人類と感染症 2 「ペスト」とルネサンス
出町譲(経済ジャーナリスト・作家)
【まとめ】
・ペストは欧州中世の社会構造をがらりと変えた。
・この時期に、ダ・ヴィンチ、ニュートンなど多くの偉人が誕生。
・「コロナ後」の世界、古い時代と決別なるか。
ペストは14世紀のヨーロッパ、そして世界を恐怖のどん底にたたきつけた。人口の3分の1が亡くなるという異常事態だった。単に人口が減っただけでなく、ヨーロッパの中世社会を根底からぐらつかせた。権力構造ががらりと変わり、封建社会が崩れた。
ヨーロッパ中世においては、ローマ教皇が絶大な権力を持っていた。その力を示す有名なエピソードは「カノッサの屈辱」だ。神聖ローマ帝国の皇帝が、破門を恐れてローマ教皇に屈服した。皇帝が雪の中、教皇に許しを請うため、素足で立っていたという。
そんな教皇をトップとした教会だったが、ペストの流行にはあまりに非力だった。聖職者自身が、ペストにかかった。人々が宗教儀式をやっても祈りを捧げても、効果が出ない。今となっては当たり前なのだが、当時の人々は落胆した。さらに聖職者の中には、感染を恐れて、教会から逃げ出す人もいた。教会側の裏切り行為と映った。
写真)Plague doctor
出典)flickr by Thomas Dittrich
もう一つの権力者、封建領主も地位が低下した。ヨーロッパの封建社会では、封建領主が土地を所有し、農民から年貢を取り立てていた。しかし、ペストで多くの農民が死亡した。労働力不足から、農民に賃金が支払われ、農民が相対的に力をつけた。教会、領主の2つの権力の失墜は、新たな社会に向かうきっかけとなった。
それが、ルネサンスだ。教会が支配していた中世の時代を克服しようという動きだ。「暗黒の時代」と決別し、人間を解放する運動である。この時期に、イタリアで生まれた天才が、レオナルド・ダ・ヴィンチである。
ダ・ヴィンチといえば、言わずと知れた史上最高の画家。代表作は「モナリザ」だ。科学者としても、後世に名を刻んだ。ルネサンス期が生んだ「万能の天才」といえよう。
同時代の画家としては、ミケランジェロ、ラファエロなども活躍し、政治思想家のマキャベリが登場した。百花繚乱の人材を生み出した。
写真)「アテナイの学堂」ラファエロ・サンティ
出典)pixabay by janeb13
ペストはその後も、ヨーロッパ世界で流行するが、1665年から66年には、イギリスで大きな広まった。ロンドンだけでおよそ10万人が死亡した。街は悲惨な光景だった。
「ロンドン塔まで歩いた。だが、主よ、通りはなんとがらんどうで淋しく、かわいそうな病人たちが出歩いているが、皆腫物ができている。歩いている間にもいろいろ悲しい話を耳にした。皆、この人が死んだ、あの人は病気だ、ここでは何人、あそこでは何人、などということばかり取り沙汰している」(ピープス氏の秘められた日記、岩波新書)。
このころ、ある若者の運命が変わった。アイザック・ニュートンだ。ケンブリッジ大学で研究生活を送るつもりだったが、ペストの流行で大学は休校になった。
ニュートンは故郷に帰った。休校は2年に及んだ。そこで、リンゴが木から落ちるのを見て、膝を打った。リンゴは実は落ちたのではなく、地球に引っ張られたのだ。それで生まれたのが「万有引力の法則」だ。さらに、「微分積分」の考え方も発見した。ニュートンはこの期間をのちに「創造的休暇」と呼んでいる。
科学史に残る偉業が生み出されたのだ。
写真)William Blake’s Newton (1795)
新型コロナでいま、世界は混乱している。会社は在宅勤務となり、学校は休校となっている。リモートワークやオンライン授業は日常光景になりつつある。混乱の後には、新たな時代が始まる。「コロナ後」の世界では、古い時代から決別することになるだろう。ダ・ヴィンチやニュートンが再び現れるかどうか。私たちは後世の人から、「ボーっと生きてんじゃねーよ」と叱られないようにしなければならない。
トップ写真)Plague
出典)flickr by Brinsen Davis
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この記事を書いた人
出町譲高岡市議会議員・作家
1964年富山県高岡市生まれ。
富山県立高岡高校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。
90年時事通信社入社。ニューヨーク特派員などを経て、2001年テレビ朝日入社。経済部で、内閣府や財界などを担当した。その後は、「報道ステーション」や「グッド!モーニング」など報道番組のデスクを務めた。
テレビ朝日に勤務しながら、11年の東日本大震災をきっかけに執筆活動を開始。『清貧と復興 土光敏夫100の言葉』(2011年、文藝春秋)はベストセラーに。
その後も、『母の力 土光敏夫をつくった100の言葉』(2013年、文藝春秋)、『九転十起 事業の鬼・浅野総一郎』(2013年、幻冬舎)、『景気を仕掛けた男 「丸井」創業者・青井忠治』(2015年、幻冬舎)、『日本への遺言 地域再生の神様《豊重哲郎》が起した奇跡』(2017年、幻冬舎)『現場発! ニッポン再興』(2019年、晶文社)などを出版した。
21年1月 故郷高岡の再興を目指して帰郷。
同年7月 高岡市長選に出馬。19,445票の信任を得るも志叶わず。
同年10月 高岡市議会議員選挙に立候補し、候補者29人中2位で当選。8,656票の得票数は、トップ当選の嶋川武秀氏(11,604票)と共に高岡市議会議員選挙の最高得票数を上回った。