人類と感染症3 天然痘は国家を滅亡
出町譲(経済ジャーナリスト・作家)
【まとめ】
・人類史上最も猛威を奮った感染症のひとつは、天然痘。
・流行当時、天然痘は2つの国家を滅亡させた。
・新型コロナが導くのは国際対立か、協調か。
人類は感染症と戦ってきたが、なかでも1,2を争う“強敵”が天然痘だ。少なくとも人類の10分の1を死亡させた。20世紀だけでも、3億人が死亡した。それは、この世紀、第一次、第二次世界大戦などの戦争での死者、1億人をはるかに上回る。
天然痘のウイルスは、人だけが感染する。感染力が強く、しかも致死率は20-50%と高い。高熱が出て、全身に水膨れのような発疹ができる。いわゆる「あばた」だ。飛沫感染や接触感染で広まる。
この天然痘は人類を苦しめてきた。私はその歴史を調べ、驚いた。天然痘のウイルスが国家を滅亡させたことだ。その国家とは、今のペルーにあったインカ帝国だ。謎の帝国として知られている。ペルーにある空中都市「マチュピチュ」はインカ帝国の遺跡で、国際的な観光地である。
写真)ペルー マチュピチュ
出典)pixabay by monikawl999
では、インカ帝国はどのように滅ぼされたのか。直接、手を下したのは、スペインの軍人、フランシスコ・ピサロだ。ピサロは1532年11月16日、インカ帝国の皇帝アタワルパを捕虜にした。そして、インカ帝国を征服し、滅亡させた。
これは驚くべき戦いだった。ピサロが率いたのは、わずか168人の部隊だ。土地に不慣れな、ならず者たちで構成されている。中南米にスペイン人の居住区はあったが、戦場から離れていて、援軍を求めるわけにはいなかい。一方、インカ帝国は、アメリカ大陸で最も発展した国家だった。アタワルパはその絶対君主だ。
ピサロは圧倒的に不利な状況だった。それなのに勝利した原因は何だったのか。突き詰めると、天然痘だった。
実はその時、インカ帝国に天然痘が大流行していた。さらに麻疹なども広まり、おびただしい数の人が亡くなった。1000万人だった人口は、130万人に激減していた。皇帝らが天然痘で死亡し、王位をめぐって内戦が起きていた。「もし天然痘の大流行がなかったらインカ帝国の分裂が起こらず、スペイン側は一致団結したインカ帝国を相手にしなければならなかったのである」(「銃・病原菌・鉄」上、ジャレド・ダイアモンドP140)。一致団結したインカ帝国だったら、ピサロの勝ち目はなかっただろう。
写真)Statue of Francisco Pizarro, Lima
出典)flickr by James Preston
天然痘はたまたま、インカ帝国で流行したわけではない。この天然痘を持ち込んだのは、スペイン人だった。時間をかけて、中南米で流行した。新大陸を征服するためのスペインの用意周到な戦略だったのか。
そう思うのはわけがある。伏線があるからだ。もう一つの国家滅亡だ。今のメキシコにあったアステカ王国だ。スペインの征服者、コルテスが1521年、征服した。わずか400人の兵力だった。アステカ王国滅亡の原因もまた、天然痘だった。スペイン人が連れてきた奴隷の中に、天然痘に感染していた人が混じっていたのだ。
アステカ王国で天然痘は爆発的に流行した。国王や側近らも、天然痘で死亡。路上にはおびただしい数の遺体が放置された。その結果、国力が弱体化し、結局、滅亡に追いこまれた。
天然痘はその後、中南米に広がった。前述したインカ帝国にも波及した。その結果、中南米の人口は10分の1ほどになった。
それではなぜ、天然痘はスペイン人に感染しなかったのか。スペインでは、天然痘は以前から流行していたため、免疫があった。感染しても発症しないケースが多かった。当時はまだ免疫学が発展していない。アステカの人々の間では「スペインの神のほうが、アステカの神よりすぐれている」という見方が広がり、スペイン人のキリスト教に改宗する人が増えた。天然痘は国家を滅亡させ、キリスト教を広めたことになる。
1492年のコロンブスのアメリカ大陸の発見と植民地政策は、世界史でもトップ級の大きな出来事だ。その歴史を決定づけたのも、天然痘の流行といえる。感染症と人類は不可分な関係にある。
写真)フリストファー・コロンブス記念碑(バルセロナ)
出典)pixabay by nosolomarcas
私はそんな歴史を振り返りながら、今回の新型コロナウイルスの猛威に思いをはせた。新型コロナで、自国第一主義の機運が高まり、対立の動きが加速するのか。それとも、国際協調の動きが強まるのか。我々は今、歴史の分かれ目にいるのかもしれない。
トップ写真)天然痘ウィルス
出典) CDC/ Fred Murphy
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この記事を書いた人
出町譲高岡市議会議員・作家
1964年富山県高岡市生まれ。
富山県立高岡高校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。
90年時事通信社入社。ニューヨーク特派員などを経て、2001年テレビ朝日入社。経済部で、内閣府や財界などを担当した。その後は、「報道ステーション」や「グッド!モーニング」など報道番組のデスクを務めた。
テレビ朝日に勤務しながら、11年の東日本大震災をきっかけに執筆活動を開始。『清貧と復興 土光敏夫100の言葉』(2011年、文藝春秋)はベストセラーに。
その後も、『母の力 土光敏夫をつくった100の言葉』(2013年、文藝春秋)、『九転十起 事業の鬼・浅野総一郎』(2013年、幻冬舎)、『景気を仕掛けた男 「丸井」創業者・青井忠治』(2015年、幻冬舎)、『日本への遺言 地域再生の神様《豊重哲郎》が起した奇跡』(2017年、幻冬舎)『現場発! ニッポン再興』(2019年、晶文社)などを出版した。
21年1月 故郷高岡の再興を目指して帰郷。
同年7月 高岡市長選に出馬。19,445票の信任を得るも志叶わず。
同年10月 高岡市議会議員選挙に立候補し、候補者29人中2位で当選。8,656票の得票数は、トップ当選の嶋川武秀氏(11,604票)と共に高岡市議会議員選挙の最高得票数を上回った。