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.国際  投稿日:2020/7/2

丁寧な説明と乱暴な議論 ポスト・コロナの「勝ち組」メルケル独首相 最終回


林信吾(作家・ジャーナリスト)

「林信吾の西方見聞録」

【まとめ】

・安倍首相は憲法に緊急事態条項を盛り込む必要性を訴える。

・分断国家として再出発した西ドイツは「基本法」が最高法規だった。

・安倍首相の改憲論議は「改憲論議のための改憲論議」に過ぎない。

 

新型コロナ禍への対応をめぐって、麻生太郎副総理が我が国の死亡者数が欧米より格段に少ないことを「民度」という言葉を使って誇ったことは、未だ記憶に新しい。

なんでも海外の友人から、日本における死亡者数の少なさを指摘され、

「お前のところだけ、実は薬を持ってるんじゃないのか」

みたいなことを言われたので、

「我が国は民度が高いから、死亡者数が少ないのだ」

と答えた。相手は絶句していたという。

県外ナンバーの車が煽り運転などの嫌がらせを受けたり、宅配便の配達員が消毒スプレーを吹きかけられたり、果ては医療従事者の子供がイジメにあったりするような国の民度が高いと言われたなら、たしかに相手が言葉を失っても不思議はない……と言いたいところだが、これはたしかに俗耳に入りやすい議論ではある。だから余計に始末が悪い。

シリーズ第1回で、ドイツのメルケル首相が新型コロナ禍への対応を評価されて、支持率をV字回復させていることを紹介した。

彼女はなにしろ理系の博士号を持つ人なので、医学者や病理学者の話を問題なく理解でき、今どのような対策が必要なのか、分かりやすく国民に説明することができた。

▲写真 G7シャルルボワ・サミット時のメルケル首相と安倍首相 出典:首相官邸HP

これに引き換え我が国の副総理は、データの読み方をご存じないようだ。

たしかに欧米に比べて日本の死者数は桁違いに少ないが、アジアに話を限れば、

「人口10万人当たりの死亡者数」

日本はワースト2位なのである(1位フィリピン)

中国の場合、発生源であったにもかかわらず、人口10万人あたりの死亡者が日本より少ないことになるが、なにぶん分母(総人口)が桁違いなので、単純な比較はできないという面は、もちろんある。

しかし、そのことを割り引いても、アジアと欧米(ラテンアメリカを含む)を比較した場合、アジアにおいて死亡率がかなり低いことは明確な事実で、これは衛生環境や、私自身も以前に書いたことではあるが、

「握手してハグしてキスしてという文化がないので、濃厚接触と言っても程度問題」

ということだけでは説明がつかない。

なにしろ「新型」コロナウィルスで、その感染のメカニズムも未だ解明されていない部分が多い。アジア人の死亡率が比較的低いのは、なにか遺伝的な要素があるのではないか、と考える研究者も見受けられるようになったと聞く。

いずれにせよ、新型コロナ禍の問題は、果たして日本政府の対応が適切であったか否かも含め、もう少し時間をかけて、科学的に解明されなければならない。民度が高いから死者数が少なくて済んだ、で片付けるのは、いかにも乱暴だ。

それ以上に問題だと私が思うのは、この発言の真意を質された麻生副総理が(いささか分かりにくい話し方をする人なので、概略紹介すると)、

「欧米のように強制力を伴う外出規制をしたくとも、憲法上できないから、日本では<要請>にとどまった。にもかかわらず国民が自粛してくれたおかげで、死亡者数が少なかった。それを民度が高いと表現したまで。」

などと語ったことである。

ならば憲法改正の必要はないわけですね、で終わらせてもよい話だが、安倍政権はそのようには受け止めていないようだ。

▲写真 麻生副総理とペンス副大統領 出典:財務省HP

5月3日の憲法記念日に、改憲派の「リモート集会」にビデオメッセージを寄せた安倍首相は、その中で新型コロナ禍に触れ、

「憲法に緊急事態条項を盛り込む必要性」

を訴えた。これもまた、記憶に新しい。

前回も触れた稲田朋美・自民党幹事長代行は、かつて「憲法教」という言葉を使って物議をかもしたことがある。その伝で行くならば、安倍首相はもはや「改憲中毒」と言うべきではないだろうか。

これまた前にも述べたことであるが、野党・自民党の総裁だった当時は「天皇を元首とする」改憲案を取りまとめた張本人が、先帝が退位の意思を表明した際、憲法の天皇条項をめぐる議論は一切放棄して、ただただ改元の祝賀ムードに乗って万歳三唱をした。

その後は、憲法に自衛隊を明記すべき、との議論を繰り返していたが、

「命がけで国民の生命財産を守る自衛隊員が、憲法でその存在意義を認められないのはおかしい」

という論法では、有権者の多数派を納得させることはできなかった。警察や消防について、憲法にはなにか書いてありますか、で話はおしまいだからである。

▲写真 自衛隊の観閲式 出典:首相官邸Facebook

それがメルケル首相とどういう関係があるのか、という声が聞こえてきそうだが、かつてわが国では、

「西ドイツ(当時)は幾度も憲法を改正しているのに、我が国では一度も改正されない」

という議論が、改憲派の口からよく発せられていた。西ドイツという国名からもわかるように(正式にはドイツ連邦共和国)、第二次世界大戦の敗戦により、分断国家として再出発したかの国では、その状態を恒久的なものと考えることはできず、憲法ではなく「基本法」が最高法規で、その中に「統一の日に効力を失う」ことを、わざわざ明記していた。

しかしながら、統一後30年になろうとするのに、未だに「自主憲法制定」はなされていない。連邦の構成要素などの条文を手直しした(言うまでもなく、旧東ドイツが版図に含まれたので)基本法が効力を保っている。

これには複合的な理由があり、ここで立ち入った議論をする紙数はないが。いずれ憲法問題のシリーズを立ち上げたら、あらためて書かせていただく。乞うご期待。

看板に偽りあり、とならぬように一点だけメルケル首相に言及しておくと、彼女はよく知られる通りEU統合推進派なので、政治統合が進めば、いずれEU憲法ができるので、ドイツ独自の「新憲法」にそれほど重きを置いていないのだと見る向きが多い。

とどのつまり日本における憲法改正論議に、ドイツは参考になどならないのである。

話を戻して、私が安倍首相の改憲論議に一貫して批判的なのは、それが

「改憲論議のための改憲論議」

に堕しているからである。私自身、日本国憲法は一字一句変えるべきではない、という立場ではないのだが、新型コロナ禍までも、自分の手で憲法改正を実現し、歴史に名を残したい、という政治的野心の道具にするような態度には、断じて同調できない。

我々の、国民の命を「政治利用」することなど、許してはならないのだ。

トップ写真:安倍首相と麻生副総理(右) 出典:首相官邸Twitter


この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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