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.経済  投稿日:2025/2/17

鉄とアメリカ(2)〜NY在住の爺カメラマンが見る摩天楼~ニューヨークを建てた先住民の男たち〜


柏原雅弘(ニューヨーク在住フリービデオグラファー)

【まとめ】

・ニューヨークの超高層ビル建設では、アメリカ先住民のモホーク族が高所作業を担う「スカイウォーカー」として知られた。

・モホーク族はリベット打ち職人として卓越した技術を持ち、エンパイアステートビルやクライスラービルなどの建設に貢献した。

・2013年に完成したワン・ワールドトレードセンターの最後のリベットもモホーク族の職人によって打ち込まれた。

 

ニューヨークに林立するビル群は、19世紀末から急速に建築が進み、やがて摩天楼と呼ばれるようになった。摩天楼は鉄骨の登場で実現した。

 

それまでの建物の建築は、石や、レンガを積み重ねるだけで作られ、鉄骨が登場したことで、軽量化と強度の向上が可能になり、建物の高層化への道が開かれた。

 

アメリカで最初の高層ビルと言われるものは1885年にシカゴで建築された10階建ての建物であったと言われる。

 

その後、ニューヨークでも高層ビルの建築が始まり、20世紀初頭にかけて超高層ビルの建築ブームとも言える動きが始まり、超高層ビル群が形成された。これらを指して「スカイスクレーパー(skyscraper、Sky「空(を)」Scraper「削るもの」)」という言葉が生まれた。(「摩天楼」はこの英語の意訳であるとされる)

 

ニューヨークでは築100年を超えるビルは全く珍しくないが(私の住むアパートがちょうど築100年)、場所によっては10階以上建てのアパートなのに、エレベーターはなく階段のみ、という、というアパートも存在する。

毎日10階まで上り下りする地獄を想像してみてほしい。

 

これでは高層化には限界がある。安全な旅客用エレベーターが登場してから、シカゴやニューヨークでは「上へ上へ」開発が進む「空への競争」が起こった。

 

ニューヨークの超高層ビルで、もっとも有名なものの一つは、1931年(昭和6年)に完成したエンパイアステートビルであろう。

写真)1931年オープンの、エンパイアステートビル。エレベーター73基、102階建て。急ピッチでの建設作業が可能だったのは、現場の職人の力量に負うところが大きい。筆者撮影。

 

 

鉄骨の上を軽業師のごとく、建材を抱えて歩き回り作業をする、ニューヨークの建設作業員の写真をご覧になったことがあると思う。エンパイアステートビルは世界大恐慌後に投入された多くの作業員の働きによって、着工からわずか2年で、世界最高峰のビルとなり、完成した。

 

実はあの写真に写っている人々には「モホーク族」という、アメリカ先住民の職人が多く含まれていたことは、あまり知られていない。

 

彼らはもともと、アメリカ北東部からカナダにかけて生活していた人々であった。

 

1886年、「モホーク族」の人々は最初、居住区近くの、モントリオールの川にかかる鉄橋の建設作業員として、日雇いの非熟練労働者として雇用された。鉄橋はモホーク族の土地に作られるため、それと引き換えの条件として、モホーク族の人々が多く雇用されることとなったのである。

 

非熟練労働者として雇用されたにも関わらず、アメリカ先住民である彼らは、カナダからアメリカにかけての渓谷を生活の場としていたこともあり、現場で並外れた適性を発揮して雇用者を驚かせた。

 

モホーク族の人々は、高所での作業をまったく恐れることがなかったのである。

 

さらにかれらは、建設の技術に強い関心を示したので、熟練工としての訓練を受けることになった。中でも特に技術が必要な「リベット打ち」の作業員として彼らはすぐに頭角を表し、優れた質の仕事をこなしたことで、雇用側から大きな信頼を得ることとなり、彼らへの仕事の需要は必然的に高まった。

 

「リベット」とは建築鋼材と鋼材をつなぎ合わせる「鉄の鋲」のことである。

写真)ブルックリンブリッジの鉄骨を留めている、今から140年以上前のリベット。開通は1883年。筆者撮影。

 

これらを扱う作業をするのが「リベット打ち職人」で、日本では「カシメ屋(鉸鋲工)」と呼ばれる。

 

