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.国際  投稿日:2020/4/15

NY、コロナ後に来る社会とは


【まとめ】

NY市民、自宅待機で深刻な運動不足。

・先週末、NY市の新型ウイルス感染者は減少傾向に。

・スーパーなどで働く労働者に忍び寄る命の危険。

「ほら、マスク忘れてるぞ」。

家からの出掛けに息子に注意をうながす。

アメリカ生まれの息子は今回の新型コロナ騒動があるまで、生まれてこの方、マスクというものをしたことがなかった。ニューヨークでマスクをしている人は今回のコロナ禍が始まってからも少数派であったが、今では着用していない人のほうが少数派だと思える。だが、日常のアメリカの風景からみると、それらは今でも全く異様な風景であるのは確かだ。多くの人が暗い顔で下を向いて歩いている。想像でしか無いが、さながら大戦中の日本で、空襲のさなか、人々が防空頭巾を着用して街なかをさまよう風景はこういうものであったのだろうか。

外出制限が続く中、先週末は久しぶりに家族4人全員での外出をした。意を決して、という言葉が大げさでないくらいの気持ちででかけた。なぜならここ数週間、感染リスクを考えて、少なくとも子どもたちはほぼどこへも連れて行っていなかったからだ。

向かった先は、歩いて30分ほどの距離にある、森がある大きな公園である。街なかにある公園は閉鎖されているが、この公園は森と、市民が自由に使える本格的な陸上競技用のトラックがあって、今でも開かれている。

写真)公園で運動をする人々

筆者撮影

この日、家族で公園に行こうと思ったのには他にもわけがある。小学校1年生の長男は両親に似ずわりとスラっとした体型をしているが、先週、その長男を風呂に入れようと思って驚いた。腹回りに今までは見たこともない贅肉が付いているのだ。驚いて体重計に乗せてみると、なんとこの20日あまりで体重が2キロ近く増えている。

間違いなく運動不足が原因だ。それと子供に対してのおやつ管理が甘くなっていることがある。ずっと家にいる子どもたちが常にお菓子などを要求し続けるのには閉口している。だが私自身も食べる以外の楽しみがないので、ついつい要求されるがままに出してしまうことが多くなっている。

春の日差しが眩しい。公園に着くと、春のいいお天気の日差しもあって、多くの人が思い思いの運動に励んでいる。2人の子どもたちはこの20日あまりの鬱屈を晴らすかのように、真剣に子供の遊びに取り組んでいる。街なかから全く姿を消してしまった他の子どもたちの姿もここにはあった。私も子どもたちと一緒になって遊んでいると、もう過去になってしまった日常がすでに懐かしく、涙目になる。

写真)20日ぶりに運動する息子と娘

筆者撮影

公園は開かれてはいても、複数人数でやるサッカーや、バスケットなどは互いが接触するので禁止されている。他の「グループスポーツ」も同様だ。違反してる者がいないか、監視をしている警察官や公園管理官の姿もある。政令によりグループのスポーツが禁止された結果、それぞれの運動は個人的なものが中心となってしまった為か、人々は普段より真剣に運動に取り組んでいるかのように見える。実際みな、真剣だ。

外出制限が始まってから、買い物などに出てみると、以前に増して、かなりの数の人がジョギングをしている。ニューヨークはもともと人を歩かせる街だ。市内のインフラは戦前からそのままのところが多く、エレベーターやエスカレーターの数は東京に比べると恐ろしく少なく、故障は日常。歩いたほうが早い、と思う距離なら、交通機関など使わず歩いてしまう人が多いニューヨークは全米一、日常生活で「強制的に歩かされる街」だ。

写真)NY 歩く市民 

出典)flickr : Billie Grace Ward

今回の騒動は人々から「強制的に日常の運動を奪って」しまったと思う。通勤することそのものが日常の運動の一部であった人々にとって、運動不足は真剣に自覚するところとなり、普段体を動かす習慣のない私でさえも、体を動かさなければ、という気にさせられてしまう。

外出制限が日常となってしまった人々の生活はこの先どこへ行くのか。

写真)公園でソーシャル・ディスタンスの違反者がいないか目を光らせるニューヨーク公園局の管理官。

筆者撮影

市民の自宅待機はまだまだ続くだろう。だが、先週末、あらたな感染者や入院者数が減少傾向になってきたのを受けて、昨日になってクオモ・ニューヨーク州知事は「最悪の状況を脱したと思われる」と記者会見でコメントした。

こうして連日の空襲にも似た爆撃で命の危険にさらされていたかのような日常が、とりあえずだが落ち着くかもしれない可能性が出てくると、今度は今まであまり目立たなかった問題が次々と顕在化してくるのも感じる。

医療関係者が最前線で戦ってくれていることに異論は無いが、我々の日常を支えてくれ、必要不可欠な仕事の現場であるスーパーマーケット、食料品店、配送業、公共交通機関などで働く人たちも同じようにわれわれの生活を支えてくれる為に戦ってくれている。この人達には光が当たりにくい。感染リスクは医療現場と変わらないほど大きく、事実、これらの業種でも多くの死者が出ている。現場の士気は徐々に落ち、危険な職場を去る人が増え、結果、いろいろな事情でこの先困窮しそうな人々ほど現場に残る。この人達がこのまま命の危険にさらされる状態がどこまで続くのだろう。

さきごろ、市内における人種別の死者の割合が発表されたが、明らかにラテン系と黒人の割合が大きかった。死亡の原因となる感染率の人種別のデーターを見たわけではないが、これら所得の問題と教育問題、健康問題との関連は無縁ではないと思われる。ニューヨーク市長も言及していたが、これら格差社会の底辺の人々が一番割りを食うことにつながっている。

この先、めざす「ニュー・ノーマル」の社会は、過去の「ノーマル」から大きく脱却した社会を考えていくことが、まずは第一歩だと思えて仕方ない。

 

トップ写真)人が多かったため、一部が閉鎖になった日の公園で話し合うNY市の警官

筆者撮影

 

 


この記事を書いた人
柏原雅弘ニューヨーク在住フリービデオグラファー

1962年東京生まれ。業務映画制作会社撮影部勤務の後、1989年渡米。日系プロダクション勤務後、1997年に独立。以降フリー。在京各局のバラエティー番組の撮影からスポーツの中継、ニュース、ドキュメンタリーの撮影をこなす。小学生の男児と2歳の女児がいる。

柏原雅弘

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