっかけに執筆活動を開始。『清貧と復興 土光敏夫100の言葉』(2011年、文藝春秋)はベストセラーに。


その後も、『母の力 土光敏夫をつくった100の言葉』(2013年、文藝春秋)、『九転十起 事業の鬼・浅野総一郎』(2013年、幻冬舎)、『景気を仕掛けた男 「丸井」創業者・青井忠治』(2015年、幻冬舎)、『日本への遺言 地域再生の神様《豊重哲郎》が起した奇跡』(2017年、幻冬舎)『現場発! ニッポン再興』(2019年、晶文社)などを出版した。


21年1月 故郷高岡の再興を目指して帰郷。

同年7月 高岡市長選に出馬。19,445票の信任を得るも志叶わず。

同年10月 高岡市議会議員選挙に立候補し、候補者29人中2位で当選。8,656票の得票数は、トップ当選の嶋川武秀氏(11,604票)と共に高岡市議会議員選挙の最高得票数を上回った。

出町譲

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