彼らの仕事は、900〜1000℃まで熱した鉄の鋲を、鉄の柱の穴に差し込み、空気圧ハンマー(日本の建築現場では鉄砲と呼ばれた)で鋲の頭を潰し、柱同士ををつなぐ作業である。鋲の数は無限に近く、大変な忍耐力と体力が要求される作業であるが、それだけでなく、彼らはなんと、コークスで1000℃近くまでに熱せられたリベットを、受け手に向けて、何メートルもの距離を、宙に放り投げて渡すのである。

 

しかも、これらの作業は、地上数十メートル、時には数百メートル以上の高所で行われるのだ。

リベット打ちの作業は、4人一組の「リベット・ギャング」と呼ばれるチームで行われる「リベットキャッチ」と呼ばれる職人技であった。チームは以下の役割を担っていた。

  • 「ヒーター(焼き手)」:リベットを900〜1000℃まで熱する。
  • 「キャッチャー(受け手)」:熱せられたリベットが数メートル〜10数メートル先の「ヒーター」から投げられ、それを受け取る。
  • 「バッカーアップ(当て盤)」:リベットを鋼材の穴に差し込み固定する。
  • 「ガンマン(打ち手)」:空気圧ハンマーでリベットの頭を潰し、鋼材をつなぐ。

作業は正確さ、確実性が求められる職人芸であった。一歩間違えば大火傷、空気ハンマーの扱いを誤れば、衝撃で階下へ転落してしまう。命がかかっている仕事であり、4人のチームは、同じ部族民同士のお互いの揺るぎない信頼と、硬い絆で結ばれていたから出来た仕事だったのかもしれない。

 

(彼らの職人芸、とも言える仕事は、以下の動画で確認できる。

「クライスラービルの建築」

1:10で当時のリベット打ち作業が見られる)

 

写真)クライスラービル。完成した1930年には世界一の高さであったが、1年未満でエンパイアステートビルの世界一の称号を譲り渡すことになる。筆者撮影。

 

モホーク族の男たちにとって、これら高所での作業に携わるのは部族の誇りとなり、やがて彼らは「スカイウォーカー(Skywalkers)」と呼ばれるようになった。

 

しかし、職人とは言え、建築現場では、ヨーロッパからの移民など、他の人種の職人などに比べると、その給料は低かったという。搾取があったことで、彼らはより高給が期待される「リベット打ち職人」という専門職への道を、積極的に選んだ。作業現場ではモホークの人々は作業員全体の15%であったが、リベット打ちは彼らの独壇場とも言える職人作業であった。

 

高所鉄工職人としての気概は部族の祖父から父へ、父から息子へ、孫へと継がれ、その伝統は今日まで生きている。

 

エンパイアステートビル、クライスラービル、ロックフェラーセンター、ジョージ・ワシントン・ブリッジなどの建築を始め、戦後も国連ビル、マディソン・スクエア・ガーデン、テロで倒壊したワールドトレードセンターなど、モホーク族の人々はNYで有名な建築物、ほぼすべての建築に関わった。

 

建築の技術は変化し、彼らの仕事も変化してきたが、高所鉄工作業員として彼らは今日でも、超高層ビルの建築に携わっている。

 

2001年のテロによるワールドトレードセンターの倒壊では、30年前の建築に携わったのは自分たちであり、ビルの構造の詳細を知り尽くしている、ということで、即刻倒壊現場に駆けつけ、人々の救出作業にあたった。

 

その後、紆余曲折を経て、10年以上経った2013年に「ワン・ワールドトレードセンター」が跡地に建てられた。

 

5月10日、ビルの頂上の124メートルの尖塔に、モホークの職人により、最後のリベットが取り付けられ、高さ1,776フィート(アメリカの建国の年にちなんだ)の北米一、高いビルが誕生した。

 

モホーク族の人々の誇りと伝統は、今後も絶えることはないだろう。

 

トップ写真:ニューヨークのワン・ワールド・トレード・センター(ニュージャージー州バイヨンヌ 2025年2月1日) 

出典:Photo by Gary Hershorn/Getty Images




この記事を書いた人
柏原雅弘ニューヨーク在住フリービデオグラファー

1962年東京生まれ。業務映画制作会社撮影部勤務の後、1989年渡米。日系プロダクション勤務後、1997年に独立。以降フリー。在京各局のバラエティー番組の撮影からスポーツの中継、ニュース、ドキュメンタリーの撮影をこなす。小学生の男児と2歳の女児がいる。

柏原雅弘

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